黄金の○○

2013-05-15 00:00:34 | 投資
最近、金価格がダレ気味なのは、金よりもハイリスク投資に人気が集まっているからなのだろうが、といっても長期的には、「ドルや円は、刷ればいくらでも作れるが、金はそうはいかない」といった理論があるので、まあ堅実投資なのかもしれない。

一方、古来より世界各国での言い草なのだが、『黄金の○○』といった表現がある。『黄金比率』、『黄金の時代』、『黄金の翼』、『黄金の時代』などだ。『ゴールデン・ボーイ』、『ゴールデン・ブリッジ』・・・(冷蔵庫の中には、『黄金のタレ』もあるし)。

そして、それらの慣用句に新たに加わったのが、『黄金の左足』。

もちろん、有史以来最高のサッカープレーヤーと言われるリオネル・メッシ。アルゼンチン出身でFCバルセロナ所属。FIFAバロンドールを4年連続で獲得中。そのすさまじい記録は各自確認していただければいいのだが、その効き足である左足は、その価値をおカネに換算することなどできないはずなのだが、なぜか突然に売りに出された。

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田中貴金属が何を考えたのかは不明だが、成形樹脂の中に素足を入れてもらって、型枠を作るという超古典的な方法で原形通りの実寸大のオブジェを完成させた。指紋や血管まで再現したそうだ(水虫はなかったのだろうか)。そして、世界でただ一つだけを製造するという条件で、この実寸金無垢メッシ足を売りだしたわけだ。重量は25キログラム。

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そして、その価格は、

4億9500万円。あるいは、5,250,000.00USDだそうだ。

実際の金相場は1キログラム500万円程度だから25キロでは1億2500万円分の金である。ちょっと割高かもしれない。

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そんなケチな人のために、限定100個ということで、その1/2サイズのオブジェも売りだされている。純金製だが重さは100グラムということで、中は空洞なのだろうか。アルキメデス先生に鑑定してもらった方がいいかもしれない(金無垢だったら1/8の重さになるはずだから)。金100グラムの価値は50万円程度だが、こちらの販売価格は396万円と、安い半面割高感がある。締め切りは6月6日ということだそうだ。

ところで、メッシの左足の次は、村上春樹の右手オブジェとかだろうか。

無法松の一生(1943年公開)

2013-05-14 00:00:20 | 映画・演劇・Video
オリヲン座からの招待状』の中で、映画人たちがこだわり続けた名作が『無法松の一生』だった。


『無法松の一生』には、いくつかのリメーク版がある。この1943年(昭和18年)10月28日に公開された第一号作がその原点のようなものだろう。伊丹万作脚本、稲垣浩監督である。この年、既に太平洋戦争は敗局に向かい始めていた。ガダルカナル、山本海軍大将殉職。しかし、国民の前には、その後退を深い霧の中に隠そうという明確な国家的な作為があった。

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小倉の車引きである松五郎(無法松・坂東妻三郎主演)と高級将校の未亡人(園井恵子助演)との恋愛をベースに組み立てられたこの暴力的な映画が、検閲から逃れられるわけもなく、松五郎からの愛の告白シーンが約10分カットされたそうだ。しかも、戦後になって劇中に登場する軍歌がいけない、とGHQに指摘され、8分がカットされる。どうも1時間25分と短い上映時間はそのためなのだろう。

そして、映画の話だが、非常に巧く作られていて、稲垣浩の映画に対する愛着というか研究というか際立っている。ヤクザの街、小倉らしく全編に不条理が支配する映画ではあるも、死体が一体も登場しないのに、重要人物が亡くなっていくところの画面の切り替えなどもすばらしい。

そして、『オリオン座』でも、そのシーンでみんなが泣いた祇園太鼓の乱れ打ち。


カットだらけにされた悔しさか15年後に稲垣は本作をリメークし、ベネツィア映画祭で金獅子賞を得、「トリマシタ ナキマシタ」と打電した。1945年8月6日、32歳で広島で受難した故園井恵子へ伝えたかったのだろうか。

