青い柔道着のこと

2008-12-16 00:00:02 | スポーツ
嘉納杯では、青い柔道着は使われず、両者とも白い柔道着で、普通の帯の上に、青か白の帯を重ねて締めていた。

国際試合に青い柔道着が登場してから、かなり経つが、日本は反対していたように記憶する。まあ、柔道発生の地なので、古典的形式を守りたいという態度は理解できるが、実際にはどうなのだろうか。

大会を見ていて、気付いたのだが、見る側から言えば色が違う方がわかりやすい。テレビの場合は、対戦者の表情をアップしたりして、ユニフォームの色が同じでもなんとかわかるだろうが、観客席から見た場合は色が同じだとよくわからなくなる。体重別にクラスがわかれているため、ヘビークラスを除けば、両者の体型は同じぐらい。さらに寝技になると、もう見分けがつかなくなる。


さらに、帯が二本になるため、延長戦などで、柔道着の乱れを直すときなど、時間がかかる。原因は二つあって、一つは、わざわざ、疲れ果てたフリを見せ、相手を油断させるため、帯を二本ともかなり時間をかけ締め直し、延長戦の最後の1分間に審判向けのパフォーマンスを使う。かつて、ボクシングでファイティング原田が各ラウンドの最後の30秒だけラッシュして、主審の心証を良くしていたのと同様だ。特にキューバのお家芸。

もう一つは、青白帯の長さ。どうも100キロ超クラスの選手に合わせて作っているのか、帯が長い。小柄の女子選手や軽量級の選手は二重巻きにしていたが、中型の選手だと、2重と1重の中間なので、余った帯が見苦しい。

そんなことで、青い柔道着は必要と思う一方、柔道着も高いのである。会場内でミズノが販売していたが、およそ子供用が1万円、大人用が2万円。学校の授業に柔道が取り入れられると、毎年、100万人分の柔道着が必要となる。100億円ビジネスである。2着買うと、その二倍だ。

まったくの門外漢の目から見ると、柔道着の前がはだけてしまい、それを直す時間だって、間の抜けた時間に見える。前開きキモノスタイルの柔道着ではなく、サッカーのユニフォームのように、かぶる様なものにすればいいのではないだろうか。夏は熱すぎるかもしれないが。

嘉納治五郎杯

2008-12-15 00:00:18 | スポーツ
柔道の乱取(らんどり)は、やったことがあるが、もちろん柔道部とか入っていたわけじゃないから、試合に出場したことはないし、第一、金メダリストが出場するレベルなのだからまあ、全然別の世界だ。



テレビ東京の株主優待券が手に入ったので、東京体育館へ。チケットは、嘉納杯柔道か、12月31日夜の「にっぽんのうた」か、どちらかを選ぶことになっているが、12月31日の夜ということは、紅白落選歌手歌合戦ということだろうか。究極の二択。もっとも韓国の人に言わせれば、「紅白歌合戦」ではなく「韓日歌合戦」ということだそうだ。「あの人」も「この人」も「さっき出ていた人」も、みんな韓国人だ、ということだそうだ。本当は、祖先が韓国人だが、今は日本人という人が多いそうだが、今もって韓国名の愛称で呼ばれている人もいるようだ。まったく度量の狭い話だ。

話を柔道に戻すが、嘉納杯というのは嘉納治五郎先生を冠した大会だが、この嘉納先生が日本古来のさまざまな流派の柔術を統一して柔道を完成させた、とされるそうだ。「柔道の父」。じゃあ、「柔道の母」はいるかと言われれば、もちろん「ママでも金」と言っている女性だろうか。残念ながら今回は出場されない。この嘉納先生は兵庫県の出身で、実家は酒造・廻船問屋の名家だったそうで、菊正宗酒造は親戚らしい。弟子に三船久蔵がいて、幻の「空気投げ」を考案した。

そして、いきなり地に堕ちる話だが、2500円の自由席チケット2枚を入手したので、余った一枚が弁当代にならないものかと、やや早めに最寄り駅に行って、ウロウロしてみたが、・・・(以下省略)。

そして、最初は二階席に座るが、左の席に、きょう出幕のない外国人男子選手二人が座る。肩幅が大きいので体を右側に押し出される。さらに外国人は試合も見ないで会話に興じているが、身振り手振りなので、肩が前後左右に動いて危険だ。そのうち右側に男子大学生が3人で座る。柔道専門大学かな。こちらは、柔道の話に興じているが、語彙が少ないのか、「こうやって投げて、・・」と左手を回すので、ついに私の空間がなくなり、3階に避難する。

そこには行儀の悪い柔道小僧がたむろしているが、よく見ると、親の行儀もなってない。なんで、PSPでゲームなんかやってんの。よく、こどもの行儀が悪いのは親のせいだ、といわれるが、本当は、「親の親」つまり団塊世代のせいなのではないだろうか。行儀をよくするために、こどもを柔道教室に送って、あとは柔道教室任せ。任された方も大事なお客様(カネヅル)だから放任といったところだろうか。

そして、5階級。男は100キロと100キロ超の大男のクラスだが、残念ながら、選手の動きが緩慢で、見てても面白くない。女子は、57キロ、52キロ、48キロの3クラス。女子の方が柔道らしい動きが見られる。よくテレビで視るのは、準決勝からだが、1回戦から視ると「寝技」が多いことに気が付く。完全に技がかからないから、両者とも畳の上に折り重なるように倒れてしまうので、その流れで寝技になって、どっちがどっちだかよくわからなくなる。この大会では青い柔道着は採用されていない。

特に、52キロの中村美里さんが登場すると、場内の声援が高くなり、会場の興奮が高まってくる。なにしろ、足が長く、長身で、美形で小顔。モデルさんが柔道をやっているというヴィジュアル的な要素もあるのだが、彼女の柔道スタイルがエキサイティングなのだ。一言で言えば攻撃的柔道。守備のため、前かがみになったり、帯がゆるんだり、変則攻撃で足を取りにもぐったりはしない。背筋は垂直に伸びたままだし、なぜか柔道着が乱れない。全体に、「勝つ柔道」と「負けない柔道」という二つの作戦があり、圧倒的に「負けない柔道」派が多く、負けない同士の試合はまったく面白くない。が、彼女は攻撃的である反面、したたかな防御をやらないため、会場はスリリングな空気に包まれる。(元々の日本柔道は、「負けない柔道」派だったはずだが)



中村さんの決勝は日本人同士となり、5分間で決着つかず、3分の延長でスコアレスドロー。主審・副審の判定は二つに割れたものの相手側が判定勝ちになる。判定が出た瞬間、悲劇のオペラのように観客がどよめいた。どちらかが優勢というのではなく、どちらが審判の好みの試合運びかということに過ぎないように思えた。

この時だけでなく、審判団の意見は、たびたび割れて、有効ポイントや注意が取り消しになったり、しょっちゅう審判会議である。

審判が笑いをとった場面があったのだが、ある試合で、延長がスコアレスで終わったあと、青旗と白旗のどちらかの旗を上げて判定するのだが、主審の青旗の布の部分が丸まっていて、念入りに青旗を直すわけだ。となれば、外から見れば、青旗を上げるための準備にしか見えないが、実際は白旗を上げたではないか。失笑が拡がった。

エコプロダクツ2008

2008-12-14 00:00:33 | 市民A
東京ビッグサイトで週末開催された環境展示会。事前宣伝が行き届いていたせいか、すごい入りだった。金曜の夕方に行ったのだが、新橋駅からの”ゆりかもめ”が異常な混みかただったので覚悟していたが、ビジネスマンでいっぱいだ。

