言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

追悼 遠藤浩一先生

2014年01月06日 23時02分29秒 | 告知

 今朝、遠藤浩一先生が亡くなられたことを知つた。友人からのメールである。言葉がない。まさか、そんなことがといふ思ひである。

 先日、正論で「『観念的戦後』に風穴開けた参拝」といふ文章を讀んだばかりであつた。事の本質を正確に射抜いた論考で、安倍総理の靖国神社参拝についてのどんな評言よりも納得のいくものであつた。安倍首相に「現実的な目標を達成するには、粘り強さと周到さが求められる」と書いてゐるが、遠藤先生にもそれを求めたかつた。体調のことを思ふと、きつと御無理をされたのはないかと想像される。55歳でのご逝去はあまりに早すぎる。

 人が言葉の存在である以上、政治も経済も言葉に宿る心の表裏をつかまへた文學の徒でなければ扱ふことのできない領域である。そのことを知つてそれらを評言することのできる方は、あまりゐない。遠藤先生のご逝去は、日本にとつて損失である。今、この人の文章が讀みたいと思へる人の死は、あまりにも悔しい。御冥福をお祈り申し上げますとは、今はまだとても言へる心境にはなれない。

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