ルオーとマティス展

2008-04-06 00:00:03 | 美術館・博物館・工芸品
805ff458.jpg今年はジョルジュ・ルオー(Georges Rouault, 1871年-1958年)の没後50年にあたる。このルオーの友人だった、アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年-1954年)と合わせ、「ルオーとマティス」展が、松下電工汐留ミュージアムで5月11日まで開催中。ルオーといえば、松下電工コレクションと出光コレクションが有名だが、今回は、初期の時代から晩年にいたるまでのルオーの作品を集め、ポイントポイントにマティスの作が挟まれている。ルオー対マティスは2対1の比率のように感じた。「ルオー 対 マティス」か。

この二人が友人になったのは、1892年のことだそうだ。パリにある国立美術学校(エコール・デ・ボザール)である。時の教授はギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826年-1898年)である。彼のもとには多くの画家の卵が集まる。ただし、この教室で、ルオーは優等生だったそうだが、一方、マティスは劣等性。というよりも、マティスは入学すらできなかったわけだ。その結果、自由学生という扱いだった。イマ流でいえば、盗講生。クラスの集合写真を見ると、ルオーは優等生らしく最前列の中央に座り、マティスは後ろから二列目の端の方だ(ということは、少なくても最後列は、全員が自由学生ということだろう)。しかし、画家として大成したのは、この二人なのだから、古今東西、隠れた才能を見出すのは、難しいともいえる。



805ff458.jpgところで、ルオーもマティスも美術史上、フォービズムといわれ、師匠のモローとはまったく異なる画風である。モロー先生は、自分の画風を弟子に強要することはまったくなく、放任主義だったそうだ。将来、優秀な弟子が自分と同じ画風で有名になると、自分の遺作の評価価値が下がることを心配したかどうかは、よく知らないが、もともと著名な画家にとって、弟子に教えることよりも自作の創作の方が楽しい時間であることは間違いないだろう。「芸術は、個性だから」とか言って、面倒だからうっちゃっていただけではないかな。

そして、一般には、ルオーの基調カラーは深い青である。そして、主に人物に太い藍色の輪郭を描き、あとは深みのある太いタッチでグイグイと絵の具を置いていく。逆に、マティスの基調は赤である。こちらは、やや細めの輪郭線を描き、どこかに赤をベタっと面で使う。青対赤と対称的である。


805ff458.jpgしかし、学校を卒業したての若い時期の二人の作風は意外に似ているのである。今回の展覧会では、二人の似ている作品を比較したりしているのである。例えば、例えば、裸婦の立像や水浴の情景である。初期の頃の類似性から、徐々に二人の作がコッテリ型に変貌し、そして、晩年にはアッサリ型に枯れていくことがよくわかるのである。

また、会場の一角には、ブロンズ製のルオーの頭像もあるが、希に見る巨顔である。ルオーの絵画に登場するモデルはみな顔が巨大だが、自分のの心の中のコンプレックスが表出したのかもしれない。



805ff458.jpgそれにしても、「明るいナショナル」を標榜していた松下電工は、なぜ、イメージの暗い画風のルオーを百数十点も集めていたのだろうか。案外、社風は暗かったのかもしれないなあ、と余計なことを思ってしまうが、来るべき「ナショナル」ブランドの消滅とともに、その謎は永久に封印されてしまうのだろうか。


そして、会場を後にしてから、「母はマティスがとても好きだったなあ」と少しくやしくなってしまうのである。





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