どうして、こんなに人が集まるのかよくわからないが、おそらく同業他社のブースをのぞいて敵情視察とか、あるいは異業種のブースをブラブラ歩いて、新規のアイディアを発掘するというのだろうか。実際、私も同病で、いくつかの課題を持っていったのだが。

ところが、会場で、次々に「知った顔」に会うわけだ。「知った顔」と書いて「知人」と書かないのは、仲がいい人だけではなく商売敵もいるからだ。だいたい、基本的に仕事的な「知った顔」は同じようなブースに向かうから仕方ないけど、メガネと花粉マスクでもしてくればよかったか、と思ったわけだ。

ところが、会場の入口に近い場所とかホールの真ん中といったベストポジションには、大手のメーカーが配置されている。自動車会社とか、電機会社とか先進技術を開発しているはず。しかし、そういう会社のブースをいくらのぞいても、まったくわからないわけだ。抽選で電気製品のプレゼントとかエコカーに試乗会なんかじゃ、にわか産業スパイには何もわからない。(わずかにN自動車のブースでリチウム電池のほぼ完成品が見られるが、かなり大きい。乗用車に入れる場合、電池+ガソリンエンジンという並存型は無理じゃないかと思えるのだが、そうなると電池だけで走るクルマの様々な問題をクリアしなければならなくなる。)




笑ったのが、パソコン組立て販売業のN社のブース。「パソコン解体ショー」を行なっていた。「マグロ解体ショー」なら、焼津に遊びに行った時にみたことはあるが、「パソコン」である。希少金属の宝庫とか都市鉱山とか言われているので、どういう微量の金属が抽出されるのか、多くの観客が集まりカメラを構えている。

まず、ボックスをばらして、中のコードを引っこ抜いて、ハードディスクとかCPUとかはずしていき、メインボードを取り出し、それぞれの分類箱に入れて、

「終わりました」

えっ・・・・

ちょうど5分。要するに、組み立ての逆手順をやってみただけ。わたしなら4分50秒でできそうだ。

どうせ解体するだけなら、「大型冷蔵庫解体ショー」とか、「軽自動車解体ショー」とかの方がエンタメ性が高いと思うわけ。


そして、まったく目立たないホールの奥の隅の方で、国策新技術の秘密が露見していた。

はっきりしたネーミングは定まっていないようだが、「超伝導電線」。たとえば絶対零度に近い条件で電気抵抗がゼロになる状態が超伝導だが、その性質を直接的に利用して、電線にしようということで、さらに大掛かりに発電所からの大電力の送電ロスを減らすという上流的考え方と、電気利用の段階で超伝導を利用しようという中流・下流的な考え方があるようだ。

とはいえ、S友電線とかF倉電線のブースには、すでに完成品があったが、社によってまったく異なるコンセプトではないかと、素人的には感じた。新素材は銅とかアルミといったありふれた元素ではなく、「イットリウム」とからしい?どこに買占めに行けばいいのだろうか?


まったく個人的には、山奥の「森林」とか「木材」といった問題で悩んでいて、ヒントを探しに、「生物の多様性」とか「エコ住宅」とか見て回ったのだが、生物多様性というのは、ようするに「原始林を守れ」ということで、木質住宅の話は、「国産材を利用」するために、積極的に間伐して森林を木材牧場に改造して、どんどん切ってどんどん植林しよう、ということ。

似て非なる主張のように思えてならないし、なにより「木」と「森」を見てはいるが、「森林所有者の困窮」には全く目を向けていないという最大の欠陥を感じたわけだ。

追い詰められた元名人に勝機は?

2008-12-13 00:00:46 | しょうぎ
元名人、加藤一二三九段が法廷に立つ。というか、「立たされる」。

原因は、「猫」。産経より。


加藤さんを訴えたのは、東京都三鷹市にある自宅の集合住宅の管理組合や住民。加藤さんに対し、野良猫に餌を与え続けているのは規約に違反するとして、餌やり中止と慰謝料など約640万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁八王子支部に起こした。

訴状によると、加藤さんは平成5年ごろから、2階建て集合住宅の自宅玄関前や庭で、野良猫に餌を与えるようになった。集まる猫が一時的に十数匹に達し、住民は汚れや異臭、自動車の屋根を傷つけられる被害を受けたとしている。

管理組合側は14年11月、居住者に迷惑を及ぼす恐れのある動物の飼育禁止を定めた規約に違反するとして、加藤さんにやめるよう求めたという。

今のところ、刑事事件ではなさそうだ。だから「加藤さん」とさん付けになっていて、「加藤容疑者」ではない。まあ、猫にえさをやり続ける話は、三鷹にとどまらず、どこにでもあるのだが、普通はこういうことにはならない。

さらに、マンションの管理規約に何がいつ書かれたのか、まったくわからないが、場合によっては、9対1なら追い出しを食らう可能性だってあるかもしれない。

さっそく、インタビューが入ったようで、元名人の反論が報じられている。


野良猫に餌やりでトラブル 訴えられた将棋・加藤元名人の「言い分」

自宅に住む野良猫への餌やりが原因で、集合住宅10世帯のうち自宅をのぞく9世帯すべてから、餌やり中止と約640万円の損害賠償を求められた将棋の加藤一二三・九段(68)。対局の立会人を務めた際、縁側に侵入した猫に「ハロー! 将棋に興味があるかい?」と語りかけたほどの猫好きで知られる元名人を直撃した。

--近隣住民が嫌がる中、なぜ餌をやり続ける

「猫にも『先住権』があり、餌をやらないと死んでしまう。地球には犬も猫も小鳥も、花や植物も同じように生きている。人間のしゃくに障るからといって、この世から消してよいはずがない」

--かつて、タイトル戦で「音がうるさい」と旅館の滝を止めた元名人が、猫の騒音で訴えられた

「人の感じ方は人それぞれだが、他人に対する攻撃は針小棒大になるのが世の常」

--なぜこのような事態に

「私と妻、娘の家族3人で鋭意“パトロール”を続けているが、ここ数年9軒のお宅で糞尿をした形跡は一度もないし、迷惑をかけていない。通行人からは『非常に和む。これからも世話を続けてください』といわれている。原告の言い分は理解できない」

--事実上の飼い猫のようだが、猫たちに名前はつけているのか
「非常に微妙な問題で、お答えできない。裁判で明らかにする」

--集合住宅の全世帯を敵に回したが

「1対9だからといって、9が正しいとはかぎらない。私は長年、信念を持って猫の世話をしてきた。行政の指導も仰いでいる。今後も粛々と猫の世話を続けるだけ」

加藤さんは、昭和57年から1期、名人位に就いた。

微妙に質問と回答が食い違っているように思うのだが、たぶん、質問の内容を無視して、自分の意見をしゃべったのだろうか。猫の名前を法廷でしゃべるのだろうか。ちょっと聞いてみたいが、「パウロ」とか「ヨハネ」とかかしら。

それと、「昭和57年から1期、名人位に就いた」というのは変な表現だ。別の言い方も難しい。「昭和57年に1年間名人だった。」では、コバカにしたようなイメージだし。


そして、猫裁判の判例モデルになりそうな、ならなそうなよくわからない。裁判官泣かせというか、裁判員制度が始まる前に、元名人をやっつけようと考え、駆け込み訴訟したのだろうか。

