アジアカップは予兆か?

2004-08-09 16:49:08 | スポーツ
bf6cab32.jpg混乱の中、サッカーアジアカップは終了した。翌日の北京が平静に戻ったのは、市民が冷静に「準優勝」を喜ぶ気持ちになったのだろうか?それとも内なる怒りが積み重なって爆発を待っているだけなのだろうか。

冷静に考えれば、中国のサッカーは長足の進歩を遂げていて、ワールドカップへの望みを持った国になっったわけである。課題は、「筋の通った戦術性」と「きちんとした監督」、そして「国民の忍耐」である。戦術的には未だ中国流が明確ではないのである。そして、スポーツで負けたからといって相手国に対し騒ぐ国民性は、スポーツの実力から言えば、不毛なのである。
今回の騒動で、やや危険な感じをもつのは、中国社会は共産主義から脱出したあと、大きな経済停滞を経験することなく、成長を続けてきたため、過度に自信を持っていることである。元々、自由主義経済では、成長の過程で、様々の要素がぶつかりながら、弱肉強食的な周期性や迂回性を持ち、淘汰の過程で多くの社会的な軋轢が発生し、それを克服しながら進むのであるが、今のところ、まだ中国では、経済的滞留の局面を経験していないのである。サッカーの世界でもそういう「不敗神話」を信じてしまったのだろうか。

中国経済は、今や最初の岩壁に到達直前である。貧富の差、エネルギー問題、公害、外貨不足、人口問題、年金不足、不良債務・・・ いずれをとっても今後巨大問題となると考えられる。大方のエコノミストは2006年の危機を主張するが、リセッションは2005年からかも知れないし、案外、このアジアカップの混乱がトリガーになる可能性だってあるかもしれない。

いずれにしても、国内に発生する多くの社会不安のスケープゴートに他国を使い、軽薄なナショナリズムを養成するのは、いただけない。