スーツ店で

2011-09-15 00:00:59 | マーケティング
カーディーラーでリーフの試乗をした後、自宅近くにオープンした「銀座山形屋」に寄ってみた。

ただし、銀座山形屋はスーツの仕立屋さんである。お歳暮用の海苔の缶詰の会社じゃない。余計な話だが、おおた家の祖先は山形屋という屋号の海産物問屋だったらしい。現在まで続いていれば、商標侵害で海苔の山形屋を訴えて小金を得ることができたかもしれないが、100年以上昔に廃業している。

そして、スーツ屋って、突如不況業種になったわけだ。

街角にあるテーラーAも、紳士服量販店Bも、デパートに出店している有名ブランドCも、とにかく「クールビズ」から「スーパークールビズ」への流れの中で構造不況業種に落ち込んだわけだ。

ここで、思い出すと「クールビズ」って、どうして始まったのかというと、元はと言うと小泉純一郎に遡る。2005年。地球温暖化防止を表向きの目的として、小池百合子環境大臣と組んで実施する。チームマイナス6%というのもあった(今、思うと不吉なネーミングだ。やはり「マイナス」というコトバはダメだ)。

実際は、小泉構造改革の「踏み絵」代わりになっていて、そのまま夏の総選挙に突入し、踏み絵を踏まない議員の多くはサヨナラとなる。

で、今度の「スーパー・クールビズ」の原因は言うまでもないが、スーツ屋には何も関係も何の罪もない事項である。

で、山形屋というのはオーダー・スーツ店である。だいたい高い。売りにくいわけだ。あえて暗闇の中に光明を探せば、『円高』。輸入生地が下がっているのか下がっていないのか。

店員の方に、この夏の景気を聞くと、やはり「悲惨」だったということらしい。

 「ネクタイは全滅でした。」
 「長袖シャツも全滅でした。」
 「半袖シャツは既製品ばかりでした。」

とのこと。

では、主力のオーダースーツは、というと、「なんとかやっている」とのことらしい。

早い話が、オーダースーツの世界というのは、とっくの昔から「固定客の世界」とのこと。

一つは、ちょっと立派な生地を着たい人用である。量販店であっても、高級生地の場合、それなりの価格だし、やはりボタンの質感などはオーダーにはかなわない。かといって、山形屋というのは、オーダースーツの広域店であるので、ある程度の規模のメリットが働く。


もう一つの固定客が、「非標準体型の方々」。このカテゴリーには大きく3パターンあって、

 1)体の大きな人
 2)スポーツマン
 3)でぶ(またはメタボ)

ということになる。

この分野について、詳しく書く気にもならないが、厚労省による「メタボ退治」が広まると、さらにこの業界のマイナス要素となる。


そして、どんな人たちが、この店を訪れるのか、しばらく店内にいたので、観測してみると、この店では2パターンだった。

 1)有名人
 2)有名スポーツマン

ところで、円高効果についてだが、生地についていうと、安い方の生地の国籍は「不明」である。ウール100ではなく、ポリが混じっている。

高い方になると、概ね三か国になる。展示されている生地の国籍比率は、英国40%、イタリア50%、フランス10%といったところである。安くなっているのかどうかわかるほど通ってないので何とも言えない。女性用のスーツも扱っているが、1時間の間にお客さんはゼロだった。

考えてみれば、夏は、オフシーズンということなのだろう。(もう9月だが)

リーフで疾走

2011-09-14 00:00:54 | マーケティング
電気自動車リーフがあまり売れていないようだ。理由はよくわからないが、高いことと、節電ブームでなんとなく、ということだろうか。

たまたま日産のカーディーラーに行ったら、リーフの試乗車があり、強く勧められたので、さっそく運転席に座る。そしてF1モナコグランプリのように公道をサーキットにしようと飛び出そうとしたのだが、うまくいかない。どうやって動かしたらいいかわからない。

leaf


「一度、降りて下さい。」

どうも狭い駐車場の中で、車をぶつけたら困るようだ。凹んでもディーラーならすぐ直せそうなものだが。

「まだ充電ケーブルが付いたままです。」

「おおたさん。一緒に同乗させてもらいます。」

まるで、教習所だ。

「スイッチは左下にあります。」

押すと、パソコンの電源みたいな感じで立ち上がる。わずかにエアコンのコンプレッサー音だけが聞こえる。

「ギアはバックとドライブだけで、ドライブを二回押すとエコモードになります。ギアの真ん中のボタンは後輪パーキングで、走行中に突然それを押すと急ブレーキが効いて大変危険です。」

「フロントパネルの右側には走行可能距離が表示されます。現在は148キロです。エアコンを切り、エコモードに変えると20キロほど伸びます。フロントパネル上部には、使用電気量が表示され、逆に左側が点灯すると回生エネルギーが充電され、走行可能距離が延びます。」

まあ、こんな感じだ。

座席の位置を変えるには、古くからの手でレバーを操作するタイプ。背もたれの角度調整もレバーでガクガクさせるのだが、段数が少ないような気がする。窓を開けるのは、さすがに手回しではなく電動だ。

ペダルはアクセルとブレーキ。ちょっと小ぶりだ。ハンドルは白っぽい革張り。何の皮だか不明。白ヤギさんかな。ワニとか蛇じゃないのは確実。

それで、教習所の先生と同乗して公道走行を始めるのだが、またも注意を受ける。

「コースは指示します。左回りでお願いします。」

右折禁止だ。相当の貴重品扱いだ。40キロでそろそろと走るが、電気自動車ということに限らず、ハンドルの軽い前輪駆動車に乗るといつもしばらく違和感がある。カーブで曲がるときのGが読めないので、カーブに入る時と出るときの角度と速度に自信がなく、そのためアウトサイドインでコースを攻めきれない。(というか市街地はいつも渋滞しているし、パトも徘徊している)

