ドライブ・マイ・カー(映画)

2022-02-03 00:00:40 | 美術館・博物館・工芸品
カンヌで大量の賞を受賞し、アカデミー賞でも期待されている映画、さらにバイデン大統領まで推奨しているというし、何より村上春樹の短編小説をどうやって3時間映画にしたのだろうか。

脚本ができる過程で原作者がどこまでかかわるかというのは普遍的問題で、言語芸術の小説と視覚芸術の映画とは少し表現方法が異なるので違うのはしょうがないし、「ノルウェーの森」の映画化の時もそうだが、村上春樹は映画化に伴う修正には鷹揚なのだろう。

まだ上映中なので、詳しく書かないのがマナーだろうし、自分でも見逃していることもあるだろうが、単に感想。

上映時間が約3時間というのはわかっていたのだが、30分位で佳境に入り、夫の不在中の妻の浮気が発覚して、「ちょっと時間配分がおかしいな」と思ったところ、妻は突然、急死してしまう。妻から重大な相談があると言われたまま、残された舞台俳優(西島秀俊)は深い思索に入り二年間が過ぎる。

そして、舞台は広島。広島の国際演劇祭の演出を担当する主人公は、チェーホフ劇の神髄に近づいてゆく。映画は、劇中劇になる。

愛車の赤いサーブは、専門運転員の女性の手に任され、いつしか俳優は女性ドライバーと彼女の母親との秘密に辿り着き、女性のふるさとの北海道までサーブで同行する。

その後、二人はいくつかの人生の問題点を確認しあい、演劇祭は終幕する。

ラストシーンは、なぜかドライバーだけが赤いサーブとともに韓国に居住し、自動車専用道路を疾走していく。

思ったのは、妻が早々となくなり、その意味を考え続けるというのは「ノルウェーの森」と相似形。さらにラストシーンで何年か後のシーンに切り替わり、いままで現在進行形だと思っていたストーリーが、何年か前の回顧であったことが明かされるというのもノルウェーと同じ。映画の劇中で主人公が緑内障で徐々に視覚を失っていくという伏線が、どこまで効いているかはわからない。

もう一つ、劇中劇と言えば「恋に落ちたシェークスピア」。劇中劇と劇中と二つのストーリーが進んでいく。そして最後に意外な展開になる。

なぜ韓国にいっちゃうのかという深い謎が残るのだが、単に近いからではないだろうか。韓国語は易しいという伏線も一つ入っていたし、おカネがあれば某皇族のようにNYに行ったかもしれないというところだろうか。

なお、ミニネタだが、ドライバーを演じた三浦透子だが、劇中では8年前の15歳から無免許運転していたことになっているが、本人はこの映画に出演するために急遽免許を取ったらしい。つまり本人運転中は若葉マークだったはず。若葉マークが映り込まないように監督も頭を抱えたのではないだろうか。