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主演はもちろん当代きっての人気俳優坂東妻三郎だが、重要な子役が二人登場する。一人は未亡人の一人息子で沢村アキヲが演じている。当時11歳。後に長門裕之と改名し、映画界の中を自由に泳ぎ出す。もう一人は松五郎の子供時分の回想シーンで登場する少年。登場時間は短いが、これが自然体の名演である。長門裕之少年の方は、まだギコチナイ感じだ。実は、その少年は何者なのか皆目糸口がつかめない。長門裕之少年の方は、2011年、77歳で他界したのだから、もう一人の少年が存命なら80歳位だろう。本映画関係者の最後の一人ということになるのだろうが・・・

ベルリン空輸回廊(ハモンド・イネス著)

2013-05-13 00:00:49 | 書評
謀略物といえば、なんといっても英国人作家の得意技なのだろう。30冊以上の謀略小説を書いたハモンド・イネスの初期の作品『ベルリン空輸回廊』を読むと、第二次大戦後の冷戦下での国家対立と、個人的野望のためには手段を選ばない冒険的企業家の行動がほどよくバランスした作品である。

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場所は、西ベルリン。東ドイツの中にある西側の飛び地である西ベルリンへの陸路をソ連が封鎖してしまい、西ドイツから西ベルリンまでの物資の輸送が、すべて空輸になった時代がある。

一方、ドイツが戦時中に開発していた低燃費の航空機用のエンジンを、設計図の盗用により復元して一攫千金を狙う人たちがいる。

そして完成した二基のエンジンを取り付けられた機体は、不運にも最初の飛行に成功したものの、あれこれあって胴体着陸の結果、エンジン以外の機体が大破してしまう。

そこで悪漢たちが考え付いたのが、ベルリン空輸に従事している飛行機を墜落したことに装い、そのまま強奪して別の場所に強制着陸、機体ナンバーを書き直してから新型機として使ってしまおうという大犯罪である。反対するものは、飛行中の機体から放り出してしまうという悪辣ぶりである。

で、最後は、「悪いものは滅びる」、という結果となった。

文庫本の表紙に描かれた飛行機の絵は、片側の翼にエンジンが2基取り付けられていて、合計4基(4発)と推定できるが、小説の中ではエンジンは二基しかないのである。読まずに絵を描いたとしか思えない。

マンローと日本考古学

2013-05-12 00:00:40 | 美術館・博物館・工芸品
二ール・ゴードン・マンロー(1863~1942)という名前を知っているだろうか。いわゆる明治政府による「お雇い外国人」の一人だが、多くの外国人が10年前後の滞在で、その後、母国に戻っていたのに対し、マンローは、長く日本に在住。日本に帰化した上、北海道で亡くなっている。

横浜市歴史博物館で公開中の『マンローと日本考古学』(~5/26)では、彼の人生を中心に、日本での考古学の歴史とその業績がまとめられている。100年前の個人史をかなりの熱意をもって調査、資料収集が行われている。

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まず、マンローは何のために日本に来たのか?という点がよくわかっていないそうだ。なにしろ彼を有名にしたのは考古学で三ツ沢(横浜)遺跡をはじめ九州や長野、北海道の発掘調査を行っている。ナウマン象の名で知られるナウマン氏は化石発掘の専門家だが、マンローは医者なのである。25歳頃、ダーウィンの出身校として有名なエジンバラ大学を1年留年して卒業している。

そして、船医として、英国からアジアに向かう客船に乗っていたらしい。そして1891年(明治24年)、マンローは28歳で日本の土を踏んでいる。

そして、彼は30年以上を横浜で暮らし、三ツ沢貝塚を掘り、弥生遺跡の下に縄文遺跡が二重構造になっていることを発見するとともに、その中に「アイヌ」の痕跡を多数見出すわけだ。

つまり、まさに現代の日本考古学がついに辿りついたアイヌ→縄文→弥生という関係を見抜いていたようだ。

その後、彼は軽井沢に転居。彼自身は関東大震災の被害は受けなかったものの旧居のある横浜に駆けつけたものの留守宅に残していた貴重な資料の多くは灰燼と化してしまったようだ。

