長野発TOKYO行き最終電車

2011-09-08 00:00:05 | 市民A
mm本ブログで何度も紹介している「丸山みゆきさん」のこと。

 「ジャズシンガー丸山みゆきの誕生(1)

たまたま、自宅の音源の整理をしていて、思い出すように引退歌手のその後を調べ始めたところからなのだが、およそ引退後のことがわかり始めた頃に、本人が長い冬眠から目覚め、地味に郷里長野で歌手活動を再開。

そして、活動を始めたことを、今さらながら気付いたのが「日刊ゲンダイ」ということで、8月24日(25日号)に、ちょっとした記事が首都圏、阪神、中京地区で、紙面に登場した。実は見開きの隣のページにはAKB48の高橋みなみさんの写真集の広告があって、ちょっと42歳には辛いところもある。が、まだ女性の平均寿命の48%なのである。まだまだ・・

ちょっと長いが、日刊ゲンダイのホームページ「あの人はいま」では、記事の全文が記載されていて、

「スクールウォーズ2」のオープニング曲「FIRE」で知られる丸山みゆきさん

山下真司、岡田奈々コンビでヒットしたラグビー学園ドラマ「スクール☆ウォーズ」(TBS系)。同じ2人による90年の続編「スクールウォーズ2」も評判になった。本日登場の丸山みゆきさんは続編のオープニング曲「FIRE」を歌って注目されたアイドル歌手。今どうしているのか。

「2年前に歌手活動を再開しました。今はジャズをメーンに長野市南千歳のクラブ『土儘(どじん)』で週1回の定期ライブを行い、あと、ギタリストの角田忠雄さんのサポートを得ながら、長野県内のライブレストランや音楽イベントに出演しています」

長野市内の老舗ジャズカフェ「グルーヴィー」で会った丸山さん、まずはこういった。この日はライブがあり、ジャズのスタンダードナンバーに加え、映画「シャレード」の主題歌や水原弘の持ち歌「黄昏のビギン」など計10曲を歌った。

「きっかけは飯綱高原で開催されたコンサートにゲスト出演し、11年ぶりにステージに上がったことでした。それまで歌は完全封印してたのに、そのお話をいただいた瞬間、無性に歌いたくなりましてね。40代になり、ひとり娘は小学5年生。そんなに手がかからなくなった。で、ようやく心に余裕が生まれ、過去を吹っ切ることができたんだと思います」

昔よりもやせた印象だ。「家庭的にはシングルマザーですからね。まあ、いろいろ苦労はありました。結果的にそれが今の糧になってるわけで、いい人生勉強させてもらったということでしょう」

さて、長野市生まれの丸山さんは幼い頃からピアノやバレエを習い、13歳で文化放送主催のオーディション番組「全日本ヤング選抜 スターは君!」でグランプリを受賞。高校中退後の85年、本名の「丸山美由紀」で歌手デビューした。だが、89年、版権問題で活動休止。同じ年、「丸山みゆき」で再デビューした。

注目を浴びたのは90年3月にリリースした「TOKYO」。70年代のフォークソングブーム時代に活躍した「マイ・ペース」のヒット曲のカバーがスマッシュヒットに。また、その年の9月から放映された学園ドラマ「スクールウォーズ2」のオープニング曲に彼女が歌った「FIRE」が用いられ、売れっ子歌手になった。ところが、その後はヒット曲に恵まれず、家庭の事情もあって98年に引退、帰郷。歌手時代から交際していたミュージシャンと結婚したが、愛娘が生後9カ月のときに協議離婚し、現在は実母と3人暮らしだ。

「それからは5年ほどOLしたり、リンパマッサージを勉強してサロンを経営したりと、音楽とはまったく無縁な生活を送ってました。カラオケすら行かなかったですね」

去年9月、「グルーヴィー」でライブをした際、「インターネット検索で見つけた」というファンが東京から駆けつけた。

「90年に発売したアルバム『夢を見てますか』を持参してくださったんです。ホント、サプライズもサプライズ、驚きました。と同時に、ファンのありがたさを実感しましたね。今は長野限定のローカル歌手ですが、いずれは東京や大阪、名古屋などでも歌っていきたいですね」

8月26日に長野市内のライブレストラン「ボッサ」(19時~)と「土儘」(21時~)、27日は同じ市内のライブレストラン「ラ・ペーニャ」でライブを予定している。
(日刊ゲンダイ2011年8月24日掲載)


歌っていなかった時も、それなりに充実していたことは、わかっていたのだが、結婚、離婚していたことはよくわからなかった。記事中にシングルマザーという表記があるが、普通は、結婚しないでこどもを産む時に使う用語で、離婚した場合には使わないように思うのだが、最近は使用用途が増えたのかな。


「長野限定のローカル歌手」が「いずれは東京で・・」というくだりは、案外、遠くないような気がする。最近、レコーディングまでしたということなのだけど、ジャズだけではなく、以前歌っていた曲というのは、権利の問題とかで歌えないのだろうか。本人が作詞をした曲もあるし、なにしろ当時CDをリリースしたTDKコア社はM&Aによってコロムビアミュージックエンタテインメントの子会社になり、2008年2月には社名もクリエイティヴ・コア(株)と変更になっている。CD事業はクラシックとか落語といった部門に限定されているようだ。所属会社の問題とか、別れた元亭の問題とかもあるのだろうか。


日刊ゲンダイの記事の中には、20年前のCDを東京から持参したファンにビックリと書かれているけれど、私は6枚のCDを集めたし、もっとすべての活動記録を集めている人がいることも知っている。

彼女のヒットの一つである「TOKYO」では、

 何も思わずに電車に飛び乗り
 君の東京へ 東京へと 出かけました
 いつもいつでも 夢と希望をもって・・


tokyo


もう一度、東京で歌う時が来れば、と、ちょっと応援。自分が探していたものが、何となく現れて、さらに元気印で活動始めるって、その成否はともかくとして、・・・ 嬉しい。


それで、新たに探したいものはいくつかあるのだけど、現実に生きている人を探すと、いろいろとやっかいなことが起こるし、と・・