で、教習所の先生の指示をうっかり聞きそこなった振りをして、幅の狭い曲がりくねった旧道へ入ってしまう。しばらくUターンできない。そういうところに限って速度制限が60キロだったりする。

「おおたさん。スポーティに運転しますね。ちょっと砂ぼこりが・・」

「おおたさん。エコモードにしましょうか」

エコモードというのは、コンピューターが考えてくれるエコドライブである。つまりアクセルを無駄に踏んでも電気やガソリンが供給されないようになっていて、トロトロと走るわけだ。まったく嫌なモードだが、そういうのがすべてのクルマに導入されるようになるのだろう。さっそくエコモードを解除し、ドリフト走行を試す。タイヤが新品で、かつ太いので、かなりの無理がきく。対向車がいないことを確かめて、蛇行する区間で、法令の許す限りのコース取りをして走りぬける。依然としてクルマの後ろには砂ぼこりが舞い上がっている。

「おおたさん。すぐに電気なくなっちゃいます」

ゼロエミッションだ。

しかし、このクルマ、人気の的のわけだ。すれ違うクルマから、熱い(あるいは冷たい)視線を浴び、歩行者もこっちを見ている。教習所の先生もずっと監視している。

そして、左回りのドライブが、やっと終わると同時に、直ちに次の充電が始まったわけだ。

「じゃあ、見積もり書きます。」

!400万円!これには取得税と重量税がゼロ円というのも含まれている。

そして、補助金がある。国の補助金が78万円。神奈川県の補助金が39万円。さらに横浜市の補助金があって、130万円くらいがマイナスになる。メイドイン神奈川車だそうで、神奈川県民には有利だ。自動車税も5年間タダになる。値引きはゼロ。どうも値引きをすると補助金が受けられないそうだ。

で、差し引き270万円ほどになるようだ。まあ、新車時270万円の車に普段乗っているのだから、驚くこともないが、ちょっと狭い。トランクにゴルフバッグを積み込むための説明図があるそうだが、長いクラブは入らないそうだ。運転感覚はいいが、そういう運転をすると電気がなくなる。ガソリン代と電気代を比べると1/10程度になるので、10年乗れば100万円程度の差が出るだろう(6年以下で乗り換えると、補助金を返さなければならないそうだ)。

それで、問題の納車待ちだが、わずか2ヶ月だそうだ。その大部分は補助金受付業務の滞留期間だそうだ。トヨタのプリウスは6~7ヶ月待ちとも聞くので、リーフはやはり人気がないのだろうか。聞くところによると、家庭では夜間電力で200V充電すればいいそうで、そのために工事が必要とのこと。ただ、工事をしている人はほとんどいないとのこと。どうも、今のところ多くの充電所(日産ディーラーなど)では、充電無料にしているかららしいのだ。

まあ、元々セコい人が買うクルマなのだろうか。

ニッポンの城

2011-09-13 00:00:15 | 市民A
城に関しての本は無数に出版されている。そして、それぞれが何らかの個性を持っているのだが、知っている限り、“何か1冊を読んで事足れり”ということには、ならない。事実や仮説、風説、明らかな間違いなど、様々な情報がてんこ盛りである。

nipponnnosiro


だいたい、城を観ることもなく、城を語っていることすら多いような気がする。本がたくさん出版されているので、行かずとも適当に書けるものだ。だが、実際の城に行った者からすると、「ウソっぽいなあ」と感じることも多い。

天守閣について言うと、全国にオリジナル天守閣が残っているのが12とされている。弘前、松本、丸岡、犬山、彦根、姫路、松江、備中松山、丸亀、伊予松山、宇和島、高知である。江戸初期の徳川家によるお城取壊し、火災、幕末の動乱、明治政府からの冷遇、そして空襲という次々と襲いかかる不運を乗り越えで現存しているわけだ。

個人的に現在考えているのは、空襲で焼失した天守閣は大部分が昭和20年に失われたのだが、日本が早めにギブアップしていたら、実際に立派な天守閣が数多く残っていたはず(都市爆撃の目標に使われた関係で、より多くが失われた)。天守閣が封建精神の象徴であるなら、日本の戦後に若干の影響があったのではないだろうかということだが、たぶん関係ないのだろうか。


話を戻すと、その残存12城のすべてに足を運んでいる。だから、色々言えることもある。

まず、本書は前述の12城の比較が行われる。ただ、ちょっと魅力が語られていない。悪いことを書かないようにしているからだ。ちょっと心配。

そして、白=姫路城、黒=熊本城と見立て、両城の比較が行われる。

最後に、城造りの名人の話。

一に藤堂高虎、二に加藤清正というのははずせないのだが、三として丹羽長秀である。岐阜城や安土城が彼の作と言われている。そういえば羽柴秀吉と言う名前は、彼の名前と柴田勝家から借用したもの。(返さず仕舞だった)

まあ、そういうので、安土城というのも行ってみたいなあ、と思いはじめたのである。

「放射能がうつる」2件目

2011-09-12 00:00:17 | 市民A
元々、農協のオッサンである鉢呂某が経産省の大臣になることに大違和感を感じていた人たちも多いだろう。TPPを推進するためには、農民ではなく農協の方に、一定の利権を配分しなければならないだろうとの漠然とした勘が働いたのかもしれないが、しょせんは、小沢を裏切った報奨金ということだったのだろうか。関ヶ原の小早川みたいなものか。後で狂死したが。

