ビトウィン(川上健一作)

2008-12-26 00:00:49 | 書評
「蟹工船(小林多喜二)」が少し前、売れていた。低賃金長時間労働という派遣社員の日常とオーバーラップして、派遣社員を雇用している人たちが読んでいたようだが、いまや、「蟹を食う人がいないのだから、蟹工船自体が存在しない」ことになって、派遣の解雇が相次いでいる。蟹工船の時代は終わった。



川上健一のビトウィンは、エッセイなのか自伝小説なのかよくわからないが、1991年から長い休筆に追い込まれた作者が、10年間の困窮生活の末、2001年に「翼をいつまでも」で復活するまでの田舎住まいを題材にしている。山梨か長野かそのあたりである。

貧困にあえぎ、娘をディズニーランドにも連れて行けず、本来はホビーのはずのイワナ釣りを、家族の貴重なタンパク源にしなければならないわけだ(一応、作者は小説家なので、信じ切らないほうがいいと思うが)。フィッシングや選挙運動といった田舎らしい題材の中に家族の絆を描いた作品で、最初の大感動の場面は、妻が東京に同窓会に行った帰りに、一泊の予定を変更し、普通電車で帰ってくるのを夜の駅で待ち受けるシーン。娘と二人分の駅の入場券を買おうとすると、窓口で駅員に見破られ、「タダでいいよ」ということになる。出迎えの喜びが倍加される。

そして、結末。「翼をいつまでも」を書き終えた作者宅に編集者が東京からハムの詰め合わせを手土産にやってくることから始まり、「本の雑誌大賞」に選ばれるまでの展開になっていく。

実は、川上健一は結構保守的な作者だと思っていて、今まで読んだ作品では、いつも最後に爽快な結末を用意している。読者を人生の暗闇に突き落としたり、荒野に置き去りにしたりはしない。

もちろん、結末が事実としてあるのだから、この作品は、「翼をいつまでも」より後、2005年の作である。二回目のスランプに入る前に、予防注射の一作だろう。なんとか、2年に1作で書き進んでいる。


読後、amazonの書評を読んでみると、「(涙が止まらないので)電車の中で読んではいけない系」というような評が多いのだが、そう思い切れなかったのは、現下の経済状況からなのだろうか。

1年前までの、世界同時進行バブルの中での「貧乏物語」は、「夢と感動」物語として完全に成り立っていたのだろうが、シンデレラ城崩壊後の現在では、「イワナ釣りの日々」は、結構リアリズムなのである。蟹工船以下。つまり、経済小説なのかもしれない。

もっとも、経済は循環性、波動性を持っているのだから、いずれ、また再び景気回復&資源高バブルになり「極貧物語」に人気が回帰することも、あるのだろうか。

しかし、景気が回復してバブルになると、資源価格もバブルになって、結局景気が破裂するという、バブルの自動調節機能が発見された現在、・・