2024/07/12 記
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ハッカーさん、おはようございます。明日から3連休…関係ないなぁ。小雨の中、母と趣味仲間の皆さんの集まりに、見守り協力の感謝を伝えてきました。母、いやがっていましたが。
高校生世代に向けた防災ボラシリーズ「避難後の乳幼児」、書けなくて弱っていまして、今回はそのとぐろ巻いた思考ぶつぶつ、書いてみます。
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激甚災害の被災時、保育園等の施設からも親元に返された乳幼児は、保育士さんと切れて完全親•家族の庇護の中に入る。しばらくの間、この状態が続く。避難所にいれば、保健師•巡回看護師の巡回があるが、子どもが健康ならば親にすべて保育がのしかかる。急性期・亜急性期は、環境激変と緊張から、乳幼児の発熱・下痢の発症や、乳児返りや不眠・夜泣き・PTSD(心的外傷)・粗暴化などの不安症候群が現れる。
日常の遊びにも、津波模倣や遺体ごっこ、家に見立てた箱破壊など反復再現し、他害が衝動的に現れる例もある。
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こうしたナーバスな状態は、引き受け切れない深刻な体験と同時に、庇護してくれるはずの親・家族に齟齬が生じる伝え切れないもどかしさの鬱積となっている。
親は子の保護と、家族の生活対策・実務申請に引き裂かれる。子に向かう力が分断される。
高校生世代が一青年として、被災環境に向き合うのはどんな場面だろうかと思案しつつ、2024/05/02にNHK-BS1で放送された「クローズアップ現代"それでも輪島で過ごしたい" 輪島高校の生徒たちの4か月」を見直していた。
発災後半月空けずに授業再開した輪島高校。普段と変わらぬ学校風景のあとに「暗い顔していると、みなの迷惑だから」とつぶやく高校生。投稿前、「本当に嫌だから学校に行きたくない」と嘆きを家族にぶつける高校生。管理空間としての学校が浮かび上がっていた。無理し互いに強いられた明るさの中に、個々人の家庭の事情が封じ込められている日々。被災の出来事と不便な日々を語る高校生は、かけらも他者の話題がはいらなかった。みごとにかき消えている違和感をもった。避けているのではなく、関心がないのだ。
災害があって、家族の危機を抱える彼の個的事情はどこにいくのだろう。そこにボランティアという他者と共に生き抜く活動がなりたちうるのか。そういうどうしようもなさを引きずって番組を未終えた。
一方、私が避難所でみた光景は、炊き出しや、幼子とボール遊びをする高校生世代の子たちだった。
休校または帰宅後、出会った場面に参加していたのだ。
そのとき彼は、高校生として参加したのだろうか。手の空いている姉ちゃん、にいちゃんが、てつだったり、思いつきで活動していたのだと思う。一青年として始めるそのこと、個人として活動しうる場面が日常に開かれるこのこと、これがティーンズの災害ボラの出発点だろう。
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では私は何をなすべきなのだろう。
私はこの世代が手伝いを超えてなしうる独自の活動のメニューを書くことだろうか。これは違う。モデルの方が近い。私のヒントから自分でアレンジ、構想していくこと、その提案活動だ。学校とかクラスという枠組みは先行しない活動だ。
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私は発災後の彼らと幼児との出会いは、組織的なものではなく、身の回りに現れる発災によって開かれた出会いの日常場面に、個人または友達集団が編み出す活動の中に登場するものだと考える。そのとき、活動促進の便利屋でありたい。
ナーバスな子を含む幼児交流は、経験者がいたほうがいい。親を巻き込むなら、仲介屋をしてもいい。この関係の絵を描きたいのだ。
(校正1回目済み)