で、思い出すのが、4月中旬に野田首相の出身地、千葉県船橋市で起きた事件。

弊ブログ4月18日号「児童をぶん殴る方法

福島から避難の子供「放射線うつる」といじめか 船橋市教委が指導
2011.4.14 13:25

 福島県から千葉県船橋市に避難した子どもが「放射線がうつる」などと言われ、いじめられたとする匿名の電話が3月、同市教育委員会にあったことが14日、市教委への取材で分かった。

 市教委は、避難者の気持ちを考えて言動に注意するよう児童、生徒への適切な指導を求める通達を、市内の小中学校計83校に出した。

 市教委によると、匿名の電話は、福島第1原発事故のあった福島県から避難し船橋市内の公園で遊んでいた小学生のきょうだいが3月中旬、別の子どもたちにいじめられたとの内容だった。


同根だと思える。

軽口を叩くとかいう前に、そういう発想が頭の中にある、ということからしてどうかしている。小学校低学年並だ。

江戸時代なら、江戸屋敷蟄居の上、切腹の御沙汰待ち、ということになるのだろう。


ところで、ここのところ、あっという間に消える無能大臣が多い。

手抜き答弁の柳田某

サッカー少年の松本某

いじめッ子の鉢呂某

並べて考えると、「失言問題」ではなく、「適性問題」ということなのだろうが、よほど人材不足ということなのだろうか。

10年前

2011-09-11 00:00:49 | 市民A
2001年9月11日。火曜日だった。

事件の起きた時間は、日本時間のちょうど夜10時頃だった。

今思い出すと、当日は、夜、EXXONの日本子会社の部長と、東京のどこかで食事をしていた(一軒目の場所は思い出せない)。二軒目の赤坂のカウンターのあるクラブは私の馴染みの店だったのだから、一軒目は先方の払いだったのだろう。

当時はあった六本木プリンスホテルの正面にあったクラブに電話をしてから、タクシーで着いたのが、10時過ぎだったはず。

どうもNYで大事件が起きたらしいと、ママに言われたが、当時はそう便利な情報ツールがあったわけじゃない。水割りを飲みながら、お店にあったポータブルテレビのアンテナの向きを変えていると、ぼんやりと画像が見えてくるのだが、想像力が不足しているため、途切れ途切れに聞こえてくるアナウンサーの言っている内容が理解できない。

しばらくして、テレビに見入っていたママが、「ビルが見えない」というようなことを言い出す。事件簿を読むと、夜の11時頃だったはずだ。

どうも、戦争級の大事件がはじまったらしいことがわかる。一緒にいた人も、もちろん米国系巨大企業の関連会社なのだから安閑としていられるわけじゃない。

「帰って、テレビでみましょうか」ということになり、

それからの10年が始まる。

その時の相手の部長さんは、しばらくして会社を去る。わたしも同様である。そして、そのクラブはビルごと取り壊される。多くの人の人生もこの10年で変わったわけだが、それらが9.11と関係があったのか?これもわからない。軍事支出が米国の国家財政を悪化させたのは確かだろう。

首謀者を黙らせて、熱帯の海に放り込むまで、10年が必要だった。

キングを倒す

2011-09-10 00:00:46 | しょうぎ
将棋の話で、「キングを倒す」といっても、将棋連盟に居座る横暴な黒キングを打倒する話題ではなく、最近読んだ小川洋子著『猫を抱いて象と泳ぐ』で描かれるチェスの話である。日本地下水脈史で語られる伝説の少年棋士、通称「リトル・アリョーヒン」をモデルとした小説である。

それで、小説の中では様々な奇怪な方法でチェスが指されるのだが、ゲームそのものは、チェックメイトされた段階で終了する。将棋では「詰み」と同時に試合が終わるということだ。

ところが、この至って簡単な「詰み」と「試合終了」が同時というのが、厳密に言うと日本将棋では違うわけだ。日本将棋の国際化を本当に考えるのなら、このあたりのルールについて再検討が必要という意見もあるくらいだ。

例えば、一手必死がかかった状態で、遠見の角で王手を掛けた場合、王手を無視して頭金を打たれても、王を取って勝ちを宣言できる。チェスなら王手を見逃した手自体が無効になり、待ったができる。二歩についても無効手なので、チェスルールでは待ったが可能になるのだろう。

そうなると、詰将棋だって、例えば▲2二金打まで7手詰とかではなく、さらに△2二同玉、▲同歩成まで王を取って9手勝とかなる。

まあ、勝負をつけるには、簡単に言うと「王を取って勝ち」か「詰ませて勝ち」かどちらかだろうと思う。

まあ、その他、着手終了は指を駒から離した時となっているが、駒を取る場合は、取る駒を持ち上げた時なのかあるいは、自分の駒を盤上に指して指を離した時か、あるいは駒台に駒を置いた時なのか。多国籍化に向けては、今一つ明確じゃないような気がする。

そして、投了ルールについてだが、チェスでは、自分のキングを横倒しにするという方法がある。これは至って便利な方法で、意思がはっきりわかるわけだ。将棋の場合は、はっきりと負けましたと投了を告げる人だけではなく、なんとなく駒台に手を載せてペコっと頭を下げるだけの場合もある。あえて、「あなた負けですか?」って確認すればいいのだが、そこまではしにくい。確か囲碁のタイトルマッチでトラブルがあったように記憶する。

日本将棋でも、投了の代わりに自分の王将を裏返すという方法を導入すると、合理的ではないかと思うわけだ。


これは第二次大戦の時の話だが前線の日本兵が、相手方に投降する時には、白旗の代わりに白フンドシを掲げて、「リザイーン」とか「コーサーン」とか言いながら走ったそうだ。意思がはっきりしないと、撃たれるわけだ。もちろん、投降したとしても、戦犯容疑者になる者もいただろう。チェスの場合は、対局が終われば駒はもれなく駒箱にしまわれるだけで、取った駒を検査して、「この黒のナイトが白のポーンを4枚取った」とか言って、責任を取らせて馬の首をポキっと折ったりはしない。