最晩年にマンローが選んだのが、北海道の二風谷(にぶだに)。ここでも、医院を開業する一方でアイヌ遺跡の発掘を続けている。なんとなくわかるのだが、縄文土器のデザインこそアイヌ式を洗練させて到達したような感じである。

なお、マンロー氏は日本では、小金井良精氏と親密だったようだ。この小金井氏の孫が星新一で、彼がマンローのことを触れた部分があるそうだ。昭和17年と言えば太平洋戦争が始まったころであるが、当局からスパイではないかと疑われる一方、日本が孤立化を進めていった時代である。このため、海外から日本への送金がストップすることになり、博士は栄養失調でなくなったと断言されている。現代にもそういう国はある。

右寄りの男と対決

2013-05-11 00:00:19 | しょうぎ
かなり時間が経ってしまったけれど、4月13日に東京武道館で行われた将棋職団戦のこと。

5人一組の団体戦で、半年前の大会では、3回戦で敗退したため、前のクラスで出場と思っていたら、直前情報で、上のクラスへの昇級となっていた。前回負けた相手が優勝したからなのだろうか。あるいは参加チームが激減した結果の消去法的ラッキーなのだろうか。まあ、理由はともあれ昇格した椅子は、とりあえずキープするしかない。

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まず、開会式。いつもならば、将棋連盟会長があいさつをするのだが、今回、谷川会長は欠席。うっすら流れている情報では、前会長逝去の後をついだばかりだが、早くも次の会長選挙では会長の椅子を横取りされそうとの噂がある。票固めに奔走中で多忙ということだろうか。


で、一回戦だが、私の前の席に座った人物だが、一見してかなりの厚着である。春だというのに見えるだけでも5枚も重ね着している。一番外側にブルゾンで、その内側は黒皮のベストである。みかけは防弾チョッキのように見えるが、そんな危ない人は、こんなところに来ては困る。

そして、駒を並べ始めて気が付いたのだが、駒の位置が枡の中央じゃない。すべて枡の右側の線に合わせているわけだ。

よく、駒の位置が前とか後ろとかで、相手に心理を読まれるのを嫌がって、駒の下の辺を枡の下側の線に合わせる人は知っているのだが、右寄せに並べる人を見たのは初めてである。極右勢力か。

で、対局は右寄りの人らしく、序盤から技を掛けてくるのだが、基本的に、売られた喧嘩は買わない方針なので、全部封じ込んで、反撃に出る。まずは遠目で見えにくい詰めろを掛けるところから始めるが、相手が見逃してしまい、11手詰がさく裂してしまった。

開始15分で終わってしまったので、場内をブラブラしてパノラマ撮影などするが、時間を持て余してしまう。


というよう弛緩タイムがあった結果か、第二戦で大苦戦となる。序盤の趣向指しが空を切り、その後、陣地を追いつめられるが、ジッと我慢しているうちにチャンスはあったのだが、そのつど運がなかったというか返し技が存在して、逆転には至らず、ついに詰まない玉を詰めにいかなければならなくなり無念。チームも敗退。1回戦は通過しているので、降級もないだろう。

さて、3月23日出題作の解答。

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最後はぐるぐる回り。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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久しぶりの出題なので、短編で。5月5日にLPSA詰将棋カレンダーに掲載局。

短編作である。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

デミカツドン

2013-05-10 00:00:43 | あじ
岡山というと食べ物で有名なものの一つに、デミグラスソースがあるそうだ。と、書くと、「そんな話、聞いたことない!」ということかも知れないが、どうも、つい最近のことらしい(ということにしておく)。

倉敷にあるショッピングモールの一つにあるテイクアウト型レストランに、『城下町』というトンカツ店があって、そこが、ご当地名物の「デミかつ丼」を出している。

まあ、完成写真を見れば、およその味の見当は付くのだが、確認の意味も含め、注文してみる。

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さらに、この店の特徴として、調理中のトンカツを店外にあるモニターで確認することができること。要するに揚げている鍋を上から映しているわけだ。