普通、民事の裁判は、退屈と相場は決まっているが、裁判ウォッチャーには人気が出そうな予感がする。

ただ、裁判官の意図に反した主張を展開して、トラブリそうな気がするし、「信念の人」を屈服させるには、最高裁までいくのだろうと、思うわけだ。宗教裁判。ただし、元名人の所属する宗教団体は、中世においては猫を「魔女の子分」とみなして火あぶりにしたという隠された歴史も聞いたことがある。

現段階で、前もって、「嫌だなあ」と思っているのは、地元の保健所職員なのだろうか、あるいは。

猫の恨みの伝説は全国各地に数多くある。



さて、11月29日出題作の解答。

▲4二馬 △4六玉 ▲3七龍 △5五玉 ▲5六銀 △6六銀 ▲6七龍 △同と ▲7五馬まで9手詰。

大駒がビュンビュン動く作である。ただ、威勢はいいのだが、どこか、ショーアップされたわざとらしさが、漂うのではないだろうか。プロレスの決まりごとのようにロープへ飛ばされたら、無抵抗にリングの中央に戻ってきて大技・小技をかけられるという体(てい)である。

二手目に盤の右の方に玉が逃げると、7手詰めになるのだが、これが7手で詰められないと正解を見誤ることになる。景気対策に給付金を配るようなものだろうか。



今週の出題だが、前々週、前週と一桁問題を出したところ、『物足りない』という声があったため、少し長めの問題。

双玉問題である。

双玉問題の多くと同様、じっと見ていると筋が見えてきて、それに対する攻防が浮かんでくるはずだ。また、いかにも平凡な余詰がありそうで、それが詰まない妙手もあるのだが、それはわからなくても正解できるはず。

収束の数手が平凡なのが痛いのだが、なかなか改良できない。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。

長寿番組:開運!なんでも鑑定団

2008-12-12 00:00:33 | マーケティング
テレビ東京の長寿番組といえば、「開運!なんでも鑑定団」。毎週火曜日の夜9時からのレギュラー番組で、再放送もきちんとおこなわれている。1994年4月19日にスタート。



ところが、初回の視聴率は、たった5.4%だったそうだ。その後、ダブル司会者の石坂浩司と島田紳助の奮闘で、2008年上期の平均視聴率は14.4%と堅実である。

番組開始の1994年といえばバブルが崩壊し、不景気真っ只中。考えればデフレと逆行して健闘した番組ということだ。ただ、1995年4月18日に視聴率21.7%と20%超え、1996年6月11日に23.7%の最高視聴率を記録したことを考えれば、現在の数字は、ちょっとさびしい。


海外にも同じような番組があって、エーゲ海の底から引き上げられた青銅の壺が5万円だったりするわけだが、古今東西、ニセモノというのが、ある確率で登場するのが、番組の魅力の一つだろうか。

本人評価額5百万円の伊万里の壺が、・・オープン・ザ・プライス!・・・10万円!

本物だったら3千万円ですけどねえ・・まあ、贋作とはいえ、いい仕事してますから、よく磨いて花でも生けたらいいんじゃないでしょうか。


それと、珍品。

先日も、幻と終わった1973年のローリング・ストーンズの日本公演チケットが60万円と値付けされた。テレビ東京150株分だ。



2008年9月9日には、ガラモンのソフビ人形が700万円で登場。慌てて、自宅の押入れの奥を探してもゴム製のヘビ一匹すらいない。


そして、奇妙なことに今までの鑑定評価額のベスト5は、視聴率が高かった1995年頃ではなく、もっと最近。

1位:柿右衛門様式のツボ 5億円(2005年9月)
2位:台湾工芸品3点   3億5千万円(2001年4月)
3位:モンロー衣装    2億円(2004年4月)
4位:西洋アンティーク各種 1億9千4百万円(2003年9月)
5位:七宝焼の香炉    1億8千万円(2005年4月)


最近の動きでは、「出張鑑定 in ○○」というコーナーが、地方自治体に超人気で、誘致希望地区が多数あるそうだ。この現象を辛口で考えれば、「過去の栄光に溺れた衰退都市」が全国に多数存在する、ということなのだろう。

そのうち、巨大物件の鑑定とかもあるのではないだろうか。大阪ドームとか。オープン・ザ・プライス!・・・・・・

テレビ東京と冥王星

2008-12-11 00:00:20 | 投資
テレビ東京の泡沫株主である。もちろん在京キー局の最下位であり、NHKは超別格、日テレ、TBS、フジ、テレ朝ともまったく格下。もっとも大株主が日経新聞であり、経済的なニュースは他社より充実している。



実は、この株価激落の時代に、この社の株価は大健闘している。一応、ディフェンシブ株と言えば聞こえがいいのかもしれないが、元々安いということかもしれない。あるいは時間差攻撃でこれから下落?

実は、この社に期待しているのは、そんなに合理的な話ではなく、デジタル化に伴うある話から。

チャンネルの引越し。



全国を歩くと、キー局とチャンネルがまったく地域ごとにバラバラになっていることがわかる。だから、これからの話は、東京周辺での話しである。

現在のアナログテレビでは、テレビ東京のチャンネルは「12」である。太陽系で言えば、最近準惑星に格下げになった冥王星みたいな存在だ。

多くの人は右利きなので、リモコンを右手で持つはず。そうすると、チャンネルを持った手の親指のホームポジションは、「8」のあたりにあるはずだ。それで、あちこちに指を動かして「4(日テレ)」か「6(TBS)」か「8(フジ)」か「10(テレ朝)」に移動する。NHKは「1と3」だが、これは「目的チャンネル」で、特定の番組を見るたびに押すので、有利不利には関係ない。

「4」から「10」までの中で、見たい番組をさがすのだが、どこでも同じような番組をやっている。みのもんたとバカタレのクイズ番組。

ところが、「8」のあたりのホームポジションから親指を「12」に移動するのは、親指の構造上、無理がある。他の指に比べて間接が一つ少ないから、曲げるのは苦手だ。

ところが、2年後にデジタル化が行われた場合、テレビ東京は、かなり有利なポジションに移動することができる。

今度は「7」である。チャンネルが移動するのは、テレ朝(10→5)も同様だが、10→5より12→7の方が有利度が高いはずだ。チャンネルサーフィンのグループに入るだろう。僅かに視聴率にも効果があるだろう。


それで、現状の視聴率はどうなっているかだが、やはり弱小冥王星的な数字で、なんとも判断つかない。

ゴールデンタイム視聴率 7.9%
プライムタイム視聴率  7.5%
全時間視聴率      3.5%

前年より0.4%ほど下落中。

では、今年上半期の高視聴番組はといえば、

レギュラー番組では、

1.開運!なんでも鑑定団(6月3日)  17.4%
2.刺青請負人(7月18日)  13.4%
3.出没!アド街ック天国:大船(9月20日) 12.3%
4.木曜ミステリー9:指紋捜査官(5月14日)12.0%

といったところ。

特別番組は、やや情けなく、

1.元祖!大食い王決定戦(9月28日) 12.9%
2.解禁!○○女をのぞき見SP(8月25日)11.4%
3.第39回夏祭り日本の歌(7月4日)11.0%

といったところである。

どうも、「開運!」「出没!」「元祖!」「解禁!」というように「!」を付けるといいらしい。どこが日経なのかまったくわからない。

レギュラー番組の中には、経済に関係のある番組もあり、個人的には平日朝6時前からの「モーニングサテライト」は見ている。「ガイアの夜明け」はNHKの「プロジェクトX」と同様に、嘘っぽい部分を感じているので見ていない。

