言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

児美川孝一郎『自分のミライの見つけ方』を読む

2021年08月22日 10時53分47秒 | 本と雑誌

 

 そろそろ夏休みも終はるので、仕事のモードの本を読み始めてゐる。

 私は、今の学校でキャリアデザイン部といふところの取りまとめをしてゐる。柄にもないと自分でも思ふ。文学やら思想やらの本を読むことを専らにしながら、仕事では「キャリアデザイン」を生徒に向けてアドバイスするといふのは、違和感もある。

 ところが、この児美川先生の文章を読んでから、その考へが変はつた。氏の『キャリア教育のウソ』は名著である。全国の高校大学の先生方はお読みになられると良い。何が嘘か。就職は自分の夢の実現だといふ常識である。大学や高校の教員自身が、いまの仕事や研究内容を18歳で決めてゐるはずないのに、青年には「なりたい職業は何か」といふことを迫る。その自己欺瞞をやめよといふのである。私は快哉をあげた。まつたくその通りである。「なりたい職業を探す」「就きたい職業を決める」それはいい。しかし、それはあくまでも「仮置き」であるといふことを前提とすべきで、大事なことは「探す」といふことの練習をしませうといふことだ。

 本書でも、「七五三」といふ名称で、中卒高卒大卒生が三年後にどれぐらゐ離職するかといふ統計を示してゐる。実際には高卒が四割、大卒が四割に近い三割ださうだが、それぐらゐ離職するのが現状だ。それは「今の若者は堪え性がないからだ」と非難したくなる人も多いだらうが、果たしてさうだらうか。18歳や22歳で一生を決められるほど、現代社会は安定化してゐるのだらうか。私は保守的な人間だが、こと職業選択については30歳までに決めればいいのではぐらゐに思つてゐる。

「キャリアデザイン」の主語は、各自である。「進路指導」のやうに主語が教員であれば、教員が進路について熟知してゐることが少なくとも前提になければならない。しかし、そんなことはできない。もはや諦めた方がよい。しかも教員といふ職種についた人間は、本当に”就職活動”などしたことあるのだらうか。研究室に入り浸つたり、会社勤めが苦手だつたりするやうな人種がなる職業ではないだらうか。さうであれば、そこはあつさりと諦めて、生徒学生自身が自分で「探す」といふことの知恵と技術とを訓練する機会を提供するだけでよいと思ふ。私たちはそれを「キャリア構想力」と名付けた。

 さて、本書であるが、高校生や大学生向けに書かれたものであるので、さつと2時間ほどあれば読めてしまふ。大人には物足りないが、それは狙ひが違ふのであるから仕方ない。それより読みやすくするための工夫に感動した。さすがた児美川先生である。

 職業選択には、自分軸だけでなく、社会軸といふものも必要だ。そして、本書ではあまり書かれてゐなかつたが、自分の出来ること(能力軸とでも言ふのだらうか)の軸もある。「やりたいこと」「やるべきこと」そして「やれること」の三軸である。「やりたいこと」について、本書では「資源」といふ言葉で新たに説明がされてゐた。ここに「能力軸」が暗示されてもゐるやうだ。「自分は何が好きか、得意か、何をやっているときが面白いか、充実しているか。そうしたことに自覚的になって、コツコツ蓄えていってほしい。すると、いざというときには『やってみよう』と一歩をふみだせるんじゃないだろうか」。

「資源とは、自分の中の小さな感動のこと」とある。これまで、私は中等教育では「やりたくないこと」を見つけようといふ言はば「補集合(ある集合Aが全体集合Uの部分集合であるとき、ある集合を全体集合から除いたあとの集合。)戦略」でキャリアデザインを語つて来た。今後もそれでいいと思つてゐるが、この「資源」といふ言葉を活用して、その「戦略」を補強していかうと思つた。

「やりたいことは何か」の呪縛にとらはれてゐる生徒学生(いやいやその戦略しか知らない教員たちこそ強い呪縛にぐるぐる巻きにされて喜んでゐる!)に、薦めたい書である。

 

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