今年の100冊目「資本主義と自由」

2006-12-27 00:00:07 | 書評
5743140c.jpg毎年、100冊は読書しようと思っていて、今年は、年末ギリギリになった。年初、約2ヶ月ほど読書できない時期があったので、「今年は無理か?」と思っていたのだが、なんとか帳尻を合わせた。100冊目が「○×殺人事件」とかでは情けないので、書棚から古き一冊を選ぶ。年末に94歳で他界したミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」。マグロウヒル好学社から昭和50年11月20日に発行された日本語版初版である。結構、わが書棚には、グッドテイストな本がある。

フリードマンといえば、マネタリズムなのだが、経済学の世界では、やや傍流感があるわけだ。正統経済学史でいけば、まずアダム・スミスの古典派経済学があり、ケインズの新古典派経済学がありさらに、新新古典派経済学とか、”○○economics”ときちんと命名されているのに対し、フリードマン率いるシカゴ・スクールは、まとめて「マネタリズム」と呼ばれ、経済学の仲間にいれてもらえない。ユダヤ系だからなのだろうか。

確かに、彼が、同業者からもっとも嫌われる点は、「著書がベストセラーになる」ことだと言われる。売れる経済学本を書いた先駆者である。「資本主義と自由」も、一つ一つの論点は易しい。中に、郵政民営化(米国の)議論も書かれていて、前首相もこの本を読んだのではないかと思ったりできる箇所もある。徹底した自由主義経済のメリットを説く筋立てが一本あるのと、政府が行わなければならないのは通貨政策である、というマネタリズムの骨子といえる筋立てが一本。この二つの要素でまとめられている。

そして、読後感は、フリードマンが描く理想国家と較べると、「日本はずいぶん非効率な国だなあ」という感想と、フリードマンが批判した米国の1970年代初頭と日本はよく似ていると言うことだ。ケネディは国民に対して、「あなたは何を国に対してしてくれるのだ」と言ったのだが、逆にフリードマンは「政府は国民に対して、通貨政策によって経済の安定的巡航を保障しなければならない」と書いている。

そして、正統経済学であるはずのサミュエルソンが、有効な政策提言ができなかった反対に、シカゴ学派は南米、韓国などでの経済破綻に対して適切な助言を与え、財政再建させている(年米の多くの国で、シカゴ・ボーイと呼ばれる大蔵大臣が登場した)。米国ではグリーンスパンがレーガン時代から、共和・民主の両党にまたがりマネタリズム流の金融政策を実行していたし、間接的ながら竹中平蔵の実際に採用したプランもシカゴ・ボーイ的だ。

さて、この「資本主義と自由」の内容は、まさに現代日本に起こっていることにも繋がるのだが、「格差社会」について、「平等主義と自由主義の対立」という論拠で論じている。彼は、平等主義が損なわれた(既得権やプロフェッショナル・バースコントロールなど)結果として「貧困」が発生することには、強く反対し、法的介入をもって機会均等を保証すべきと言っている反面、多くの貧者が、努力の結果としての富についてまで、無償で富者と貧者の格差を無くすために再配分するべき、と言うことには、強く反対する。特に、多くの場合、富の再配分が「正義」の名の元に行われるからなおさらなのだろう。

いくつかの古書店検索リストにもこの本は見当たらないのだが、図書館に行けばあると思うので、是非、ご一読を推薦・・