ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

見るだけの脳みそ

2006-05-19 03:55:30 | 脳みその日常
ここしばらくネット・サーフィンはしていたが、不思議とブログを書く気力が湧かなかったので更新せず。わざわざお越しいただいた皆様には伏してお詫び申し上げます。

さて、なぜ書く気力がなかったのか。いろいろ考えてみた。そもそも文章を記すという行為は脳みそが能動的に考えなければ始まらない。何かを考えようと思わなければ文章は書けないもの。文章は書かなくてもネットを見ることができたのは見るという行為が受動的でも可能だからである。わかりやすい例でいえば、テレビはボーッと見ていられるが、音楽は同じようなスタンスでは聴けない。もっとも、BGMのような種類のものもあるけれど。

要するに、ここしばらくワシの脳みそは脳の視覚野は働いていたが、思考する領域はストップしていたということなのだろう。何かを考え、感じたら書かずにはいられないからね。

それにしても、考えなくてよいというのは本当にラクである。アクティブでいるにはつまり動き、行動するためのエネルギーがいる。でも受け身でいることはエネルギーを必要としない。だからラクなのだろう。

昔の人は写真を撮られると魂が抜かれると本気で心配したというが、ネット・サーフィンにもそれに通ずるものがあるように思う。実際には魂が抜かれるなんてことはありえない。だけど、サーフィンをしていて確かに情報は入手できるけど、それをどうしようと考えることはあまりないのではないか。

そして気づけば時間だけが過ぎている。一体その間何をしていたんだろう。我に返った時、何も考えていない自分に気づくのだ。そう、それはまるで魂が抜かれたかのような錯覚。ね、通ずるものがあるでしょ?

ここで一服。

そうか、ここ数日文章が書けない理由がわかった。今週始めに仕上げた原稿のせいだ。不本意ながらも出した原稿のことをすっかり忘れていた。うんうん、その原稿に没頭したために、きっと魂がどこかへ行っていたんだろうな。

なお、不本意な理由については後日談があるので、そのうち書きます。お楽しみに。
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