矢内原の「自由と統制」を読んだ。全集の頁で6頁半。実に短いが重要な論文である。
1937年11月29日。東京商大(現在の一橋大学)基督教青年会50周年記念講演で話されたもので、文末には追記として「右は私自身の一身上の問題が切迫した最中に為した講演速記であつて、その四十時間後に私は東京帝国大学教授の辞表を提出したのであつた」と書かれてゐる。思ふところがあつて、決意にみなぎる迫力が伝はつてきた。その不思議な印象のままこの追記を読んで、なるほどといふ思ひがした。
冒頭部分では、「真理は楕円形だ」といふ内村鑑三の言葉が引かれる。日本の精神史においてこの人を欠いてはそれが語れないといふ鑑三の位置づけをしたあとで、この言葉が引かれる。内村は「中心が一つでは化石してしまつて、硬くなつて動きが取れなくなるおそれがある」と言ふ。「真理が活きて動く為には、中心を二つ備へて居る楕円形でなくてはならない」。
神は愛であると同時に、義である。赦しだけではなく、厳格である。それは二元論ではない。一元論であるが、正反対の「両面の働きを合せて我々は神を知るのである」。このことを知ることがとても大事であらう。福田恆存ならこれを二元論と言つたが、「両面の働きを合せて」知ることの重要性を言つたといふ意味では同じことである。
しかし、このことをあまり重視する人はゐないだらう。もうこのことを重視したといふだけで、矢内原の言葉は正統である。
さて、この文章は「自由と統制」である。これもまた「互に矛盾する様に見える」。しかし、それは違ふ。自由と統制は一つである。「愛と義」を社会学的に言ふとさういふことになる。
「之は真理探究の問題であります。」
もう少し、このことについて述べることにする。
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