現代文学は閉塞あるいは回顧に向かうのだろうか

2013-01-31 00:00:07 | 市民A
新潮社の自社書評誌「波」を購読していて、そこには書評の他にも連載小説が10人によって続けられている。いずれ、それらは完結をむかえた後、単行本化されるのだが、10作もあれば、個人的には読みやすい文体やテーマもあれば、読みにくいものもある。



ただ、単なるめぐりあわせなのか、必然なのかわからないが、現在連載中の作品は、ほぼ同一の方向を向いているように思えてしかたがない。

閉塞、または回顧。

連載中の作家は、瀧井朝世、鹿島田真希、斉藤明美、吉田篤浩、桜木紫乃、梨木香歩、三山喬、高橋秀実、江弘毅、津村節子。

鹿島田、吉田、桜木、梨木の各氏の作はどうもストーリーが前に進むということではなく、同じところを行きつ戻りつぐるぐる回る感じが強い。

斉藤、三山、江、津村各氏は回顧ものだ。特に斉藤、津村作は自己の回顧録みたいなものである。三山、江の両氏作も歴史を書いているのか小説を書いているのか判然としない。

瀧井、高橋両氏作はエッセイである。

思えば、石原慎太郎議員が芥川賞の選考委員を辞したのも、「刺激が少ない」からということだったと記憶するが、まさにそういう文学が主流になってきているのかもしれない。村上春樹のせいかもしれない。

ところで、作家名を書いていて気付いたのは、梨木香歩さんって、親が将棋ファンだったのだろうか(いや、本人がペンネームを付けたのかな?)香歩というのは、江戸時代初頭の初代名人の大橋宗桂の作った詰将棋の難解作と同じだ。