「マイカツ確認」ということ。

確か調理場をモニターで公開するというのは、韓国で流行っていたような気がする。狂牛病の時からだったか。日本のとは意味が違う、というか日本のは意味不明。

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そして、ついに待つこと10分。完成である。

一言でいうと、ソースカツ丼のソースがデミグラスになったことだろうか。まさに、予想通りである。


ところで、デミグラスソースだが、正式にフランス語で読めば、ドミグラソースとなるらしい。そうなると、デミ丼ではなく、ドミドンになってしまう。ミサイルみたいな感じになる。

多崎くんは、ワタナベ君の親戚か

2013-05-09 00:00:38 | 書評
tsukuruいまさら、村上春樹の新作について書いてもしょうがないかもしれないが、一応小説は全作品を読んでいるので、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という長すぎて色々と困ることが多い題名の小説について。

読んですぐに気が付いたことがいくつかあって、順にいうと、『ノルウェーの森』の後編というか、書き直しというか類似があるように感じている。

まず、高校の時の男女5人(男3女1)のグループが、その後バラバラになっていくというのは、ノルウェーでは3人グループだった。ノルウェーではワタナベ君というのがいて、やや優柔不断型で人生の謎をそのままにしてしまうタイプで、今回の多崎つくると兄弟みたいによく似ている。

白根さんは、ノルウェーでは直子にあたるのだろうか。途中で退場するのだが、その理由は、読者に対してははっきりとは語られない。

ノルウエーを思い出してもらうとわかるが、ラストシーンで本編が国際線の機内での回想であるということに帰結するのだが、『多崎』でも彼の自分探しの旅の途中で重要なことを機内で発見する。一般に若い人による自分探しの旅は青い鳥を見つけることができないのが常だが、多崎が探しているのは灰色のケダモノである。あるいは彷徨う霊魂。主を失った六本目の指?

何かを見つけられるのかどうかは、読者が次を自分で考えなければならないが、そのためには、灰色の親子を探す旅に出なければならないのだが、なんとなく付き合いたくない精神トリップになりそうだ。

ところで、この手の小説は自分でも書けるような気がする。なんだか謎めいた記憶は沢山あって、記憶の中に事実なのか夢なのかはっきりしない黒い塊がたくさんある。もっとも、現実的に暗闇とか無人の廃墟とか、屋根裏に潜り込んだり覗き込んだりすることが好きで、そういうところには、世界のどこにもつながっていない(つまり言葉や記号化することができない状態)ゾーンが結構多い。

もちろん、夢であってほしいという現実もあるのだが、そろそろ自分史の中の古文書類なども紐解きはじめているのだが、存在してもらいたいものは存在しないし、消えてなくなってほしいものほど、他人がよく覚えているものだ。

そして、色の問題。この小説は登場人物に白とか青とかの色の入った苗字が当てはめられているのだが、そして重要な役割を与えられている(後半の方ではそうでもない。作者の気が変わったのだろうか)。外国語に本小説を置き換えることは極めて難しい。例外なのが、日本を仮想?敵国にしている国の人。もうノーベル賞のために、翻訳しやすいように書くのはやめたのだろうか。


ところで、村上春樹の小説を読んだ後、登場人物のことなんかが夢の中にあらわれて、勝手に後編ができてしまうことがあるのだが、今回も、自分の過去の人名録の中から色の苗字の人たちが夢の中に登場した。(亡霊みたいだが、亡霊は蛇なみに嫌いだ)ただ、抜けている色もあるので、基本カラーについて思い出してみた。一応、実名。

 赤井君・・高校時代の同級。成績優等生みたいな感じだが、実際には全然違う。
 青島君・・大学のゼミ。東海地方のマスコミに就職。
 みどりさん・・数人知っている。美人かその対極かのことが多い。
 黄先生・・黄の字のつく人をやっと思い出す。虎の門病院の整形の先生。小指のX線写真を写した記憶がある。
 紫という字について記憶整理に手間取っていたのだが、ついに思い出したのが、自分のこと。以前、「村崎真吾」というペンネームを使っていたことがある。「紫」では有名すぎる大衆女流作家のマネになる。もし、大作家になっていたら、図書館では春樹、龍の後に並ぶはずだった。