ただ、小川洋子の小説では、人間チェスというゲームがあり、対局者の男性が盤上の駒ではなく駒に扮した女性を適当に取っていき、終局後に個室に連れ込んで、・・・というのが紹介されていた。1枚の駒だけを取って投了してしまうもよし、16枚を取るもよしということなのだろう。


さて、8月27日出題作の解答。

b12


▲9三桂成 △同玉 ▲9一飛成 △9二桂 ▲9四香 △8三玉 ▲9二飛成 △7三玉 ▲7四歩 △同馬 ▲6二銀不成 △7二玉 ▲8一竜 △8三玉 ▲7五桂 △同馬 ▲6三香成 △5六香 ▲7二竜まで19手詰

4手目の合駒探しと馬の翻弄というテーマになる。

動く将棋盤は、こちら

本日の出題。

0910


チェスルールでは、どういうことになるのだろうか。妙な感じの問題である。将棋ソフトで解こうとしてメモリーが燃え上がっても補償できないので、念のため。

最終手と手数をコメント欄に記していただければ、正誤判断。

「猫を抱いて象と泳ぐ」(小川洋子著)

2011-09-09 00:00:31 | 書評
小説「猫を抱いて象と泳ぐ」は小川洋子の小説である。ここ数年、小川洋子の小説を1年に3作ほど読んでいる。このペースならたぶん、十年ほど後に、最新刊に追いつくのかもしれないし、突然飽きてしまうかもしれないし、その他の不吉な可能性だって否定できない。

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ストーリーは実に荒唐無稽としていて、たぶん日本のどこかの地方都市の少年が、さまざまな心の傷を「デパートの屋上で一生を過ごした象のインディラ」、「壁の隙間で干からびた少女=ミイラ」、「廃バスの中に住んでいた、猫のポーン」、「ミイラの肩の上にいつも止まっている鳩」。夜のプールで溺死したバス運転手。そして、「マスター」。そういう想い出に包まれながら、少年は、チェスの伝説になっていく。

もちろん、日本ではチェスを指す人はそう多くないので、海底チェスクラブで働く彼の仕事ぶりをイメージするのは、いささか難しいのだが、そこは小説家である。作家自体がチェスの名人であるかのごとく、表現をふくらませる。少年チェス大会の賞金を、賭けチェスにつぎ込んで、さらにおカネを増やしてしまうところなんか、ニクイ。

「賭け」は盤上に詩を作れないということだ。単におカネ儲け。現代の将棋のプロだってそうだ。たいがいはおカネに辛いわけだ。

ところで、本作を読んでいて強く感じたのが、「シャガール」の影響。もちろんシャガールは画家である。小川洋子が絵を描くわけでもなく、シャガールが小説を書くわけでもない。

が、この小説の中に背後霊のように動物や過去の思い出が浮遊しているというのは、まさにシャガールである。

なんとなく、読むのにも体力が必要な小説である。

長野発TOKYO行き最終電車

2011-09-08 00:00:05 | 市民A
mm本ブログで何度も紹介している「丸山みゆきさん」のこと。

 「ジャズシンガー丸山みゆきの誕生(1)

たまたま、自宅の音源の整理をしていて、思い出すように引退歌手のその後を調べ始めたところからなのだが、およそ引退後のことがわかり始めた頃に、本人が長い冬眠から目覚め、地味に郷里長野で歌手活動を再開。

そして、活動を始めたことを、今さらながら気付いたのが「日刊ゲンダイ」ということで、8月24日(25日号)に、ちょっとした記事が首都圏、阪神、中京地区で、紙面に登場した。実は見開きの隣のページにはAKB48の高橋みなみさんの写真集の広告があって、ちょっと42歳には辛いところもある。が、まだ女性の平均寿命の48%なのである。まだまだ・・

ちょっと長いが、日刊ゲンダイのホームページ「あの人はいま」では、記事の全文が記載されていて、

「スクールウォーズ2」のオープニング曲「FIRE」で知られる丸山みゆきさん

山下真司、岡田奈々コンビでヒットしたラグビー学園ドラマ「スクール☆ウォーズ」(TBS系)。同じ2人による90年の続編「スクールウォーズ2」も評判になった。本日登場の丸山みゆきさんは続編のオープニング曲「FIRE」を歌って注目されたアイドル歌手。今どうしているのか。

「2年前に歌手活動を再開しました。今はジャズをメーンに長野市南千歳のクラブ『土儘(どじん)』で週1回の定期ライブを行い、あと、ギタリストの角田忠雄さんのサポートを得ながら、長野県内のライブレストランや音楽イベントに出演しています」

長野市内の老舗ジャズカフェ「グルーヴィー」で会った丸山さん、まずはこういった。この日はライブがあり、ジャズのスタンダードナンバーに加え、映画「シャレード」の主題歌や水原弘の持ち歌「黄昏のビギン」など計10曲を歌った。

「きっかけは飯綱高原で開催されたコンサートにゲスト出演し、11年ぶりにステージに上がったことでした。それまで歌は完全封印してたのに、そのお話をいただいた瞬間、無性に歌いたくなりましてね。40代になり、ひとり娘は小学5年生。そんなに手がかからなくなった。で、ようやく心に余裕が生まれ、過去を吹っ切ることができたんだと思います」

昔よりもやせた印象だ。「家庭的にはシングルマザーですからね。まあ、いろいろ苦労はありました。結果的にそれが今の糧になってるわけで、いい人生勉強させてもらったということでしょう」