村上龍の「カンブリア宮殿」は、番組としては面白いのだが、村上龍のキャラクターをつぶしているのではないだろうか。作家の発言が大家的で重厚すぎるように感じる。もっと腰の軽い軽薄作家がいいのではないだろうか。たとえば、辻仁成とか浅田次郎とか。

村上龍氏は、もっと人間存在の限界地のような戦闘地域とかジャングル奥地とかに潜入して、極限的小説を書いてノーベル賞でも狙ったらいいのに。

せ・ん・せ・い

2008-12-10 00:00:45 | スポーツ
たまたま、ゴルフ場の組み合わせで、「先生」と呼ばれる年齢60代の男性と、その男性の「同伴女性(40代?)」と3人で回ることがあった。



そのコースは6800ヤード以上あり、難易度がかなり高いことで有名なのだが、ティーグラウンドが4択になっている。前の方(つまり易しい方)から、「シニア(レディース)」、「レギュラー」、「バック」、「チャンピオン」。

ごく普通の男性は、「レギュラー」からティーショットを打つ。いわゆる「白」である。腕に自信のある人は、もう一段難しいバックティーから打つ。こちらは「青」。ところが、ここのコースでは、さらに後ろに「チャンピオン」を用意している。要するに、可能な限りの最も後ろである。まったく違う風景が見える場所だ。

そして、まず、「先生」と呼ばれる男性は、肩を丸めながらゆっくりと「チャンピオンティー」へ向かうわけだ。

あれっ、シニアって一番前じゃないのかな??

そして、小さめのスイングで放たれた打球は、・・・

見えない。プロみたいな超光速弾だったわけだ。

次に、「先生」のお供の女性の方だが、こちらは、レディースではなく、レギュラーに向かう。

なぜか、「先生」と同じフォームで同じブランドのクラブを使っている。こちらの打球は、見える。光速よりは遅いようだ。

これは、負けられないと、チャンピオンに向かうと、「先生」からは、

「好きなティーから打ちましょうよ」と易しいコトバを受けることになる。で、「バックティ」ということになる。

そして、打ち出した打球は、・・・

見えない。超高弾道のロケット花火のように左のラフの中に落下。3人がかりの捜索にも拘らず、紛失球となる。地面にめり込んだのだろう。

「好きなティーから打ちましょうよ」と二度目のアドバイスを受けることになる。

こうして、2番ホールから、適切なティーショットの位置が確定したのだが、「先生」は難コースを苦にすることなく、スコアカードにあらかじめ印刷されたとおりの数で進んでいく。というかスコアは付けない。

やっと、「先生」と「女性」と「私」の位置関係に変化があって、女性と先生が離れたところで、女性に聞いてみる。

「先生って、弁護士の先生とかなんですか?」

大笑いされる。

「ゴルフの、せ・ん・せ・い」

弁護士と愛人という関係を想定していたわけだ。おおはずれだ(というか、一部ははずれてないかもしれないが)。

せっかくの機会なので、「なぜ、先生は巧いのか」を観察していたのだが、何となく感じたことがある。ドライバーの飛距離は私とあまり変わらないようなのにだ(ティーの位置が違うので比較は難しいのだが)。

見ていると、すべてのショットは手加減して打っていることがわかった。8割くらいの力かな。だから、とんでもないところには行かない。アイアンショットは大き目のクラブで低い弾道である。これも軽く打つからだろう。だから、パー4では、かならず第2打がグリーンの上か、その近くにいく。低い弾道だからバンカーの砂に突き刺さったりしていない。単にバンカーの砂の上に転がっているだけだから、かえって打ちやすい。

そして、決して3パットしない。妙なのは、女性用の短いパターを使われている。というか「同伴の女性」とまったく同じピンクのパターだ(目印のカラーテープが貼られていた)。もっとも、3パットしないのは、結果かもしれない。第二打で、狙った方向と距離が出ていれば、3パットするような場所には行かないからだ。


昼食の時に話をしていてわかったのだが、昨夜は二人+何人かで、ナイターゴルフに行っていたそうだ。さらに次の日は別のクラブの大会に出場するそうだ。3連投。

”そういう人もいるんだ。もしかすると、女性がパトロンということだろうか”と、謎は深まるのだが、まあ、午後は三人三様のバラバラゴルフとなったため、「先生」と「同伴女性」の観察は中止。18ホール終了後、私は大浴場のサウナルームに直行し、「先生」は、バンカー練習場に直行し、「同伴女性」がどこに行ったかはまったく不明。


自宅に帰ってから、先生の名前からネット検索してみると、シニアの強豪で全国のベスト10位以内の方であることがわかった。大小あちこちのゴルフ会の幹部になっていて、プロの卵の指導などもしているようだ。

つまり、「せ・ん・せ・い」なのである。

「ピンクのパター」は謎のままである。

しかし、その後、「せ・ん・せ・い」のプレー分析結果は、私の成果には、まだ、まったく結びついていない。

ピンクのパターを買わなきゃいけないだろうか。いや、女性からもらわなければならないのだろうか。もちろん、新品限定。

失速?

2008-12-09 00:00:20 | 企業抗争
トヨタ自動車の超泡沫株主であり、さらに超泡沫社債ホルダーである。つまり、大損害を食らっている途中のわけだが、なかなか解読しにくい「TOYOTAレポート」が送られてきた。

損益計算書や貸借対照表など精緻に調べなければならない会社ではなかったはずだが、数値的にながめてみると、どうも安閑としていられないような匂いが漂う。



20年度上期の損益からいうと、売上高に対して、利益が薄い。一般的な意味での売上高利益率は13.6%。販売管理費が11.1%もある。この比率から言えば、単に「古くて、利益にきゅうきゅうとしている会社」という範疇だ。生産台数は昨年比0.1%減で、売上高が6.3%減。営業利益が54.2%減。

この営業利益を所在地別にみると、日本は58.4%減、北米が86.5%の減、欧州は87.2%の減、アジアは逆に17.6%の増益である。

ただし、資料で感じたのは、この所在地ごとというのは、生産地別という分類であり、販売地別という分類にはなっていない。トヨタの社内管理が、商社的ではなくメーカー的になっているということがうかがい知れる。

また、メーカーの販売管理費が10%を超えているのは、若干問題ありという感じがする。しかも、これらの数字は上期のもので、下期の展開はさらに落ち込むのだろう。

貸借対照表上の9月末の自己資本比率は、36.6%と、やや不安が残る感じがある。トヨタ銀行とかいわれるが流動資産と流動負債はほぼ均衡していて、特に「なんだかなあ」というところ。

さらに、固定資産の中の「賃貸用車両および器具」というのが3兆円あって、この3兆円のうちいくらが償却済みかはっきりしないのだが、主に北米で展開している車両のリース(販売ではなく、たとえば3年リースでは、3年後引き取り価格と新車価格の差額だけをユーザーが分割払いにする)ではないかと思うが、要するにサブプライムローンと同様の無担保貸付のようなものである。

これだけみれば、格付け「AAA」が、ひどく奇妙に感じるし、社名が書かれてなければ「A」みたいなものではないだろうか。

最後に、取締役のリストを見ると、30人の取締役は全員日本人。50人もいる常務役員リストの中に横文字が4人いるだけである。取締役の中には、取締役名誉会長という肩書と取締役副社長という肩書に会社の名前と同じ苗字の親子がいるわけだ。


ところで、新発売の「iQ」。1000CCで、軽自動車より全長は短く幅は広い。一体、誰が買うのかなかなか想像できない。後部座席はきわめて狭いので、通常は二人乗りまで。燃費は同じエンジンサイズのヴィッツと同レベル。2台目に軽自動車をという人のニーズである「維持費の安さ」はない。

