映画「ドライブ・マイ・カー」の原作について

2022-02-14 00:00:24 | 書評
2月9日弊ブログ『女のいない男たち(村上春樹著)』の中で、短編集の中の「ドライブ・マイ・カー」と映画「ドライブ・マイ・カー」の具体的な共通点は少ない(基本構造は同じだが)という意味のことを書いたが、実はその時は短編集の「ドライブ・マイ・カー」ともう一編を読んだだけだった。

その後、全6編を読むと、「シェエラザード」と「木野」の二作からも映画につながっていることがわかった。しかし、6作は話が繋がっていく連作ではなく、一見まったく異なる短編小説で登場人物の背景の共通点もない。脚本は監督でもある濱口竜介の手になるのだが、春樹氏はどこまで関わったのだろうか。

ただ、映画の後半は舞台を広島市に移すのだが、広島のこともラストシーンの韓国のことも短編集の中には登場しない。もしかしたら世界の映画祭に参加するために都市として知名度のある広島を選び、K国ファンからもいわれなき非難を回避するために付け加えたのかもしれない。

そういえば、真の主演は主人公家福(演:西島秀俊)の愛車SAABかもしれないが、メーカーはノーベル文学賞選考委員会のあるスウェーデンを代表する会社であることに気が付く。

ところで、ドライブ・マイ・カーの中で助演女優(演:三浦透子)の演じる女性ドライバーの故郷について、当初発表された小説では北海道中頓別町であったが地元町議が抗議したため、架空の町名に変更になり、ロケ地も変わってしまった。観光地を失ったわけだ。(何を町議が抗議したかよくわからない。たばこを窓から外にポイする行為についてクレームをつけた、という説があるが、ポイするのは映画であって、小説の段階ではポイしていないように読める)