さて、長野市生まれの丸山さんは幼い頃からピアノやバレエを習い、13歳で文化放送主催のオーディション番組「全日本ヤング選抜 スターは君!」でグランプリを受賞。高校中退後の85年、本名の「丸山美由紀」で歌手デビューした。だが、89年、版権問題で活動休止。同じ年、「丸山みゆき」で再デビューした。

注目を浴びたのは90年3月にリリースした「TOKYO」。70年代のフォークソングブーム時代に活躍した「マイ・ペース」のヒット曲のカバーがスマッシュヒットに。また、その年の9月から放映された学園ドラマ「スクールウォーズ2」のオープニング曲に彼女が歌った「FIRE」が用いられ、売れっ子歌手になった。ところが、その後はヒット曲に恵まれず、家庭の事情もあって98年に引退、帰郷。歌手時代から交際していたミュージシャンと結婚したが、愛娘が生後9カ月のときに協議離婚し、現在は実母と3人暮らしだ。

「それからは5年ほどOLしたり、リンパマッサージを勉強してサロンを経営したりと、音楽とはまったく無縁な生活を送ってました。カラオケすら行かなかったですね」

去年9月、「グルーヴィー」でライブをした際、「インターネット検索で見つけた」というファンが東京から駆けつけた。

「90年に発売したアルバム『夢を見てますか』を持参してくださったんです。ホント、サプライズもサプライズ、驚きました。と同時に、ファンのありがたさを実感しましたね。今は長野限定のローカル歌手ですが、いずれは東京や大阪、名古屋などでも歌っていきたいですね」

8月26日に長野市内のライブレストラン「ボッサ」(19時~)と「土儘」(21時~)、27日は同じ市内のライブレストラン「ラ・ペーニャ」でライブを予定している。
(日刊ゲンダイ2011年8月24日掲載)


歌っていなかった時も、それなりに充実していたことは、わかっていたのだが、結婚、離婚していたことはよくわからなかった。記事中にシングルマザーという表記があるが、普通は、結婚しないでこどもを産む時に使う用語で、離婚した場合には使わないように思うのだが、最近は使用用途が増えたのかな。


「長野限定のローカル歌手」が「いずれは東京で・・」というくだりは、案外、遠くないような気がする。最近、レコーディングまでしたということなのだけど、ジャズだけではなく、以前歌っていた曲というのは、権利の問題とかで歌えないのだろうか。本人が作詞をした曲もあるし、なにしろ当時CDをリリースしたTDKコア社はM&Aによってコロムビアミュージックエンタテインメントの子会社になり、2008年2月には社名もクリエイティヴ・コア(株)と変更になっている。CD事業はクラシックとか落語といった部門に限定されているようだ。所属会社の問題とか、別れた元亭の問題とかもあるのだろうか。


日刊ゲンダイの記事の中には、20年前のCDを東京から持参したファンにビックリと書かれているけれど、私は6枚のCDを集めたし、もっとすべての活動記録を集めている人がいることも知っている。

彼女のヒットの一つである「TOKYO」では、

 何も思わずに電車に飛び乗り
 君の東京へ 東京へと 出かけました
 いつもいつでも 夢と希望をもって・・


tokyo


もう一度、東京で歌う時が来れば、と、ちょっと応援。自分が探していたものが、何となく現れて、さらに元気印で活動始めるって、その成否はともかくとして、・・・ 嬉しい。


それで、新たに探したいものはいくつかあるのだけど、現実に生きている人を探すと、いろいろとやっかいなことが起こるし、と・・

最近の航空珍事件

2011-09-07 00:00:23 | 市民A
ちょっとした仕事がら、航空関係のニュースに目を通しているのだが、最近、気になる事件がいくつかある。

まず、中国の空港着陸待ち混雑の話。どうも近所の安売りスーパーの駐車場待ちみたいな話だが、困ったことに駐車場待ちで燃料のガソリンが切れても、渋滞の列が大混雑するだけだが、飛行機の場合・・

まず、なにげないニュースから始まった。

8月15日
 @「ドアを閉めたら30分以内に離陸せよ」中国民間航空局長

 中国の民間航空局長は13日、「航空管制部門は、2時間以上遅れが出ている航空機を優先して、先に離陸させなければならない。(旅客便が乗客らの搭乗をすませ)ドアを閉めたら、30分以内に離陸するようにせねばならない」と述べ、通達も出しました。中国では出発が遅延した場合は遅延時間に応じて旅客に対して賠償金や食事提供などを行う決まりになっていますが、搭乗させて航空機のドアを閉めてからの時間は遅延時間に含まれません。そのため、早めにドアを閉めて離陸まで機内で待たせることが多いための通達のようです。


基本的な旅客機のルールだが、出発時間はハッチ(ドア)を閉めた時刻で、着陸とはタイヤが接地した時刻と決まっている。だから、離陸のメドもないのに素早くドアを閉めて、空を飛んだ時間に加えてしまうわけだ。逆に言うと、それから離陸待ちを延々と機内で過ごすことになる。

そうしたら、次に事故寸前の話になってきた。

8月25日
 @中国・吉祥航空機が嘘をついて指示を無視

 13日午後、中国の上海上空で悪天候のために待機旋回していたカタール航空機が燃料不足になり、管制官に「メーデー」を発信し、優先着陸を要請しました。管制官は前を飛行中の吉祥航空機に進路を譲るように指示しましたが、吉祥航空機のパイロットは「当方も残燃料が4分しかない」として進路を譲りませんでした。両機とも無事着陸しましたが、吉祥航空機の残燃料は1時間以上ありました。中国の航空当局は「重大事故のおそれもあった」として調査に入りました。吉祥航空機のパイロットは当面、乗務停止になりました。


この段階では、悪天候待ちという理由になっているが、ちょっとおかしいな、という感じが漂う。悪天候で燃料切れなら、別の空港へ降りるはず。たぶん天候問題だけじゃないなって感じである。

8月27日
 @吉祥航空機の管制指示無視の背景に空港の混雑?

