言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

「自由と自由主義」を読む

2018年02月21日 16時29分09秒 | 日記
河合栄治郎全集〈第2〉トーマス・ヒル・グリーンの思想体系 (1958年) (現代教養文庫)
河合 栄治郎
社会思想研究会出版部



 矢内原の続き。
 ここのところは、自由論が続いてゐる。中でも中心をなすのはこの「自由と自由主義」である。河合栄治郎の二つの論文「トーマス・ヒル・グリーンの自由論」「自由主義」を取り上げて、その自由概念の混乱を論じてゐる。
 河合は、日本にグリーンを紹介した中心人物であるらしく、「熱心なるグリーンの祖述者」であると矢内原は書いてゐる。しかし、河合のグリーン論は、グリーン読みのグリーン知らずのごとくであつて、グリーンが自由において大事にしてゐるものは河合にない。矢内原に言はせれば、「河合の『自由主義』論に横溢せる文字は『個人』『自我』『自己』『自己の満足』『自我満足の原理』である」。これでは、全然「自由」ではない。執着であり、保身であり、エゴイズムである。
 矢内原は、「自由は人の内的生活(心霊)及び外的生活(社会)に関する。前者は道徳的自由にして、後者は社会的自由である。」と見る。

 自由とは、自己を超えようとすることであつて、道徳的である、社会的であるに関はらず、自己の拡張に益するものは自由主義であつて、「自由主義は個人主義であり、個人の利益中心主義」である。主義になつてしまへば、それはむしろ害である。

 昭和4年6月に書かれてゐる。1929年、今から89年前である。驚くべきは、ここから一歩も私たちが成長してゐないといふことである。
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