「猫を抱いて象と泳ぐ」(小川洋子著)

2011-09-09 00:00:31 | 書評
小説「猫を抱いて象と泳ぐ」は小川洋子の小説である。ここ数年、小川洋子の小説を1年に3作ほど読んでいる。このペースならたぶん、十年ほど後に、最新刊に追いつくのかもしれないし、突然飽きてしまうかもしれないし、その他の不吉な可能性だって否定できない。

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ストーリーは実に荒唐無稽としていて、たぶん日本のどこかの地方都市の少年が、さまざまな心の傷を「デパートの屋上で一生を過ごした象のインディラ」、「壁の隙間で干からびた少女=ミイラ」、「廃バスの中に住んでいた、猫のポーン」、「ミイラの肩の上にいつも止まっている鳩」。夜のプールで溺死したバス運転手。そして、「マスター」。そういう想い出に包まれながら、少年は、チェスの伝説になっていく。

もちろん、日本ではチェスを指す人はそう多くないので、海底チェスクラブで働く彼の仕事ぶりをイメージするのは、いささか難しいのだが、そこは小説家である。作家自体がチェスの名人であるかのごとく、表現をふくらませる。少年チェス大会の賞金を、賭けチェスにつぎ込んで、さらにおカネを増やしてしまうところなんか、ニクイ。

「賭け」は盤上に詩を作れないということだ。単におカネ儲け。現代の将棋のプロだってそうだ。たいがいはおカネに辛いわけだ。

ところで、本作を読んでいて強く感じたのが、「シャガール」の影響。もちろんシャガールは画家である。小川洋子が絵を描くわけでもなく、シャガールが小説を書くわけでもない。

が、この小説の中に背後霊のように動物や過去の思い出が浮遊しているというのは、まさにシャガールである。

なんとなく、読むのにも体力が必要な小説である。