 25日の出来事で書いた吉祥航空機の管制指示を無視した問題の背景に、中国の大都市空港の混雑がある、とのことです。問題を起こした吉祥航空機とカタール航空機は悪天候で空港が混雑し、1時間以上も上空待機をさせられていた、とのことです。カタール航空機が残燃料が30分を切った段階で「メーデー」を通報したのは規定通りだったようですが、この際「残燃料は、あと5分」と管制官に通報したので、進路を譲るように指示された吉祥航空機が残燃料が1時間以上あるにもかかわらず「こちらは、残燃料、あと4分」として、指示を無視して着陸を強行したようです。両機のパイロットが共に、1時間以上の上空待機でいらいらした結果、今回のトラブルになったようです。中国では、急激な航空需要の拡大に空港機能拡充が追いつかず、空港混雑による遅れが慢性化しており、一方で、当局は「時間厳守」を通達しているようです。


カタール航空の方は、残り燃料が30分以下になり「あと5分」とウソをつき、一方、吉祥航空の方は残り1時間なのに「あと4分」とウソをついて着陸を強行したということだ。

そして、キツイお達しが出る。

8月30日
 @進路を譲らなかった問題で吉祥航空を処分・韓国籍機長は免許取り消し

 中国の民用航空局は29日、上海上空で管制官の指示を無視して、後続機に進路を譲らなかった問題で吉祥航空を処分しました。吉祥航空の機材購入を当面認めず、運航便を3ヶ月にわたって10%削減させます。また、問題を起こした機長は韓国籍ですが、中国国内での運航免許を取り消し、再申請も認めません。韓国航空当局にも通報します。また、副操縦士は6ヶ月の運航免許取り消しとしました。


罰則は重そうだが、まあ当然と言うか。ここに限って中国当局が毅然としたのは、新幹線脱線事故の二の舞は困る、ということだろうか。


次に、機内サービスの話題。

8月18日
 @ヴァージン航空が映画に「号泣注意」との警告を表示へ

 ヴァージンアトランティック航空は17日、機内で上映する映画で乗客が泣く恐れのあるものについて、映画の最初に「号泣注意」のテロップを流すことにした、と発表しました。号泣により、他の乗客に迷惑をかけないようにするため、としています。同社の調査では映画を見て泣いたことのある乗客がかなりいた、とのことです。


機内のあの小さな画面で大感激する人がいるということは、映画館や大型テレビって何なの?ってことになるのだが、さいわい、機内で映画を観る根気がない。音楽聴くぐらいだ。先日、シンガポールから日本へは、K-POPSとJ-POPSと安室とガガなんか聴いて、本物とニセモノの差について、色々と考えるところがあった。

そして、機内映画関連の話題(?)が続く。

9月5日
 @31才のニュージーランド人男性が機内食をのどに詰まらせ窒息死

 日時がはっきりしないのですが、シンガポール発オークランド行きのジェットスターの機内で、ニュージーランド人の31才男性が夕食をのどに詰まらせ、窒息死する出来事がありました。この男性は離陸後に夕食を食べ、映画を見ていました。隣にいたガールフレンドは男性が窒息状態で痙攣しているのを、映画を見て笑っているものと勘違いしていました。しばらく経って、声をかけても答えないことから異常に気づき、客室乗務員に連絡しました。機内に乗り合わせた医師と看護師が蘇生を試みましたが、間に合わなかった、とのことです。


こちらは、痙攣した状態を笑っていると勘違いされた悲しい男性の最期の話だ。何が悲しいかというと、この男性の乗っていたのはジェットスター航空。話題のオーストラリアのLCCである。確か、食事が有料。せっかくカネを払った料理を喉に詰まらせるなんて、残念過ぎる。オージービーフの堅いステーキでも食べたのかもしれない。

最後にセクハラの話。

8月25日
 @ガルーダ航空が客室乗務員募集でショーツだけの検査

 韓国では「インドネシアのガルーダ航空の客室乗務員募集検査がセクハラではないのか」と問題視されています。客室乗務員採用時の身体検査で応募者をショーツだけにさせて、男性医師が胸の保形物検査や入れ墨の検査をしているそうです。ガルーダ航空側は「ショーツだけだが、毛布を羽織っており、検査の瞬間だけ毛布を外すだけだ。入れ墨の検査は宗教上の理由でやらざるを得ない」としています。


保形物というのはシリコンのことだろう。韓国では、そんなの当たり前の世界だろう。入墨検査というのは、ゴルフ場の会員になる時に事前審査の時に理事会員が一緒に風呂に入ってなにげなく検査するというのを聞いたことがある。背中に飛行機の絵でも彫っておけば、なおよろし、ということなのだろう。

トンカツ(大)

2011-09-06 00:00:02 | あじ
巨大なトンカツ。

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これが西新橋の「芝浦本店」というお店では800円で食べられる。

ロースかつの面積が広いだけでなく肉も厚い。

大盛キャベツの上に横たわる形は、何かを連想させる。

そう、世界地図に描かれた、ロシア(シベリア)である。メルカトル図法では、実物以上にシベリアが広く表現されるが、トンカツの面積にはトリックはない。

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ただし、・・

実は、とある理由で、ダイエット中である。(といっても1週間に1キロマイナス程度だが)

