湘南オンラインフレネ日誌

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11/28武藤さん講演失敗の中、神奈川子ども未来ファンドへ

2006-12-01 06:50:21 | 引きこもり
昨日、神奈川子ども未来ファンドの助成金説明会に行ってきました。といっても助成金を獲得に行ったわけではありません。

28日の武藤啓司さんの講演会の不調の件で、「わーく」の火が消えてしまうことに歯止めをかけに行ってきたのです。

28日は引きこもり側から、引きこもり青年の地域社会参加としての就労の可能性が開けていることを、事例をあげて立証してもらうことが狙いでした。しかし、ここにも問題が潜んでいます。神奈川県の引きこもり支援活動の主流が「癒し」の発想から抜け出ていないのです。就労は「元気回復した」者の「社会再適合」の「個人的営み」なのです。

引きこもり青年たちの挫折感や社会への違和感から、支援者が社会を見直すことをしていない。かれらは様々な出来事から社会あるいは他者という社会に出会っています。ここで挫折したり関係の取り結びを忌避しています。そこには自閉症スペクトラムの雲がかかっていたり、鬱や喘息・家庭の事情、少数ですが遅滞や内部障害・身体障害・統合失調症など明快な事情を根源とした者もいますが、いじめや粗雑な人間関係への嫌悪など自他共に判断しにくい事情をもつものもあります。この後半の事情に動かされた青年たちは、生活と行動の軸を転換することによって再出発をきることができる方が多いのです。

適切な言葉ではありませんが「坑道のカナリア」の例えのように、ひとの関係の優しさを基準にしているからこそ、社会とは流儀が合わない者たちなのです。これを母子癒着から精神の未成熟の棚に乗せてしまうことがこれまた多いのですが、その生き方を活かすこともできます。一律な健常者像へ病む者を仕向けていくことを指導と呼ぶのかという問題があります。この指導という立場、外部操作の立場から行うかのような立場も問われているのです。

神奈川県の支援者たちの集まりに参加すると、緩やかな隔離とサナトリウムまたはユートピアが描かれます。歪んだ心の是正をし「正常」になったら社会へと返す、その個人的最終儀式のような形で就労が登場します。脳裏の心の歪みを是正するという一見正しそうな筋書きが見落としているものが、「社会」、「時代」という刺身のつま扱いされてきたものです。キャッチボールやゲームが相互関係の中になりたつように、従来の治療のナタでは切れないものが存在します。就労もまたひとの生きていく営みの中に吟味されたとき、ひとはかけがいのない他者のために、ともに生きるために、情熱的につながる存在であることが忘れさられていることがわかります。「糊口を継ぐために」働くという個人的な事情を超えて、その先をデザインしなければ、彼らの疲労の泥沼は続くのです。かけがえのない他者とは、ときに恋人であり家族であり、かけがいのない友人がそこに逢ったとき彼は自分が何者であるかをつかむのだと思います。

ここの部分を支援者の活動は描けていないのです。心の嵐を押さえる活動はあっても、彼の自分探しは偶発的なものになってしまっている、それが実情です。

ならば彼の居場所を据えなおして、社会的な営みを通じてお互いが結びついていければ、ここが彼の次の飛躍を支える場になりでしょうし、ここ自体がその延長でも社会に参加できる活動にもなるそういう構想があれば、その新たな軸の中で様々な事情の方が合流できるデザインだってありえます。そのひとつが「わーく」という「協働マスコミ活動」(非営利企業体)なのですが、この中身はのちに譲るとして、県の引きこもり青年の状況から言えば、企業就労をした者が続かず退職。フリースペースにも戻れずに、行動研修しかしない公共就労相談窓口に彼らがあふれ、限界を感じて再び引きこもってしまうという「引きこもりの高齢化」が急速に進行しているのです。

フリースペースを作り、それを育て様々な活動の枝を茂らせていくというスタイルが県下では進行しています。小田原の「子どもと生活文化協会」・「ライナス」、川崎の「たまりば」、横須賀の「アンガージュマンよこすか」、横浜の「リロード」・「コロンブスアカデミー」や学校法人はありますが、それをなしうる資金的背景を持った所の局部集中が起き、他のスペースは淘汰が進んでいるという状況です。これでは青年無業者・引きこもりの課題には受け皿の量的にも対応できないのです。

ですから、県の就労支援の実例報告とは、残念ながら既存の活動紹介を持って呼びかけを行うということにはならない。つまり新たな活動を立ち上げないとならない状況なのです。県下不登校の調査数だけでも9,300人を超えます。学童期でこれだけの人数がいるのですから、引きこもりの人数、更にはニートと呼ばれる無業者数はただごとではありません。彼らの活動場所、はまり場所を作っていこうという発想が薄いのには危機感すら感じます。

武藤氏は、小学校教員の頃から、「せんせい、あのね」の作文指導や北村小夜さんたちと障害児教育に携わった、私からのレッテルは「人情派」の方です。そこに起きている諸現象の背後に潜むものを論じることより、その子ひとりひとりに寄り添っていくスタイルをもっています。だからこそ、その事例の中に社会からはじき出されるものの情念を通して、社会をみることができるだろうと期待し、丸抱え大樹志向の曼荼羅を見ることよりも実のある論議を期待したのでした。

