錦帯橋近くに地元民は「しいのうさん」と呼ぶ1626(寛永3)年に創建された「椎尾八幡宮」がある。2代目吉川広正のとき、猿田彦大神と吉川家累代の産土神・駿河八幡宮を現社地に合祀し、椎尾八幡宮と称した。地域の信仰厚く産土神として崇敬されている。旧錦見地区の氏神となっている。33年に1度の神幸祭(次回は2045年)でも知られている。
この神社へ上る石段の石垣に錦帯橋と岩国城を模したと思われる黒い絵が描かれた。この石垣は昭和30年代中ごろに道路新設の時に境内への参路変更で築かれた。この箇所の石段は40数段ある。昨秋、この石垣に長い梯子に上って何か描かれているところを信号待ちしながら見た。完成した黒い絵を見て梯子を使っての作業は大変な動作だったろうと思った。
石垣の道路向かいに「錦帯橋資料館(仮称)」が建設されることでその工事着手が近づいている。当初は市道廃止などで資料館建設は地元の反対で難航したが、見直しで城下町観光の玄関口として、町並みの魅力を発信するとある。黒い錦帯橋と岩国城の絵は、この資料館建設応援かと推し測る。ただ完成すれば一帯の交通混雑を心配する。
私には模写された絵の絵画的価値は分からないが、この頃ようやく見慣れた風景の一つになった。が、まだしっくりした感覚には至っていない。資料館の姿は全く分からないが、石垣の絵が資料館とマッチし、市民、とくに付近の皆さんが心から喜ばれるものになって欲しいと願っている。