日々のことを徒然に

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枯れバショウ

2021年01月22日 | エッセイサロン
2021年01月22日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載
 

 散策する道沿いには夏の間、バショウの葉が青くみずみずしく茂っていた。だが、秋が深まるにつれ葉脈に沿って裂けていった。幅が細くなった。この「破れバショウ」の頃になると、何とはなしに昔を思う。
 祖父母は、庭に植わるバショウの葉がちぎれ始めるのを見て、冬支度に取り掛かった。 
 たどんや炭を使うこたつは3世代の人数分だけ、祖母が準備した。また一冬、家の暖を担う火鉢用の新しい灰作りを始めた。
 当時の家庭燃料はまきだった。これでご飯を炊き、風呂を沸かした。水が冷たくなると使う量が増える。だから祖父は、まき作りに頑張った。軒下に高く積み上げていき、家族を安心させたものだ。
 現代では、想像もしにくい冬本番への備え。自然の営みから季節の変わりを学んでいた。人と自然が共存する、いい時代だった。
 わが家の燃料がまきからLPガスや灯油に変わったのは、昭和30年代半ばである。祖父母は既に他界していた。気楽に冬を迎えることはついに一度もかなわなかった。母は冬になれば、祖父母の苦労を思い、感謝していた。
 冬、寒さ冷たさが増していく。バショウの葉は姿を消す。「枯れバショウ」となる。じっと寒さに耐え、春を待つ。やがて陽光の下、新葉がのぞいてくる。
 私は幼い時分からその変化を見てきた。時代が移っても変わらない大切なものを感じる。目の前の枯れバショウにそう話し掛ける。
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