しかしここまで書いてきても、引きこもり青年をエンジンとした試みを描くことはできても、地域に共に生きるパートナーとして、障碍を持った方との共通の夢へのアプローチが描ききれないのです。この一点について、今回の講演が10名を割るという厳しい状況を生み出している。そう思います。

武藤さんの講演会では、記録的な少なさだったと思います。帰りに叱られましたが、信じられなかったのでしょう。失礼してしまったという思いが背筋を凍らせます。

今回の呼びかけは関連団体・サポセンや推進センター配布メディア・口コミを通じて行いました。しかし引きこもり領域としては、「あんさんぶる(SSW神奈川)」「リロード」「アンガージュマンよこすか」、時期的に前になりますが「カフェ・ドゥ・そうじゃん」、それ以外にはしていません。直前、藤沢市保健所主催の「アンガージュマンよこすか講演会」会場で配布したチラシ位です。あとは圧倒的に障害関係団体に巡回配布しているのです。前者の反応は以前から少ないというかN・M両氏以外は参加がないのです。理由は私が中間支援者だからです。後者は今回非常に厳しい状態でした。出会いが企画できなかったのです。

しかし藤沢の講演会で気が付いたことでありますが、引きこもり者の高齢化、親御さんが60代後半になってきているのです。この方たちにオンラインCMは通らない、デジタルデバイドがそこにあったのです。テレコムと市民活動ルートを除いて、地域に散っている引きこもりの方へのアクセス方法がないことが露呈しました。

横須賀の見学に行ってみてきたものは、この高齢化した引きこもりの青年、元青年たちが書店経営をしたり、朝市をしたり、地元商店を支えているという事例でした。実際に出会えば現実味を帯びるプレ就労的な「わーく」の活動を、引きこもりや障害を持った方々に提案できないジレンマが起きています。

武藤氏は社会押し出しと再対応受け入れの人情派ですから、様々な活動事例を公開してくれるものと期待していたのですが、個人情報の守秘義務のオブラートに包んでしまったので、リアリティに欠くものになってしまいました。また就労を「個人の営みに、くくってしまうことのおかしさ」の事前議論が、かけがいのない他者とともに生きる熱情の部分が誤解され、「労組を作って、個人の弱さを克服する」という武藤さんのびっくり発言になってしまいました。つまり事前の話が全然かみあっていなかった、私のことを政治的人間と判断したレッテルの産物と思います。私は確かに政治の世界をくぐってきた人間ですし、宗教になびかない程度の思想の立場を留保する者です。理念の現実化に行動を置かず、活動の中に理念を見る人間です。しかし私は断じて特定の政治的立場を固執することはしません。基準は生きにくさを抱える人の共感です。ここが誤解されたことへの幻滅感を実は抱いています。

県下引きこもり支援の世界はローカルな世界です。「ヤングジョブスポットよこはま」が、「楠の木学園」が委託をうけて支えていたり、「神奈川子ども未来ファンド」が引きこもり支援諸団体と、「アリスセンター」によって支えられていたりという具合に、地域の講演会の情報は一夜のうちに全体に回ります。

今回私が「神奈川子ども未来ファンド」にお邪魔したのは、「わーく」の発行資金を確保するために2社企業回りをして、「母体の活動がどのような公的支援をうけているか」(信用調査)を問われたからでした。茅ケ崎市の「げんき基金」だけでは、うんといわない。これが引きこもり支援の狭い世間の中で、いずれ助成を申請するつもりでいた「神奈川子ども未来ファンド」への直撃は目に見えている(事実すでに呆れられていました)ため、内容をしぼって懇談会ではなく、「わーく」発行活動のみの「支持」という名前をもらいに行ったのです。同ファンドは助成対象が「週2回以上の地域の場の集い」を持つことが条件ですから、助成金は申請できなかったということもあります。

来年4月、茅ケ崎市は協働事業の民間からの提案を受けます。私の活動をはじめとした「協働まち研」押し出し組の活動はすべて提案するように、NPOサポートちがさき経由で市民活動推進課との話し合いで希望が出ています。しかし、今年の市産業振興課の「協働は委託」発言のように、協働事業提案は政策提言ではありえない、つまり自前で活動を広げその勢いに行政が乗っかるというスタイルです。そのためにはあと4カ月、力をつけなくてはなりません。半官半民の就労支援定点づくり「ヤングジョブスポット湘南」作りを支える当事者の活動をしっかり芽生えさせること。企業就労推進を軸というより、当事者による社会的企業活動の推進、地域に居場所をという障碍畑とは逆のベクトルの活動、ごっこ的ではあるけれど社会参加と労働の再構成を各自が行いうる仕掛け(たとえば「わーく」発刊)を生み出し始動すること、これをやっておきたいのです。屋根を作ってつぶれて「おしまい」というような年度末の悪夢も十分にありえますが、自殺行為であろうと土俵際のふんばり時なのです。

神奈川子ども未来ファンドのKさんと話をしまして、「きわめて難しい話しながら」という条件付きで理事会に上げてもらうことにしました。やるなら先手をということ。助成金ではない、「わーく」に「支持」をくださいということです。

「げんき基金」の話が通用するうちに、「わーく」の企業回り・「ショップ」まわり・公的就労情報転載許可を取り付けます。理解されていないのだから動き出さなければ価値が出ない、そう思うからです。

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