言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

コメントを下さる方へ

2017年06月28日 11時59分45秒 | 日記

 わづかだが、このブログを継続的にお読みくださつてゐる方がゐる。一見さんもたくさんいらつしやると思ふが、中にコメントをくださる方がゐる。ありがたいことだと思つてゐる。

 メモ=下書きのやうな、文の整合性も取れてゐない、とにかくアイディアだけを残しておかうと思つて書いてゐるから、読みにくいこと甚だしい。私も偶然過去のものを読んで「ひどいな」と思ふぐらゐだから、人様はもつと厳しい感想をお持ちだらうと思ふ。それで、時々は過去のものを修正してゐる。文意がはつきりするやうに継続的に努めてゐる。活字でない媒体の唯一の効用はそこではないか。いつでも修正が利くといふことである。

 ところで、そんな拙文にたいして時々、それも本当に時々コメントを下さる方がいらつしやる。それについての感想を書きたくなるが、基本的に氏名をお書きいただいてゐない方のコメントには、感想を記さないことにしてゐる。私も本名で書いてゐるのであるからである。そんなに読者はゐません。本名でここに書いたからと言つて何か支障があるとは思へません。私への悪口であるのなら、なほさらのこと名乗つてほしいと感じてゐる。そこでの対話から何かが生まれるのは喜びでもあるからだ。

 

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