では、新興国では、といってもインドは子沢山なのだから、二人乗りより、むしろ7人乗りじゃないだろうか。

確か、昨年の東京モーターショーでは、「iQ」はプラグイン仕様が出展されていたような記憶がある。プラグインについては新型のプリウスでも見送られるようだが、パナソニックのリチウム電池開発で何らかの問題が発生したのだろうと、うすうす感じてしまう。

パナソニックによる三洋買収の裏には、案外、このあたりの事情があって、トヨタ=パナソニックグループがもたもたしている間に、三洋が他の自動車メーカーに電池を供給しないようにするための遅延工作ではないかと疑っているのだが、実は敵はたくさんいて、ついにフォルクスワーゲンは、プラグインハイブリッド車「ゴルフ・Twin Drive」を発表したようだ。燃費は40キロと言われる。

銀座で聞いた納豆の話

2008-12-08 00:00:10 | 市民A
麻生内閣の行方がよくわからないことになってきた。思い返せば、安部、福田、麻生とシケた線香を無理やり燃やしているようなものだったのかもしれない。不人気の理由の一つが、放言癖なのだが、その中には、「まったく的外れとは言えない」ものもあるなあ、と感じていたものもある。(ただし、本人がどう思って発言したのかは知る由もないので、単なる放言に過ぎないのかもしれない。)

まず、放言1はこれ。

「医者は社会的常識が欠落」

確かに、医者という集団がすべて反社会的グループみたいに聞こえるが、「医者のほんの一部には社会的常識が欠けている人がいる」と言えば、そんなに違ってはいないだろう。

実際、労働経済学的に言えば、労働力の需要と供給のバランスの崩れが数%あっただけで、マーケットの需給調整機能が崩れるような例もある。普通の労働市場では、5%前後の失業者というのがグラフの外に存在するため、需給均衡点が自動調節される。

医師の場合、あまり「失業医師」というのが多くないのだろうから、ほんの数%の「社会的常識の欠如した医師」が、夜間診療を拒んだり、田舎から都会に出て行ったり、産科や小児科といったハイリスクな専門から企業医に鞍替えしたりすることで全国医療ネットワークに穴があく。そして、それを埋めるべき「失業中の医者」が足りないわけだ。


放言2は、「たらたら飲んで食べて何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」

きょうのメーンテーマはこれ。

毎晩、はしご酒をしても、翌朝、散歩をすれば健康でいられるかどうかは、麻生氏が自分の寿命で証明しなければいけないことで、こんな強気発言をして、後で倒れて入院でもしたら、何を言われるかわからないとは思わなかったのだろうか、という余計な心配はおいておくとして、病気にならないように、日頃、気をつけている人もいれば、全然無頓着で、あちこち切ったり縫ったり放射線を当てたり、高い薬を投薬している人もいる。さらに今後、臓器移植の時代になれば、手術は大掛かりになり、入院期間も長期になる。

誰も言わないが、一人一人の個別論ではなく、確率の話とすれば、健康に留意していて健康診断を欠かさない人の方が、そうでない人よりも医療費がかからないのではないだろうか。もちろん、病気になっても医者に行かずにそのまま路上で倒れて土と化してしまえば、健保も年金も介護保険も払っただけのお客様になるのだが、当然ながら、そういう人が病気になると、「制度がどうだこうだ」と大騒ぎする。


で、ここからは私事なのだが、最近、脳梗塞から復帰した知人と話す機会があった。駅のホームで倒れてから半年ほど入院、自宅治療を続けたあと社会復帰。当初は、倒れる前と比べると、若干人格が変わっていて、以前とは別人のような感じがあったのだが、さらに半年ほどで、違和感がなくなってきた。脳の働きはまったく不思議だ。

そして、こちらは、あまり気が乗らなかったのだが、夕食を食べて、ではさようなら、という頃合なのに、「もう一軒行きましょう」とか言うわけである。早い話が、また倒れられて最も困るのは私なのだ。復帰後、仕事より先に銀座のあいさつ回りということ。

そして、その時に聞いた話だが、ある薬を飲んでいるから大丈夫というわけだ。薬の名前は聞かなかったが、ドロドロ血液をサラサラにする薬らしい。たぶん「ワーファリン」だろう。血栓ができないようにということ。

そして、そのクスリの話になるのだが、食べ(飲み)合わせてはいけないものがあると言われたそうだ。

一つが、グレープフルーツ。もう一つが納豆ということ。

グレープフルーツの方は、かなり有名で、クスリによって薬効が下がったり上がったりする成分「フラノクマリン」が含まれている。色々なクスリの飲み合わせで登場するので、病気になると食べられなくなる。これが好きでしょうがない人は健康なうちに(あるいは入院する前に)たくさん食べておくことだ。また焼酎やウォッカをグレープジュースで割ると、酔いにくいと体験的には思っているが、たぶん関係あるのだろう。

そして、もう一つの納豆の方の問題。納豆には「ナットウキナーゼ」という酵素が含まれている。この酵素は血液サラサラ効果があるとされるのは知っているので、サラサラが二倍になるのでいけないのかと思ったのだが、後で調べたら、そういうものでもなかった。このサラサラを抑制する成分ビタミンKが含まれているからということらしい。ナットウキナーゼとビタミンKのどちらが勝つかわからないが、当初の薬効の計算値通りにならないから禁止なのだろう。納豆は、まったく微妙な食べ物だ。


では、納豆を食べていると、血液サラサラになって循環器系の病気になりにくいのかどうか。シロウトが入手できる統計では、そういう地域的な発症格差がわからないように、隠蔽されているわけだ。県別ではなく地域別A地区とかなってしまう。そして、糸口を見つけたのが、平成17年に茨城県で「循環器疾患の予防に関する検討会」というのが開かれ、そこへ報告書が出ていた。

茨城県における循環器疾患に関する予防対策について 「循環器疾患の予防に関する検討会」報告書

納豆と言えば水戸である。水戸は茨城県の県庁所在地で、幕末には大活躍した徳川御三家である。知っている限り、水戸出身者(みとっぽ)は男も女も納豆好きである。茨城県の循環器疾患の現状を知れば、納豆の血液サラサラ効果の一端ぐらいはわかるのではないだろうかと考えてみたわけだ。

しかし、レポートには意外なフレーズが並んでいた。


本県の心疾患死亡率の状況を平成15年人口動態統計の心疾患標準化死亡比で見ると,男性が108.8で全国6位,女性が113.2で全国1位と,男女とも全国と比較して高い。

平成8~12年人口動態統計の糖尿病標準化死亡比をみると,男性が126で全国3位,女性が117で全国4位と,男女とも高い。

食塩の摂取量は、男性12.8g,女性11.5gと,男女ともに全国より多く摂取している。

1回の飲酒量が3合以上の人の割合が,男女ともに高い。

喫煙習慣のある人の割合は,男性が53.8%と全国より高くなっている。(そういえば、たばこの産地だ)

