言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

今年の悪書を一冊。

2016年12月31日 11時52分10秒 | 日記

 今年出た本ではないが、今年読んだ本で、「これはないよ」といふ本を一冊。

 「本が好き、本の悪口を言ふのはもつと好き」といふ高島俊男風のキャッチフレーズで今年を締めくくらうと思ふ。とても私らしい。

 その本は、

小笠原泰『没落する日本 強くなる日本人』(さくら舎)

 どうしてかういふ本を買つてしまつたのかをまつたく覚えてゐない。購入したのは今年の6月20日とある。読んだのはつい最近(いや正直に言へば通読に堪えなかつた)。出版は2014年の12月5日であるから、きつと模試か問題集のテキストで読んで、関心があつて購入したものだらう。

「没落する日本」(その認識について論評する知識は私にはない)にたいして、さあこれからの日本人はどう没落しないやうに取り組むべきかといふ論建てなら十分読むに値する。さうではなくて、「だから、日本を脱出しませう」「自分の力で生き抜きませう」といふのである。そんなことができる人は、こんな本を読まないし、もうすでにやつてゐる。そして、脱出などできない人が大多数である。やれ英語を勉強しろ、やれICTの技術を身につけよと著者は言ふが、そんな必要がないやうな国にどうすればなるのか、それを考へるのが学者であり、政治家であり、国民である。さうしたモラルがまつたく欠如してゐる。

 著者は、明治大学の国際日本学部の教授である。「国際日本学部」といふすさまじい名称にただただ驚く。国際とは英語でinternationalizeで、他動詞である。つまり、目的語を国際的にする、国際管理下におく、といふ意味である。まさかそこまで言つてはゐないと思ふが、その名称をつける学部の教授が、かういふ本を書くといふことは、案外語るに落ちた話なのかもしれない。つまりは、日本を国際化して日本性をどんどん薄めていくことで、平たく言へば英語を使へるやうになり(英語を第二母国語にして)人口の流動性を高めていかうといふことである。

 本書の中でかう書いてゐる。

「グローバル化が進めば、国家の専権制、強権は失われるのです」

 徴税や経済政策などは難しくなるとも書いてゐる。さうした状況で、犯罪が起きたら、あるいは地震などの災害が起きたら、どうするのであらうか。すべて警察企業、消防企業、災害救助企業が生まれ、それが行政の代はりをし、個人負担で賄へといふのであらうか。徴税が不可能にれば、治安も危ぶまれる。そんなことは少し考へれば子供でも分かる。しかし、明治大学の教授(学生は解つてゐるのかしらん)にはそれが解らないらしい。

 考へるべきは、「グローバル化が進んでも、国家の専権制、強権を維持するにはどうすればよいか」であつて、「国家はいらない」といふことではない。国際日本学部といふ名称がもし有効であるとすれば、さういふ構へで学問が構築されてゐる場合のみである。もちろん、さう考へれば名称は「対国際化日本学部」となるであらうが。

 大学にケチをつけてゐるのではない。あくまでも悪書についてである。

 かうした本をトンデモ本として扱へるリテラシーを身に着けてもらひたい。私の来年の目標である。

 

 今年一年お世話になりました。

 佳いお年をお迎へください。

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