 お酒を飲まない
 お肉を控える
 フライ、天ぷらは食べない
 ご飯は控えめ
 なるべく歩く

こんな方針なのだ。だからトンカツなんて最悪だ。

ダイエットを始める前に、行った時の画像である。いつも空腹だと、トンカツ食べたくなったりするわけだ。

海賊の掟(山田吉彦著)

2011-09-05 00:00:48 | 書評
本書は、書名が「海賊の掟」とあるが、海賊の仲間内のルールにすべてのページを費やしているわけではなく、それについては、全体の1%程度の記載に過ぎない。

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船長の分け前(利益の配分比率)の取り決めや、死刑の規定や、脱走しようとしたものは、孤島に置き去りとか、そういうルールであるが、もちろん、捕まった場合は、国家のルールが待っていて、たいてい縛り首になって、ロンドンブリッジから吊るされたりする。さらにタールをかけられ、簡単に腐敗しないようにされたりする。(その後、どうなるかは、よくわからない)

そして、海賊というのは、世界中に存在するのだが、もっとも有名なのが、バイキングで、その末裔が英国人で、その後継者が米国人である。芝居の途中で現れたコロンブス他のイスパニア系は、一応、西インド諸島で交易のまねごとをしたが、メイフラワー号の乗客は、無一文で渡米し、陸上バイキングをやった。

本書に書かれていないことばかり書くのも気が引けるので、戻ると、「現代の海賊」と「過去の有名海賊列伝」と「日本の海賊」に分かれている。

現代の海賊で有名なのがマラッカ海峡パターンとソマリア沖パターン。それぞれ、理由は異なる。そして、過去の海賊については、歴史を書いているわけで、どちらかというと海賊を魅力的に扱っている。

海賊列伝では、地中海時代から続く海賊文化に触れた後、キャプテン・キッドや黒ひげ、メアリーとアンの女海賊を魅力的に描く。1720年代に活躍したアン・ボニー。愛人と一緒に略奪活動を続けた後、ついに捕まったのだが、妊娠していたため、処刑をまぬがれ、その後、脱走。行方はわからないままになっているそうだ。

そして、日本の海賊の特徴だが、言うまでもなく歴史の中で大きな役割を果たしている(あまりいい意味じゃないけど)。彼らをうまく利用したものが、結局は政権を獲得したことになっている。藤原純友、倭寇、村上水軍、小田原攻めの時の毛利水軍など。

そして、最終的には秀吉による懐柔策により、日本海賊史は幕を閉じることになった。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

2011-09-04 00:00:34 | 美術館・博物館・工芸品
ギャラリーといっても銀座二丁目の裏通りの画廊ではない。米国の国立美術館である。その国立美術館から日本の国立新美術館に、大量の絵画が搬入され、9月5日までに1500円の拝観料を払うと観賞できるわけだ。何しろ、日本の新美術館には、常設展示用の美術品は、存在しない。これ以上財政状態を悪化させるわけにはいかないからだ。

といっても、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの膨大な美術品のために国家予算が使われて、トリプルAを失ったわけじゃない。

全部、個人の寄付によるわけ。寄付といってもおカネじゃなくて、美術品そのものの寄贈である。70年前にメロン財閥が所有する美術品を寄贈したのが最初である。日本では仏像や寺院の鐘を供出して軍艦や銃弾を作っていたころだ。

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ただし、日本でも、かなりの数の美術品が個人が寄贈しているのだが、その多くが、戦前から戦後すぐの時代だったようで、米国のように、現在でも寄付が続くと言うのは、やはり制度の違いなのだろうか。

それで、今回の展覧会のお題は「これを見ずに。印象派は語れない。」というのだが、まあ、蘊蓄を語るために展覧会に行く人は、そう多くないし、これを見たからといって、印象派全体がわかるわけじゃないので、そう肩に力を入れずにぼんやりと美術館の中を散策すればいいのではないだろうか。

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まず、クロード・モネが美人妻とこどもをモデルに描いた「日傘の女性、モネ夫人と息子」。印象派を本当に代表するのはモネである。印象派一筋。たぶん、印象派を語るには、世界中を歩き回ってモネの絵を観ればいいのだが、多くが個人蔵になっている。一時、おカネに詰まって、モデルを雇えず、妻と息子をモデルにして食いつないだ。妻は、庭園の管理もやらされて、池に睡蓮を増殖させたりや花畑の整備に尽力。後世のモネファンは彼女に感謝すべきだ。

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マネの「鉄道」。彼はなによりパリが好きで、さらにきれいな女性に目がなかった。とはいえ、美人ではない妻を恐れ、モデルに手を付けたくても、じっと我慢して、弟にさらわれてしまう。小心者であるが、それなりに華やかな絵画の一部に、ほんの僅かな「蔭」を置く。

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それと、ゴッホの作品がいくつかあって、やはり、美術館には、ゴッホが一枚はないと・・と思わせるのだが、残念ながら、ゴッホは作品数が少なく、さらに名画と凡画の差が大きいので、それが新興の美術館の悩みだ。「寄付を待つ」ということだろうか。


美術展というのも、同一の画家やテーマの統一を行う場合と、どこかの有名美術館の改装中のアルバイト世界ツアーのような場合があるが、そういう性格を理解してから行かないと、もっとルノアールが観たいのに・・と思うかもしれない。

個人的には、最後の部屋のセザンヌは、減らしてもよかったなあと、ちょっと感じた。

中飛車定跡ガイド

2011-09-03 00:00:11 | しょうぎ
秋の職団戦に出場することにしたたま、少しは勉強しなければと「中飛車定跡ガイド」を読むことにした。超速▲3七銀、角交換、超急戦▲5八金右型、▲2四歩早付き型、▲7八金型、▲4八銀型、▲2五歩保留型と7章にわたり中飛車とその対抗策について、どちらの肩を持つわけでもなく、淡々と定跡が語られていく。

