言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

機械こそ、画一的に物をつくるのが難しい。

2018年02月13日 21時49分27秒 | 日記
 車の調子がおかしくて、ここのところディーラーに行く機会が多い。
 どこから出てゐるか分からない異音が出るのだ。
 運転席のドア辺りから音がするので、それを見てもらひ、「確かにしますね」といふことで、修理する。すると後ろの方からも音がするので、また別の機会に行くと、「なるほどしますね」といふことで、部品が届くのが二週間かかるので、その頃にまた来てくださいとのこと。三時間ほどかかつて修理するが、帰りの車中で今度は助手席側の方から音がした。また連絡して、「ではまた来てください。見ますから。」といふので、翌週行くと、ちよつと同乗して運転してみてください、といふので走つてみる。「確かにしますね」といふので、部品を取り寄せるのに二週間かかるので、また予約をしてくださいとのこと。すると今度はダッシュボードから今度はこれまでとは全く違ふカタカタといふプラスチックが当たつてゐるやうな音がした。しかし、この音は私が住んでゐる市内の道路では音がするが、ディーラーがある場所の道路では決して鳴らないのである。何だか嘘みたいな話だが、本当である。助手席側の修理をしてもらつた折も、同乗して確かめてもらつたが、「しませんね」といふので保留になつた。しかし、帰りの車中にはそのカタカタが響いた。
 やつてられねえな、そんな思ひである。

 そんなことがあつて、ある工学博士にお会ひした折に、「機械といふのはどうして同じ個体を作れないのでせうか」といふ話をすると、「それは前田さん、考へが逆ですよ」と即答された。「機械だから同じ個体を作ることが難しいのです。」機械は制御といふものを通じて辛うじて同一の作業を維持できるのださうだ。だから、品質管理といふことが問題になるのだと言ふ。

 目から鱗が落ちるやうな話だつた。

 近代化は、産業化でもあり、同時に機械化でもある。画一化といふことが、評論では近代の弊害として言はれることが多いが、何のことはない。機械では画一的なものは出来ないのであつた。だから、言葉を正確に使へば、近代化とは、制御化のことであり、制御された機械によつて生産が管理されるといふことである。それは制御された機械化といふことである。

 たいへんに勉強になつた。

 しかし、我が家の車は今も音を立ててゐる。辛い、高い買ひ物だつたのに。
コメント
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