2024/07/07 記
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ハッカーさん、こんばんは。あついですね。相変わらず、ボランティアにこだわって、ごたごた書いています。陳謝。
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私は観客という立場が大嫌いで、いっそハッカーさんみたいに、ちょっかいかけたり、野次馬だって名乗っていれば、迷惑な参加だが、困るけれどみとめるのですよ。薮から石投げるとか、表現を収奪して使い捨てていく人は好きになれません。しかし時代に傾向があるとしたら、「観客化」があります。消費社会の消費者の立場が投影されています。消費者の夢の中にいる限り、この傾向は変わらないでしょう。うんざりです。
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相模原の塾の親たちが、毎年の行事にしている平塚七夕見物。今年も行ったとのこと。去年のように、茅ヶ崎経由で帰る途中、我が家が奇襲されたトラウマがあったので、足止めされていた。しかし竜巻は来なかった。安堵すると同時に、ディスコミ疲れ。次はX'mas(相模原内でやってくれ)。
今日一日は、母の小言にさらされながら、家の中。「ガザ日記」と「ケアと支援と「社会」の発見 個のむこうにあるもの」を読むために、読み上げ機と格闘していると、家事介入言い渡され中断、あきらめに誘導されてしまう。この戦い。要は母を眠らせる策略である。黙ることだ。今日は時間切れ。
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母が寝室に入り、都知事選結果チェックしつつ、高校生語りの下地作り、思案。
前に探ったことは、要するに自助の活動は報酬の欠如から停滞する。災害ボラが防災や被災後対策を取り組む時、活動が停滞するのは、一般的に平常性バイアスが足止めするからと語られるが、報酬の原理が効いているのだということだ。現場を見るそのリアルさが露わな必要を覚醒させてくれよう。
短冊に何を書こう。
「視力を返してくれ」かな。
(校正1回目済み)