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普通は、中飛車派の立場で書いたり、反中飛車派の立場で書くのが一般的だが、それだと、本の販売部数が半分になってしまうため、中立的に書かれたのだろうか(余計なお世話だろうが)。

実際、とても覚えきれない。だいたい覚えきれないうちに戦法の流行が終わるのが常だが、中飛車はいつまでたっても消滅しない。8五飛戦法だってそうだ。基本的に終盤の入り口まで、互角の形勢なら、「勝ったようなもの」という楽観主義の人は、定跡なんて適当に覚えておく。負けないようにダラダラ指していれば、いずれ勝つ。

だから中飛車は嫌なんだ。変化が複雑すぎる。東京は大都市なんだから、いっそ「中飛車道場」というような将棋道場ができてもいい。対局は、必ず中飛車か中飛車対抗戦にしなければならないということにしても道場経営はなりたつだろう。

将棋大会だって、「中飛車王者決定戦」とかあってもいい。


さて、8月20日出題作の解答。

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▲3三香 △同桂 ▲4一馬 △2二玉 ▲3一馬 △同馬 ▲2二銀 △同玉 ▲3四桂 △1二玉 ▲2二金 △同馬 ▲同桂成 △同玉 ▲3一角 △3二玉 ▲5二竜 △3一玉 ▲2二金まで19手詰め

動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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ずいぶん駒が少ない。以前、似たような問題を出題したような気もするが、よく覚えていない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と手数を記していただければ、正誤判断。

新潮社PR誌「波」500号

2011-09-02 00:00:43 | 書評
新潮社のPR誌である「月刊・波」が創刊500号となった。

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私は1冊100円(送料込)で定期購読しているので、いくつかの連載を読むと、結局単行本を買うより大変お得ということになる。当初は季刊で始まったこともあり、1967年から45年目で500号となる。これは、雑誌としては大変な大記録ということになる。

もちろん100円で元を取れるわけはないのだから、新潮社の中でも「広告費」になっているのかもしれないが、さらに取次や書店でも新潮社への義理立てで有料で購入して、販促費か交際費で処理しているのかもしれない。

500号特集というにしては、あまり「記念」に力を入れているとは思えないのだが、坪内祐三氏と重松清氏の特集エッセイとたまたま文士が新潮社の倉庫に残したであろう色紙に書かれた自筆の名言が掲載されている。

坪内氏の自宅に残る1980年6月号に寄稿している作家は、次の通り。

松本清張、石川淳、中村真一郎、塩野七生、瀬戸内晴美、秋山駿、開高健、野口冨士男、常盤新平、山口瞳。(当時は1冊50円)

対して、現在は?というと、あえて書くのを止めた方がいいかもしれない。

そして、過去の文士の名言だが、さすがに文士はコトバ数が多い。「志」とか一文字で書く相撲取りとか将棋指しとかとは大違いだ。

短い派



「風雪」川端康成
「百異千変」星新一
「すててこそ」瀬戸内寂聴
「菊有精神」池波正太郎
「坦々」隆慶一郎
「美しい老人」宮脇俊三
「悠遠」吉村昭
「剣を今日も書く」柴田練三郎


長い派



「わたしは世界の果てからネクタイを取り換えにやってきた」稲垣足穂
「歴史はすべて後悔の記録である」石川達三
「そんな事ないと おなかの底で言い」田辺聖子
「食べてください。この料理には毒を入れました。」筒井康隆
「ももくりさんねんかきはちねん 人は百でも成りかねる」深沢七郎
「人生の親戚としての悲しみ プルタルコスより」大江健三郎
「役者さんに儲けてもらう」井上ひさし
「血の騒ぎを静かに聴け」宮本輝
「気候異変 暖冬や気の迷いたる猫の恋」新田次郎

意外に美しい奴隷食オクラの花

2011-09-01 00:00:36 | 市民A
世界陸上をテレビ観戦していると、特に長距離走ではエチオピアやケニアの選手が圧倒的に優勢である。というか、日本人が時にマラソンの優秀な選手を輩出すること自体が奇跡のような気がする。

そして、このエチオピアを原産国としている野菜が、オクラである。

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新大陸と旧大陸の間では、圧倒的に新大陸の植物が旧大陸に持ち込まれて、逆に麦や米の栽培が旧大陸から新大陸に持ち込まれたのだが、このオクラがアフリカ大陸からアメリカに持ち込まれたのは、通常の交易によってではなかった。

奴隷食。

どうも、アフリカ大陸からアメリカに持ち込んだのは、まとめてなんぼで、売られた奴隷たちだったようだ。綿花栽培の耕地の一部に植え、帰ることのできないアフリカの大地の郷愁を、このオクラの味で懐かしんでいたのかもしれない。

そのオクラがアメリカから日本に渡来したのは明治の最初だったそうだが、どういう理由で日本に入ったのかは、今一つわからない。とはいえ、オクラを普通に日本人が食べ始めたのは、そう遠い話ではないように思う。20年位じゃないだろうか。これまた理由は不明である。案外、納豆が嫌われ始めた時期と重なるのではないだろうか。納豆代替品。

そして、オクラの花が咲いたのだが、思いもよらず淡い黄色で美しい。

深夜に咲いて、陽が昇るとしぼむそうである。花は上品だが、実になるとちょっと上品とは言い難い形になる。食べるとスタミナがついて、深夜から朝までマラソンランナーのように大活躍できるのだろうか。