県民健康実態調査による年1回は健康診断を受けている方の割合は64.8%であるが,基本健康診査でみた受診率は全国平均より低く,全国順位は36位である。

つまり、勝手にこれらのデータを机上で組み立てると、

 納豆に醤油をたっぷりかけて、白米にのせ、たいしておかずを食べずに食事を済ませてしまう。このため、塩分、糖分取りすぎになる。

 また、酒やタバコを好む県民性である。

 しかも、健康診断には行かない。

ということになるわけだ。ナットウキナーゼだけに頼るようじゃ「病院丸もうけの地獄図」になるわけだ。

余計な話だが、酒やタバコの害は、未成年のうちに嗜み始めることが大きな敗因とされているわけだが、あの県は、いたって寛容な気がする。酔っ払い運転とか・・


まあ、納豆を醤油ではなく、牛乳でこねてから、ライ麦パンでサンドイッチにして食べれば健康的なのだろう。


ところで、数年に一度ずつMRIによる脳ドックを受けているのだが、脳梗塞から復帰した銀座の帝王氏が酔っ払った頃合を見計らい、「おおたは脳ドックを受けているのですが、貴殿はドックとかしていたのですか?」とかなり聞きにくい質問をしたのだが、・・

「ドックなんか行っても、わかるものか!!」と、いきなり凶暴化してしまい、もう、タクシーに押し込むほかなかったわけである。

大正の終わりに

2008-12-07 20:53:53 | 歴史
国立公文書館で開催中(10月31日~3月19日)の「大正から昭和へ」展を覗く。

大正元年から15年間の短い期間に日本は大騒ぎを続けていた。今思えば、近代国家を形成する前に、明治時代の輝かしい戦功が先行した日本国が、次なるステップに向かう前の国内的地固め時期だったはず。結局、昭和になって、様々な方向の政治力学の合成されたベクトルが変な方向に向かった。

それらの軌跡を公文書を追うことで、じっくり考えていようということだろうか。

わざわざ、東京竹橋まで見に行かなくても、ホームページで資料の一部は知ることはできるが、そこは本物感を味わうために足を運んではどうだろう(ただし、展示品は複製が多い)。入場は無料である。

ホームページでは見られない資料の一つが、関東大地震の写真の中の一枚。



大正12年(1923年)9月1日、11時58分に東京、横浜を襲ったマグニチュード7.9の直下型地震では、死者・行方不明者約14万2千人となる。

その際、多くの炎上した建物の一つが、警視庁。火を噴く警視庁の写真が展示されている。一月ほど前に警察博物館に行ったときに、警視庁の過去の殉職者、1688名のうち関東大震災で95名と記されていたのだが、そのうちこの建物で亡くなられた方も多いのだろうか。

時節柄、軽く書くべき冗談ではないのだろうが、日頃、警察に怨恨を持っていて、「いつか、警察署を焼き討ちしてやろう」などと危険な思想を持っている方は、この写真を見て、すべての恨みを晴らしてもらえばいいのではないだろうか。

資料によれば、9月1日の地震の直前、8月24日に加藤友三郎首相が急死。8月28日に急遽、元首相山本権兵衛が内閣を引き受けていたものの、震災時には、まだ組閣が終わっていなかったそうである。


その後、大正14年(1925年)の第50回帝国議会において、歴史上重要な二つの法案が成立する。



「治安維持法」大正14年4月21日。

 この時の最高刑は懲役10年であったが、3年後の1928年に最高刑は死刑となる。結局、のべ7万人が検挙される。


「普通選挙法」大正14年5月5日

 今までは、あるレベルの納税を行う人だけに選挙権があったが、25歳以上の男性なら誰でも投票できることになる(このため、必要経費を山盛りにして税金を免れる人種がのさばるようになったのは、あくまでも戦後のことだ)。普通選挙方による第一回の衆議院議員は奇しくも治安維持法の強化された1928年に行なわれた。


いずれの法律も、天皇に代わり、摂政が署名を行っている。

倉敷藤花と八犬伝の関係

2008-12-06 00:00:26 | しょうぎ
まず、本日のエントリの内容は、「歴史的真実」かどうか、まったくはっきりしていないので、単に、「可能性」という程度に考えていただければ。

倉敷藤花戦は、3番勝負を2連勝した里見香奈女流二段が優勝。初のタイトルを獲得。16歳の初タイトルは、男女問わず棋士の羨望だろうが、本人はもっと前に取れると思っていたらしい。強気の棋風で「出雲のイナズマ」と呼ばれているのは、島根県の出雲市に在住しているからで、対局のつど上京しているそうだ。

d9b8735b.jpg獲得したピンクのガラス製のトロフィーは重そうで、自宅まで持ち帰るのが大変そうだが、普段は倉敷の大山康晴記念館の一階和室の床の間に無造作におかれている。

先日病気で亡くなった愛棋家の知人M氏は、彼女のファンだったが、「若い女性が好き」「強い棋士が好き」というよくある二つの要素の合成心理だったように思う。その二つの要素は、ごく一般的であるから、同様なファンも多いと思う。


ところで、以前から僅かに気になっていたことがあったのは、彼女の名前。里見という「姓」である。

里見といえば里見八犬伝ということになるのだが、そんな短絡的な連想ではないわけだ。

実は、全国各地の「お城」というのを、色々と調べていて、千葉県の南端、館山にある「館山城」について調べていたわけだ。ここでは丘の上の公園に天守閣が建っているのだが、これがまったくの「模擬天守閣」。実在の本物の姿がわからないからといって、犬山城の模倣で復元した。犬山城天主閣は、天正時代の作で現存12天守閣のうち最古とされ、国宝。ごく最近まで、大名だった成瀬氏の個人所有だった。

おそらくは、なんらかの意匠料の支払いがあったのではないかと想像できるが、そこまでこだわったのは、おそらく犬山城の「犬」の文字だったのだろう。つまり館山城は、八犬伝のモデルとなった里見氏の居城だった。

もともとの里見氏は、源義家の孫の代に、「足利」「新田」の両家が源氏から分家。この新田家から早い段階で群馬県の里見郷に分かれた里見太郎に起源を持つ。鎌倉時代末期から室町初期にかけて足利×新田抗争の末、千葉県南部に追いやられ、じっと潜むわけだ。その後、戦国時代には、お家騒動の末、里見家は強大化。小田原の北条氏と張り合う(といっても安房・上総の領地防戦に努めていたようだ)。

そして、秀吉の小田原攻めという好機に便乗できず、逆に遅参者のラベルを貼られ、処断されそうになったところを家康にかばわれ救われる。このため、関ヶ原、大坂の陣では徳川側につき、領地安堵のはずだった。

が、家康晩年に起きた、大久保長安事件に巻き込まれる。土井、酒井といった実務派による幕府内クーデターで、武断派の大久保一門とその支持者が処罰を受ける。大久保派には伊達藩、池田藩らの巨藩もあったものの、「大きすぎてつぶせない」というメガバンクのような話で、小藩である里見藩が見せしめのために処罰を受け、安房から倉吉(鳥取)へ改易になる。実際は、当主里見忠義および家族と僅かな側近武士だけが同行したようだ。

そして、忠義は29歳で死去。跡継ぎがいない、ということになり、里見家は倉吉で断絶。残された臣下8名は、行く当てもなく、当地で自刃することになり、八賢士の墓を残すことになる。もちろん八犬伝はこの八賢士からイメージを借用したのだろう。

そして、今度は鳥取県倉吉市の話。どうも里見忠義には側室がいたそうなのだ。何人かの男児が生まれ、他家の養子などになったそうだ。普通考えれば、側室ではなく正室であったのだろう。子孫を残すために、藩主自身が八犬伝方式をとったのだろうか。

そして、倉吉と出雲は隣県であり、距離は約100キロ。出雲大社という幕府のアンタッチャブルな聖域だったことを考えれば、里見家の末裔が出雲に流れた可能性は僅かにあるのではないだろうか。