そういえば、ノルウェーじゃなくフィンランドに以前の友人だった女性を多崎が探しにいくシチュエーションになっていて、私の同級生の女性もフィンランドに住んでいるので、何か共通点でもあるかな、と思っていたが陶器を焼いたりはしない。10年ほど前に日本で再会したが、単におしゃべりで酒飲みだった。小説性はない。

阿智神社のこと

2013-05-08 00:00:06 | 市民A
倉敷に住むことになった以上、払うべきものは住民税と言いたいところだが、年度途中での移動については前の住所がカウントベースになるので気にしないことにするが、地の神社については初詣しないとまずかろう、ということ倉敷美観地区裏手の丘にある阿智神社に登る。

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この地に「アヂ」という漢人が住み着いたのが4世紀ごろで、その後、日本形式の神社になったらしい。

なにしろ、関東に居住していた時には、歴史は簡単だったのだが西日本の歴史は大変で、細かな場所に数百年を超えた名所が重なり合うように存在していて、部外者が適当なことを書くとクレームの山がやってくる。

で、1700~1800年の歴史を持つ神社なのだが、神社を代表するポストである宮司も責務をを負うのは、どうも女性らしい。男性資格者がいたのであるが、何の因果か男性血縁者は日本では有名な航空会社に勤務していて相続に興味はなかったらしい。

実は、その男性航空会社社員は、ほんの数年前に神社から1時間内にある岡山空港勤務の辞令が出て、実際に勤務しているそうだが、その話題は、追わないことにする。


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ついでに、神社本殿の裏手に、筆塚というのがあって、使い古した筆をお賽銭とともに納めておくと、達筆で鳴らしたイザナギノミコトとイザナミノミコトのご加護があって、書道あるいは絵画が上達するということらしい。(つまり文字のある国から神様達がきたということなのだろうか)

念のため、収納ボックスの中を覗いたところ10本の筆を確認することができた。予想に反し、ボールペンは存在しない。筆といえば体の一部に常時一本を付帯しているのだが、新品に変えるわけにはいかないが、二礼二拍手一礼だけを執り行ってみた。

再開!

2013-05-07 00:00:46 | 市民A
1か月超の休載も、ついに再開することに。

心機一転、まったく異なる形態を考えようかとも思ったものの、面倒が先に立ち、当面、今までの踏襲でスタート。

で、まず近況から。

岡山県の倉敷市に狭隘な北向きの仮寓(1LDK)を賃借。理由:倉敷市の会社に移ったから。実際には、各地に支店もあるし、都心の会社にも仕事があるので、首都圏(東京・横浜)と倉敷の間を、行ったり来たり往復運動となるものの、移動手段をなるべく新幹線にして、読書タイムを確保するつもり(今までは通勤電車で読書をしていたのだけど、今回はクルマ通勤なので、通勤中は音楽タイムに変更)。

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それなら、倉敷をベースに西日本探索にうつつを抜かせばいいわけで、たとえば、前々から行こうと思っていた山口県内の長州藩の関係各所。兵庫県の山中に眠る竹田城なども、3時間程度なので、リストアップ中。

ただし、東西往復運動に加え、8ヶ月前に倒れた寝たきりの父親を横浜に残していて、さらに、父親が持っていた数か所の住宅の掃除や庭の草むしりなどに忙殺される可能性もあり、さらに週末は仕事上のGOLF接待なども仕掛けなければならないはずで、そうなると単なる『倉敷ご当地blog』に落ち込むかもしれないし、まあ未来のことは不明ということにしておきたい。

それで、まだ1か月だけど横浜と倉敷というのは、かなり市民意識が似ているようなところがあるように思っているのだが、そこらは、おいおいに。

とりあえず不満があることとしては、クリーニング代が高いこと(Yシャツ200円)と、ネット環境が高いこと(なんとか安いコースを速く使えないか苦慮中)。

では、おいおいで。