言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

コンピテンシー(competency)といふこと。

2016年12月01日 14時39分25秒 | 日記

 competencyといふことが、就職試験の面接で重要になつてゐるといふ。これまでのロールプレイのやうに、何を訊かれたら、どう答へるといふことでは、想定問答を演じ見てゐるだけで、何も参考にならないといふことらしい。そこで、コンピテンシー面接といふことが課題となつた。

 コンピテンシーとは、「職務や役割における効果的ないしは優れた行動に結果的に結びつく個人特性」のことのやうで、資質を見ようといふことであらうか。

 過去に起きた出来事について、具体的にどう考へどう行動したのかを聞くことで、その人物の像が明確になるといふことである。

 ところで、先日読んでゐたある本の中に、こんなエピソードがあつた。ある旅館の女将の話ださうだ。

「礼をするときは、頭を下げるときでなく、顔を上げるときこそ丁寧にすべし」と言つてゐるといふ。

 礼についての注意は、多くの場合「頭の下げ方」に向けられる。しかし、この女将はそれだけでは駄目だといふのだ。つまり人が十分に意識を集中する頭の下げが終はり、気が抜けたその瞬間にこそその人の心のうちが明瞭に示されるのだから、そこからがむしろ大切だといふのである。卓見である。逆に言へば、その人の「礼」の気持ちを見るならば、「頭の上げ方」を見れば分かるといふことである。これから、さういふ視点で見てみようと思ふ。

 コンピテンシーといふのは、かういふところを見ることだと感じた。

 この女将は経験で身につけたものであるが、それを技術として身につけることは可能だらうか。

 よい演出家は、きつとかういふことを自然にやつてゐるのだらう。

 

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