ところで、馬琴の「南総里見八犬伝」では、殿様の娘は、飼い犬に命を救われたお礼に寝室に犬を引き入れてしまい、その後、懐妊してしまうのだが、新チャンピオンは、そういうことが起こらないように注意したほうがいいだろう。もっとも、現在、「犬」の字のつくプロ棋士はいない。


再度繰り返すと、本日のエントリの内容は、「歴史的真実」かどうか、まったくはっきりしていないので、単に、「可能性」という程度に考えていただければ。


d9b8735b.jpg11月22日出題作の解答。

▲1四角成 △同と ▲同馬 △同玉 ▲1五歩 △同玉 ▲1三飛成 △1四金 ▲同龍 △同玉 ▲2四金 △1五玉 ▲2五金 △1六玉 ▲2六金 △1七玉 ▲2七金 △1八玉 ▲2八金引 △1九玉 ▲2九金引まで21手詰。

初手1四馬では逃亡される。

1三飛成に金の限定合になるところから、問題が成立した。

知人M氏の葬儀の夜に思いついた作。詰め上がりが墓銘碑である。安らかに。

ただ、途中から無理やり玉を墓穴に追い落としたというような気配もある。

動く将棋盤は、こちら

d9b8735b.jpg今週の出題も、どちらかと言えばヴィジュアル系かな。あまり見慣れぬ筋を使うと、保守的なツメキストには受けが悪いのだが、どうせならと、そういう作を中心にここにアップしている。易しそうで、本当は易しいのだが。(変な表現だ)

いつものように、わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。

ヴィーノ・ノヴェッロ、ついに到着

2008-12-05 00:00:31 | あじ
イタリアの新酒。解禁日が12月6日だったのだが、ひっそりとイタリア某所の港から船積みされ、冷蔵コンテナに入ったまま予定日より約10日遅れで自宅に到着。6本1万円のはずだったが、円高差益がちょっと戻ってきた。



だらだら到着が遅れた原因は、世界的な海運市況暴落(一説では20分の1)のため減便の影響があって、二隻分の貨物を一隻にまとめたらしい。そうなると、船は遅れるは、寄港地は増えるは、日本はFAR・EASTだし・・ということらしい。

さらに、地中海からスエズ運河を通って、紅海を出たとたんに、ソマリア沖になる。海賊の追跡をかわしてから、インド洋。シンガポールの目の前がマラッカ海峡で、ここも海賊が名物である。

大手海運会社は、ソマリア沖を回避して喜望峰周りにシフトしているようだが、イタリアからだと、そういうルートで日本に向かうと地中海を逆走することになり、まさに大きな日数(運賃)ロスになる。さらにマラッカ海峡を迂回して、インドネシアのロンボク海峡まで回れば、もう新酒も中途半端に醸成が進んでしまうかもしれない。

来年からは、航空便になるのだろうか。

そうなると、日本では、ボジョレ・ヌーボーより10日から2週間の前出しになるのだが、となると新しいブームになるのだろうか。

「ヴィーノ・ノヴェッロ」というのも、なかなか新商品らしい新鮮なコトバである。濁点のあるカタカナのネーミングは、「覚えにくいが、忘れにくい」という原則があるらしい。

しかも、個人的見解としてはボジョレより旨い(赤ワインの場合)。

もっとも、「新酒解禁日」が「普段、ワインを飲まない人が1年に1本だけ無理に買う日」であるとしたら、この不景気の中、いかなる新酒も「来年は全滅」ということかもしれない。

ハチ公、その真実は?(3)

2008-12-04 00:00:01 | 歴史
d9b8735b.jpg実在していたことが、はっきりしていて、写真や剥製(国立科学博物館蔵)まで残っているハチ公の伝説は、果たして「真」か「虚」か。

飼い主だった上野英三郎農学博士が亡くなったのが1925年。大正14年である。それから83年の間に、日本は大正デモクラシーをすべて捨て去り、右傾化教育の末、勝ち目のない戦争に突入して完敗。その後、精神的漂流を続けて現在に至る。果たして80年前の時点まで戻っていないかもしれないのだが、そのあたりの思想対立が、このハチ公の正体論争に大きく影響しているように思えてならない。

それでは、虚実入り混じった話を、色々と点検してみると、まず、問題の上野博士だが、東京帝大農学部教授である。その農学部はどこにあったか。それは大きな鍵である。

実は、現在も東大は、駒場と本郷に分かれている。大雑把に言えば、2年間の教養学部が駒場で、3年から本郷みたいな原則だろうか。実は、農学部は、上野教授が在職中に、駒場から本郷に移転している。大正12年(1923年)9月の関東大震災のあとだそうだ。

上野教授の住居は現在の東急百貨店本店のあたりだったそうだ。東大駒場と東急本店を地図で見ると500メートル位。歩いて5~10分である。つまり、渋谷駅とは何の関係もないわけだ。むしろ、勤め先に近いところに住んだ、ということだろうか。ハチ公は、大正11年(1922年)生まれとされるので、生まれたての子犬の頃は、送り迎えしていたわけじゃない。

その後、1923年の関東大震災のあと、東大農学部の移転により、博士は慣れぬ電車通勤をしなければならなくなる。では、どうやって通勤したか。

d9b8735b.jpg現在なら、簡単な話である。地下鉄銀座線で赤坂見附駅で丸の内線に乗り換え、本郷三丁目まで。あるいは、JR山手線で池袋から丸の内線など、いずれでも30分程度。両サイドを10分歩いても50分である。



ところが、当時はこの丸の内線はなかった。戦前に完成した唯一の地下鉄、銀座線も昭和に入ってから。交通網は都電と山手線になるのだが、山手線が環状になったのは、奇しくも大正14年である。環状になる前は、「の」の字運転といって、中野から新宿、御茶ノ水、東京ときたあと、品川、渋谷、またも新宿、池袋、上野終点と変則運転をしていた。

一方、都電は、渋谷から青山通を三宅坂まで直進して、皇居を南回りに新橋方面に向かう路線と、北回りに九段下方面に抜ける路線があったが、東大農学部前という白山通りに行くつくまでには、1回の乗り換えでいけるかどうか。

実際には都電の渋谷駅は、ハチ公の銅像のあたりにあったので、都電で通勤していたのかもしれない。国鉄にしても都電にしても東急本店からは5~10分といったところであるが、果たして飼い犬が出迎えに行っていたのだろうか。彼は有名教授であり、公用で多忙のはず。毎日帰宅時間は一定していたのだろうか。



そして、博士が亡くなるのは大正14年(1924年)5月21日。講義中に脳溢血を起こしたそうだ。一説では、通勤時間が長くなって疲労が蓄積していた、ということらしいが、まだ53歳なのだから、通勤過労ということはないだろう。何か持病があったのだろうか。

そうなると、博士が渋谷駅から国鉄または都電で通勤したのは、長くみても半年くらいとなる。

そして、その後、ハチ公は上野家から他所に養子に出されるのだが、逃亡。結局、一生のほとんどを渋谷周辺で暮らすことになるのだが、毎夕、駅前に現れるところを目撃され、その後、「忠犬」ということになる。


さらに、問題は出自である。秋田からきた「正統秋田犬」なのか、「大村藩の雌の秋田犬のご落胤」なのか。これもなかなか決定的な手がかりはないのだが、雑種説の有力な証拠として、実在の写真や、銅像に見られる左耳の「半垂れ」をあげることが多い。純粋な秋田犬は、耳が立っている。現在のwikipediaでは、「皮膚病で耳が垂れた」ということになっているが、理解しにくい。(少し前のwikipediaでは、ハチ公自体について、「単に駅前の焼鳥屋の屋台でお裾分けを狙っていただけ」と手厳しい説が紹介されていた。たぶん、二つの政治的勢力が争っているのだろう)

