言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『福田恆存集』を編むとしたら

2020年08月19日 08時43分36秒 | 評論・評伝

 

 

 福田恆存の著作をプレゼントするとしたら、今購入できるものとしては(といふよりも幸ひなことに、断然お勧めの一冊が文庫になつてゐる)、新潮文庫『人間・この劇的なるもの』がいい。この3月にもある人にプレゼントした。高校生か大学生なら読める。ただ一つ残念なのは、中公文庫にあつた松原正氏による解説が当然ながらないことである。この解説は、福田恆存論としても群を抜いてゐる。

 

 

 まとまつて著作を読んでほしいが、最新の「評論全集」である『福田恆存評論集』(麗澤大学出版会)も一冊約3,000円で高額なうへ、もう品切れとなつてゐる(絶版かどうかは分からない)。文春文庫『私の國語教室』、ちくま文庫『私の幸福論』『私の恋愛教室』は今も手に入るし、講談社文芸文庫や文春ライブラリーからいくつか出てゐるので、主要な著作は読めないこともない。しかし、後者2つは文庫ながら一冊1,500円ほどするしかも文春ライブラリーは紙の質が悪い。出版社の見識を問ひたい。

 

 

ところで、今知つたが間もなく中公文庫から『増補版演劇入門』が出版されるやうで、これは慶賀すべきことである。かつてPHPから出てゐたものだらう。古書で5,000円ほどするものが、文庫で手に入るのだから是非ともお勧めしたい。「増補版」とあるから、何かが追加されてゐるのだらう。編集はご子息の逸氏がされたのだと思ふが、解説も書かれてゐるのだらうか。楽しみだ。

 

 さて、それはさておき、これまでの『福田恆存集』として秀逸なのは、文藝春秋から出てゐた『日本を思ふ』である。昭和44(1969)年に出たものなので、当然ながらその後のものは入つてゐない。同じく文庫版である『日本を思ふ』が出たのは平成7(1995)年だが、こちらは前著からさらに選ばれたもので、入つてゐないものも多い。

 

 したがつて、昭和44年版『日本を思ふ』にその後のものを増補するといふのが、私の『福田恆存集』の案である。しかし、そもそもが四六判の上下二段組で502頁である。さらにとなると重すぎるかもしれない。それで、上下巻として出すしかない。

 昭和44年版『日本を思ふ』に収録されてゐるのは、次の論文である。

  日本近代化にまつはる諸問題

   日本および日本人 個人主義からの逃避 日本人の思想的態度 近代の宿命 演劇的文化論 恋愛と人生

  日本現代の諸問題

   A平和論に対する疑問 進歩主義の自己欺瞞 平和の理念 自由と平和 當用憲法論 現代國家論 偽善と感傷の國

   B文化とはなにか 紀元節について 教育・その現象 教育・その本質 言葉は道具である 國語問題早解り 國語審議会に関し文相に訴ふ 伝統技術保護に関し首相に訴ふ 教育改革に関し首相に訴ふ

  人間・この劇的なるもの

  著書目録

 

 追加する文章

  「日本近代化にまつわる諸問題」に、「一匹と九十九匹と」「現代人の救ひといふこと」「西欧精神について」「絶対者の役割」「常識に還れ」「政治主義の悪」を追加。

  「日本現代の諸問題」に、「生き甲斐といふ事」「続・生き甲斐といふ事」「真の自由について」「乃木将軍と旅順攻略戦」「醒めて踊れ」「自己は何処かに隠さねばならぬ」「孤独の人、朴正熙」「言論の空しさ」を追加。

  また「随筆」の項を立て、そこに「ぼくは神を信じない」「白く塗りたる墓」「智慧といふこと」「インテリかたぎ」「喧嘩を吹つかけられた話」「アメリカの貧しさ」「私情でも筋を通せ」「隣人・大岡昇平」「牛に牽かれて」「経験としての読書」「人が人であることの難しさ」「私の一枚」「フィリップス・コレクションへの招待」「余白を語る」「老いの繰言」「某月某日」を選ぶ。

 どうだらうか。福田恆存の中にある柱を表現するには、『日本を思ふ』では欠けてゐるものがある。それがここにあるとの思ひであるが、福田恆存読者のご意見を頂戴できれば幸ひである。

 最晩年に福田は、「もはや日本人論ではなく、必要なのは人間論だ」と語られたといふ。だとすれば、この本は『日本を思ふ』ではなく、『人間の態度』とでも名付けようか。

 

 

 

 

  

 

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