共犯者ですが、なにか・・・

2014-02-07 00:00:07 | 市民A
「現代のベートーベン」と呼ばれていた佐村河内守氏の正体が明らかになってきて、こういう話は、小川洋子さんの小説みたいだ、と思う一方、事実は小説の上を行っているな、と思うしかない。

「作曲家の別人作曲問題」と名付けられたようだが、事件になるのだろうか。あまりにふざけた案件だが、ゴーストライター(新垣隆氏)の話はかなり信用できるような合理性があるので(といっても、変な部分も大いにあるが)それをもとに事実らしいストーリーをつくると、

18年前(佐村河内氏32才、新垣氏25才)、初めて代作を行う。
3年後、「耳が聞こえない」と言い出して、それがキャラクター作りだと思った。
耳が聞こえているのはわかっていたが、ゴーストライターの自分の立場から黙っていた。
高橋選手が選曲し、五輪の後に発覚すると嫌な気持ちになるだろうから五輪前に公開。
報酬は計700万円。

佐村河内氏がイメージを伝え、新垣氏が作曲し、それをテープで聞いて良いとか悪いとか言って、完成するというのなら同じことをしていても、ほとんど問題はない。普通はイメージを考えた人が自分で作曲する。

もし、新垣氏が作曲するときに、イメージについて佐村河内氏に意見をもらってから作れば同じことだ。モーツアルトだって、個人のために作曲を沢山行っている。つまり、作曲家新垣隆だったら問題なかった。

さらに言うと、彼は単に定額で作曲を請け負い、売切りしたゴーストライターだと思えば発注者が何を隠していようが気にすることはないわけだ。殺人を請け負ったわけじゃない。世の中にゴーストライターなんて無数にいる。私だって定年後の次の仕事の候補の一つがゴーストライターだ。

もっとも小説家はゴーストライターを使わないが、うわさが流れることはある。あくまでも有名人の自伝なんかがゴーストライターの手になることが多い。角田光代の元夫が芥川賞を受賞したときは、税金対策で夫名義で書いたのではないかと疑ったが、その後離婚。真実は闇の中だ。

しかし、話を作曲家に戻すと、「できた曲に罪はない」ということである。「父親捜しで大騒ぎ」の元ローラースケーターと同じような話にも聞こえる。単にCDのジャケットを本当の父親、いや作曲者のものに変えればいいのではないかと思わないでもない。

まあ、佐村河内氏の立場には同情の余地はなく、「障害者になりすました罪」「多くのクラシックファンをだました罪」「ゴーストライターへの支払いを値切った罪」などだ。

自称共犯者の新垣隆氏には何か罪があるのだろうか。あまり感じられない。ゲロるなら五輪の後の方がよかったような気がするが、何かあったのだろうか。道義的にはいろいろあるかもしれないし、冒頭に書いたように彼が真実をしゃべっているかもいささか怪しいのだが、こういうのを腐れ縁というのだろう。ぜひ、小説化、映画化を期待したいものだ。