そういうことで、よくわからないのだが、一介の愛犬家として、犬の生態的に考えると、

 犬は、現実主義であるし、結構、頭がいい。

つまり、すでに野外生活だったのだから、迎えにいくとかいうのではなく、渋谷地区全体を住まいにしていて、夕方になると駅前に出没した、ということだろうと思うわけだ。

雑種かどうかはよくわからない。剥製があるのだから遺伝子鑑定すればいいのかもしれないが、そもそも剥製が本物のハチ公かどうか、証明するものはないし、写真のハチ公の鼻の上の方には、縦に窪みが見えるのだが、剥製には見当たらないのも気になる。

結局、謎だらけで調査終了。


まあ、博士も健康であれば、職場で倒れることもなく、飼い犬が渋谷の雑踏に迷うこともなかったはずだ。犬を飼う前に、自分の健康管理が重要だったということなのだろう。

おわり

ハチ公、その真実は?(2)

2008-12-03 00:00:18 | 歴史
昨日の続き。



ハチ公美談のすべての元は、昭和7年10月に連合通信社の細井吉蔵記者が書いた、記事によるのだが、なんと終戦後、彼は思いがけない告白をする。

 実は、記事は「創作」だった。

最近では、他人のブログを切り貼りして記事を書く新聞記者もいるらしいが、現代の不正記事の多くは「手抜き思想」であるだろう。ところが細井記者は、真実でないと知りながら、スポット記事を作ってしまった。

細井記者がウソをついたと言った部分は、

1.主人を迎えに自宅から往復していた、となっていたが、実際には上野教授の妻は犬嫌いで、知人に犬を預けたものの逃走。渋谷に戻り、普通の野良犬生活だった。

2.正統の秋田犬となっているが、実際は雑種だった。

記事は、渋谷の屋台で飲んでいたところ、屋台のオヤジから教えてもらったハチ公の話を脚色して書いた。記事がないときの穴埋め用だった。

そして、書いた記事を修正したくても、現実はどんどん忠犬化が進み、言い出すと軍人に何をされるかわからないので言えなかった、ということだそうだ。


さらに、昭和58年になると、新証言が飛び出す。桃井春男という83歳の老人が、「ハチ公は私の飼い犬だった」と、とんでもない発言を始めたわけだ。

それは、桃井氏の若い頃に遡る。桃井氏は電気工だったのだが、渋谷にあった大村伯爵邸(元大村藩主)で仕事をしていたところ、伯爵から「犬を貰って欲しい」と頼まれたそうだ。聞けば、飼っていた秋田県の雌犬が雑種のこどもを五匹生んでしまった。伯爵家で雑種が生まれるというのは、大きな家の恥なのでなんとかこどもたちをあちこちに振り分けていたところだった。そして、桃井氏が引き取ったのがハチである。

ところが、たまたま、知人だった上野教授が犬がほしいということになったので、譲ってしまったということだそうだ。そして、その後、上野教授が亡くなり、後は犬嫌いの奥さんが知人に預けたものの逃走し、再び渋谷駅に現れる。一度は野犬係に捕獲されたものの、桃井さんが裏金を払って取り戻したこともあるそうだ。


この二人の談は、正しいのだろうか。あるいは?


そこで、当の上野英三郎教授にお伺いを立てるため、現在の居住地である青山某所へ行ったのだが、睡眠中ということで、返事をいただくことはできなかった。注目すべきは、「上野家の墓」ではなく、「上野英三郎個人の墓」ということで、この農学博士は農地開拓などの土地整地事業で名をなした有名教授だったそうだ。

つづく

ハチ公、その真実は?(1)

2008-12-02 00:00:15 | 歴史
犬の復讐と言って殺人を犯した人間がいる。また、東大卒無職の25歳が「教科書にはウソが書いてあった」と憤慨して、ブログに文科省高官殺害計画を書き込み、逮捕された。「教科書に書いてあったウソ」が何なのか、多少知りたい気もあるが、聞いても何の役にも立たないだろうと思う。実は、この「犬」と「教科書」に関係のある話を調べていて、どうにもよくわからないことを書いてみる。

さて、夕方、渋谷駅上空からヘリコプターで鳥瞰すると、ある場所に人間の同心円ができているのを見ることができる。



そこが、ハチ公前である。待ち合わせの名所。つい最近、岡本太郎の壁画が渋谷に設置され、「ハチ公から太郎へ」と変なキャッチフレーズが各所に見られる。確かに太郎の「明日の神話」は、屋内通路みたいな場所なので、雨でも濡れない。欠点は、渋谷の中心ではないこと。まあ、今まではハチ公ばかりだったので、分散するのはいいことだろう。

そして、この「忠犬ハチ公」の起源の秘密について調べてみると、真っ向対立する二つの説があることがわかった。なお、実在のハチ公は、昭和10年(1935年)3月8日、13歳で亡くなっている。死因にも諸説ある。

では、従来から言われているハチ公の話。(注意深くwikipediaを見ていると、しょっちゅう記載が変っているようだ。今日現在は、この従来説になっている)

まず、ハチ公の話が広がったのは昭和7年(1932年)10月に連合通信社の記者である細井吉蔵の書いた記事が全国の新聞に掲載されたことによる。連合通信は今の共同通信みたいな会社であり、彼の書いた記事は、全国に配信され、各地の新聞でとりあげられ、瞬く間に有名になる。


ハチ公は純粋な秋田犬で、東京帝大農学部の上野英三郎教授が飼っていて、毎朝毎夕、渋谷の自宅から駅まで、ハチ公が教授の送り迎えをしていた。ところが、ある時(大正14年5月21日)、上野教授は大学で講義中に脳溢血で倒れ、そのまま亡くなってしまう。

それがわからないハチ公は、毎日、来ない主人を渋谷駅に出迎えに行きつづけている。

という内容である。

ところが、この話はその後、渋谷をもっと商業的に栄えさせようという地元商店街の考えがあり、銅像を作ろうということになる。これを製作した彫刻家は安藤照。上野の西郷像も手がけた重鎮である。昭和9年4月には完成除幕式が行なわれ、12歳のハチ公も列席している。注目すべきは、リアリズムで製作されたハチ公の左耳である。右耳と異なり、いわゆる半垂れ耳になっている。

この翌年、ハチ公は13歳の一生を終えるのだが、今度は軍人が目をつける。修身の教科書に「恩を忘れるな」という題で掲載されることになる。また、歌手である並木路子は「ハチ公の歌」を歌っている。

しかし、時代は日中戦争になり、太平洋戦争になる。全国の二宮金次郎像も徴用され、溶融して武器にしていたのだから、このハチ公像もついに徴用されることになる。そして1945年8月14日、つまり終戦の1日前に、浜松にある鉄道省の工場でその姿を失うことになる。

そして、戦後。

再度、ハチ公像が完成することになる。昭和23年5月。初代ハチ公を作った安藤照の息子である安藤士(つかさ)の手で、ハチ公像は復元される。それと同様、ハチ公の故郷である秋田県大館市でも、ハチ公像が完成する。血統書まで発見されたわけだ。

ところが、ここまでの公式見解に対し、二つの巨大異論が登場する。

一人は、ことの発端の記事を書いた細井吉蔵の談。もう一人は、ハチ公の元の飼い主と名乗る人物の談である。

つづく