言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 2023年3月20日(第827)号

2023年03月22日 21時04分27秒 | 評論・評伝
 今号の紹介です。
 国会の議論のくだらなさは、昨日今日のことではないが、最近のものは最早「くだらない」ではすまされないほどの酷さである。
 小西議員の議論は、附き合ひきれない。だから、ここでも細かいことには触れないが、根拠も示さずに憶測で言ひがかりをつけるのはいい加減にせよ。それから杉尾議員の高市氏への批難も全く当たらない。それに対して「信じないなら質問しないでいただきたい」は私には正論に思ふが、如何。議論とは「よりよきもの」を巡つて交はされるところに意義があるだが、自分は絶対正しく相手は絶対間違つてゐるといふ決めつけで交はされるのは最早議論ではない。折伏である。自分と他者とが共に真実に至らうと努力するから議論が成り立つのだ。他者不信=自己絶対化なのだから、さういふ図式の中では議論は成立しない。高市氏は正しい。発言を撤回したのは政治的判断だし、謝罪しないのは倫理的判断である。それも極めて正鵠を得てゐる。近年まれに見る痛快事である。

 今号の紹介は、荒井勝喜首相補佐官のオフレコ発言を毎日新聞が報じたことへの批判である。1面の記事と4面のコラムであつかつてゐる。全くその通りである。その場で果たしてその記者は批難したのであらうか。それなしに、報道するといふのは、卑怯である。かういふ「正論」は偽善である。いつも自分を安全地帯に置いたまま、正義をかざして悪を懲らしめる。それで果たして世の中は良くなるか。直観で言へば、全体主義を引き寄せて行くやうな気がするのである。

 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。  1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)
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「毎日」のオフレコ破り
 「やったもん勝ち」の無法行為が野放しに
    ジャーナリスト 伊藤要
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コラム 北潮(大江健三郎と国学思想の関係)
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壮大な虚説「強制連行」「強制労働」を広めた元凶 朴慶植
  麗澤大学国際問題研究センター客員教授 勝岡寛次
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教育隨想  日米同盟と国体の間にある、深刻な亀裂(勝)
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『南京事件はなかった』
  捏造を確信、決定版と言ふに相應しい
    団体職員 清水明彦
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コラム 眼光
   機能しない放送法(慶)
        
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コラム
  保育所増設で出生数増加?(紫)
  いつまで続く、解釈改憲(石壁)
  無知のヴェール(星)
  偽善といふ病(梓弓)
           
  ● 問ひ合せ     電   話 076-264-1119    ファックス   076-231-7009
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