言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

近況

2023年08月10日 08時15分04秒 | 評論・評伝
 母親の葬儀も無事に終はつた。家族で通夜を過ごした。父親の時と同じ葬儀場なので、勝手が分かり不安も和らいだ。祖父母の時には家で葬儀を行なつてゐたから、わづか一世代でこんなにも葬儀の有り様が変はつてしまふものかとの思ひもあつた。一世代の変化といふことを言へば、母方の祖父が亡くなつたのは50年も前である。一世代とは30年をいふのであらうが、祖父母と父母との世代間の差がいちばん大きいのであらう。戦後の高度経済成長が食料を豊かにし、衛生状態を向上させた。寿命の変化が最も著しい時期である。それに引き換へ、私と両親との間はせいぜい30年である。
 母の通夜はもつとしめやかにしたいと思つたが、誰もしんみりとした様子はなかつた。懐かしい話題には事欠かないが、どれも笑ひ声と共に語られるから深夜まで楽しい時間となつた。半分悔しい思ひもあつたが、母親がこれを望んでゐるとの思ひも打ち消せなかつた。私どもの母とはさういふ存在であつた。
 しかし、棺に横たはる母親を見るとやはり涙が出て来た。迷惑をかけたこと、文句ひとつ聞いたことのなく子育てに邁進してくれたこと、今もこれを書きながら涙が出て来る。有難い母であつた。
 大腿骨を骨折してから15年ほど、ベッドに横になる時間が増え、そのうち認知症にもなり、食ひ道楽だつた往時が嘘のやうに外出を嫌がるやうになつた。そこに来てコロナ禍である。施設に入つた当初は部屋の中で買つて来た物を一緒に食べたり話したりすることもできたが、この3年間は何も出来なかつた。3時間かけて施設に出向いても、玄関先のガラス越しで5分間顔を見てゐるだけになつた。
 通ひ続けてゐるうちに母親の表情も次第になくなり、最後はきつとこの人は誰だらうと思ひながら、こちらを眺めてゐたに違ひない。7月に入院した折には久しぶりに15分ほど個室で一緒に過ごすことができたが、酸素マスクをして寝てゐる姿だつた。目を開けてこちらを見てくれたが、会話はできなかつた。不思議に家内の声かけには反応してくれてゐた。「頑張つて」と親指を立てて声をかけると、母もまた親指を立ててくれた。嬉しかつた。男兄弟3人。娘が欲しかつたのかなとも思つた。
 母親と会ふのはこれが最後だつた。

 葬儀は、時宗のしきたりで執り行はれた。山梨から来てくださり、本当にありがたいお経であつた。終はつた後に「少しお話をいたします」と言はれ、時宗の由来(六時礼讃と時衆)とその日読誦された阿弥陀経の意味について語つて下さつた。不勉強の身にはまことにありがたく感じた。
 終はつた後に住職から聞いたところによると、今はかうした葬儀を行ふ意味も分からない人が多くゐるやうで、仏教の教へを分かりやすく説明する必要があるとのことだつた。末法とは仏法が廃れる時代のことだが、今もまたさういふ時代である。それを打破するには、生と死との真実が明らかにされなければならないと思ふ。

 一転、今度は家内の父親の新盆で宮崎に来た。折悪しく台風6号の接近により、予定してゐた便が欠航となつた。その連絡は愛知から大阪に移動中の車の中で受けた。豪雨と言えばこれ以上ないほどの豪雨で、ワイパーが最高速で動いてゐても前がほとんど見えない。仕方なく名阪国道の伊賀の道の駅で休憩を取つた。台風の影響だから欠航はやむを得ない。問題は次はいつ飛ぶかである。旅行会社と電話でやり取りしてゐるうちに、ふと今日なら飛ぶのではとの思ひになり、予約をしようと伝へると、それは空港に行つてカウンターで直接飛行機会社に依頼してくれとのことであつた。
 さうとなれば、早く大阪に帰らなければならない。急遽、進路を新名神高速道路に進めて一刻も早く伊丹空港に行くしかない。初めて通る道に不安を抱へながら、ナビの言ふままに向かつた。

 最終便に間に合ひ席を確保したが、見渡せば満席状態。ギリギリであつた。出発時間になつても荷物が積み終はらず、それが終はつても滑走路上には離陸を待つ飛行機が渋滞。結局1時間ほど遅れて出発。関空に戻ることもあるとの条件で離陸、飛行機は揺れたが無事着いた。が、ここでも宮崎空港駅最終便が出るまでには15分しかない。預かり荷物が出てくる時間によつては、電車に間に合はない。気が気でないが、運良く直ぐに出て来てくれた。走りに走つて、電車が見えるところまで来たが、ドアは閉まつてゐた。ドアの前で女の人が何かを言つてゐたのだらう。ワンマン列車の運転手が外に出て来て、何かを叫んだが、ドアを開けてくれた。その瞬間に私たちも乗り込んだ。同じ状況の人が10人ほどゐた。既にドアが閉まり、出発するものと思つてゐた先客は驚いて我々を見てゐた。
 これで帰れると思つて安心したが、明日は台風で列車が動かない可能性があるとJR九州のウェブサイトで見て、またまた大慌て。空港でレンタカーを予約してゐるので明日もう一度ここに戻つてくる必要があるが、列車が動かなくてはそれも難しい。ならば宮崎市内で一泊するしかない。空港から宮崎駅までの10分間でホテルを予約して、降りた。
 雨も降つてをらず、風もそんなでもない。しかし、飛行機は飛ばず、列車は止まる。安全第一ではあるが、自然の力には驚かされる。

 翌日、日向市に着く。

 しばらくはこちらで過ごす。義父の新盆。打ち合はせと準備と、親戚回りと。これはこれでおほわらは。


 
 
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