言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

奥田健次といふ人の「セッション」

2013年02月19日 18時21分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

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  深夜まで考へ事をしてゐて、もうそろそろ寢ないとたいへんだと思ひながら、リビングに戻りテレビをつけると、面白い番組をやつてゐた。偶然であるが、かういふことがあるとうれしい。

NNNドキュメントである。以下は、その番組案内のコピーである。

わが子が自閉症と宣告された母親の苦悩を希望へと導く臨床心理士がいる。歯に衣着せぬ言動と奇抜な風貌で国内外を飛び回る“出張型心理カウンセラー”奥田健次(41)氏。番組では、知的障害を伴い言葉の発達が困難と思われた男児が、わずか数か月で驚きの成長を見せる姿を追う。その一方で奥田の大胆な手法に戸惑う家族も…。独自のひらめきで解決法を見出し確かな変化をもたらす奥田。子どもたちに情熱を注ぐ姿に密着する。

 タイで海外勤務の家族を一か月に一度訪問し、対処法を説明する。それを彼はセッションと呼んでゐる。癇癪持ちで、おもちゃや食べ物を取り上げると激しく泣き出す。たまたま双子のこの子のケースでは、二人とも同じやうな状況である(ある医者から聞いたところによると、多くの場合、年の離れた兄弟でもかなりの確率で同じやうな障碍があるさうだ)。母親は絶望し、死なうかと思つたと涙ながらに話してゐた。すがる思ひで、この奥田氏を招いたのだらう。奥田氏は、泣き叫ぶ子供を見て、そのままにしておく。欲望をはつきりさせることで、自我の存在に気づかせ、それを阻害する存在との対話を仕向けるといふのだ。もちろん、相手は幼児だから対話は言葉ではない。ただ、憎しみにしろ、助けにしろ、相手に向つて正対することを求めてゐた。それからこまかなルールを決め、それが実行されるとほめて、褒美を上げる。この簡単な行動指針を母親に伝へ、次の訪問まで実践させる。すがる思ひで奥田氏を見つめるが、その少々荒つぽいセッションに、両親は半信半疑である。別の家庭が映し出されたが、こちらは一回目のセッションで、この方針を受け入れられずに、断念してゐた。どちらの方が多いケースなのかは分からない。しかし、藁をもすがる思ひで奥田にしたがつたタイの家庭では、みるみるうちに自閉症が改善されていつた。

 奥田氏自身、学問上の師から「君には〇〇障碍がある」と指摘されたと言ひ、事実さういふところがあると語つてゐた。そして、「普通つてなんだらうか」と思ふとぽつりと言はれた。

 まつたくこの問ひこそが大事なものだと私も思ふ。普通である人と普通でない人との線引きをすることが大切な場面もある。それは否定しない。しかし、さうして普通でないとされた人が生きていく道は、その診断によつて開かれていくのであらうか。発達障碍について診断し、「彼を受け入れなさい」と家族にアドバイスすることが中心の今の医療は、線を引いてゐるだけだと感じてゐる。奥田氏のやつてゐることは、決して医療行為ではないだらう。事実、彼は医師ではない。しかし、セッションと名付けることにその行為の正当性を担保してゐる行為は、現実的に障碍を軽減してゐる。このことを医療界は考へるべきだ。

 いろいろと問題点があるのなら、そのことも聞きたい。

 ますます寝られなくなつた深夜であつたが、その覚醒は心地よいものだつた。

 

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