言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

相変はらずの「よしのり」

2014年09月05日 08時41分29秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今、朝日新聞がたいへんなことになつてゐるが、思ひ出すのは、「人いづくんぞ隠さんや」である。論語だつたと思ふが、嘘(隠されたもの)はいつの日にか暴かれてしまふといふ意味に解してゐる。これまでのひどい報道の行状は、枚挙に暇がない。何より、「他人は叩くが自分は逃げる」の体質は、インテリの性癖そのもので、さうしたことの愚を世に明らかにしたことが今回の件で唯一の成果であらう。取材力の低下は、マスコミ全体の状況だと言はれてゐるが、その実際は私には分からない。それを言ふなら、日本人の権力層の劣化だらうと思ふ。下層で懸命に生きてゐる人たちは劣化してゐる暇はない。自分の良心に羞じることをしたくないと思ふ人々は、おそらく権力層よりはそれ以外の人々の中に多いだらう。朝日新聞は、さういふ意識を持つ人が少ない腐敗組織の象徴である。自分の目で見ず、自分の頭で考へず、世の空気を読むことに長けてゐる、それが特徴である。彼らにとつては、それが生命線であつたが、それを今回は読み間違へてしまつた。私は、このまま読み間違ひ続けてくれればいいとさへ思つてゐる。その生き恥をさらし続けることで、苦しめられてきた人々への償ひを果たしてほしいのである。偽善者は、偽善的に生きることで生を全うすべきである。

 さて、昨日の朝日に、小林よしのりがまた愚にもつかないインタビューを載せてゐた。

「時代の空気は『脱原発』といえば左翼、『集団的自衛権の行使容認反対』といえば左翼と決めつけ、主張に至る思考と論理に耳を傾けない。逆に靖国神社に参拝さえすれば、何も考えなくても賞賛される。靖国は『魔法の杖』になってしまった。政権を支えるこうした思考停止の空気が、大問題だと思っているのです。」

 開いた口がふさがらない。この言葉こそ「決めつけ」そのものである。そのことに気づかないことが「大問題だと思っているのです」。だいたい小林氏自身が「ゴーマンかま」せたのは、その「決めつけ」ゆゑであらう。その本人が、どういふ了見で「決めつけ」を批判できるのか。言葉は、その言葉の論理だけでなく、どういふ言葉を言ひ続けてきたのかといふ文脈で意味を持つ。彼の言説の変化を辿れば、今の発言の意味は明らかだ。時代の空気に合はせて言葉を吐き続けるのは、卑怯、それに尽きる。安倍政権への批判があるならば、さういふ「決めつけ」ではなく、もつと本格的なものであつてほしい。

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