小江戸さわら舟めぐり

2023-04-10 00:00:39 | たび
佐原は、今は香取市の一部になったが、千葉県の歴史の中では長い間、銚子についで千葉県で二番目の市だったそうだ。

古くは江戸時代には利根川に面した水上交通の中継地だった。日本の舟は江戸幕府の方針で外国まで行けないように小さくて底の浅い構造だったので陸地から離れられない。そのため北日本から大消費地の江戸との貨物の輸送には銚子から房総半島を回らず利根川に入り、江戸川との分岐点の関宿(せきやど)から東京湾に向かっていた。

現在でも房総半島の最南端の野島崎は船員にとって緊張する地点になる。野島崎から西に向かう角度は鈍角だが、北上する場合の角度は鋭角になる。しかも船は大きく曲がるのが苦手だ。荷崩れだけならともかく横転したら終わりだ。そのため利根川水路が好まれたわけだ。

そういう事情で川越と同じように「小江戸」と呼ばれてきた。現在では川越は各種電車で数十分という近さから「思い立ったらすぐ行ける」場所だが、佐原はなかなか近くない。船で行くわけにはいかない。鉄道も不便だ。



ということで、特に雨であったこともあり閑散としていたが、韓国からの団体旅行客が結構いたのだが、あまりにうるさいので、時間をずらして佐原の水路を平底の舟で巡ることにする。伊能忠敬の旧宅の前から船に乗る。雨の時には屋根付きになるのだが、浅い川の上には橋がかかっていて大小高さの違う橋をくぐるため屋根の高さが変えられるようになっている。



観光船といえば、毎年のように事故があり、保津川下りの転覆事故の時には船頭二人が亡くなり、乗客も救命胴衣の使い方で戸惑ったようだ。

佐原の場合、そもそも深くないとか流れが緩いとか幅が狭いといわれるが、川底の位置はわからないし、底が浅くても泥沼状だと浮き上がれない可能性もあるのだが、舟に積まれた救命胴衣は、固形式、つまり発泡スチロールの板にカバーがついているものだった。普通はこれのはず。最も安全だ。最初に着用するわけだ。仮に落水すると、胸の位置が浮き上がるようになり自然に気道確保される。

欠点は、動きにくいことと、保管場所を取るため、舟に乗れる人数が減る可能性がある。

救命胴衣には、この他に膨張式というのがあって水に浸かると自動的に圧縮された二酸化炭素が救命胴衣の中に噴き出して拡がる方式があるが、水を感知する仕組みがデリケートであることと、岩場だと、救命胴衣が岩に擦れて破れることがある。さらに救助までの時間が長いと空気漏れしていく。

保津川の場合、さらに自分で紐をひく方式だったので、最も危ない。落ちた時の衝撃で気を失うこともあるし、落ちた瞬間には水面下に沈むので紐が引けるかどうかだし、水を飲んでしまう。



話を舟めぐりに戻すと、実は眺めはそう良くはない。視野が狭いわけだ。低いところから高いところを見るということ。景色を楽しむには上から目線の方がいい。舟めぐりをしている人を川岸から眺める図がいいのだろう。

案内をしている人から聞いたのだが、次の日には「嫁入り舟」の仕事があるそうだ。そういえば倉敷でもやっていた。新夫妻が船に乗って、被写体になるわけだ。

葬儀舟もあるのかと聞きたくなったが、ぐっと我慢する。突き落とされても代わりの衣類は用意していないし。