言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論 最新號

2012年05月20日 07時15分03秒 | 告知

○時事評論の最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。 (いちばん下に、問合はせ先があります。)

   五月號が発刊された。

 さて、今回の内容であるが。次の通りである。1面の「反原発」キャンペーンへの異論はまつたくその通りである。イデオロギーで解決できるほど、電力需給の問題は簡単ではないし、福島原発固有の問題と原発の問題とを同一のものとして主張する論稿は愚かとしか言ひやうがない。

 2面の「教育随想」には異論がある。5月15日の沖縄復帰にたいして本土のどこからも祝はうといふ声が聞こえてこないとあるが、沖縄自体からも聞こえてはこない。「復帰」と言ひながら米軍専用地が沖縄を東西に引き裂いてゐる現状は果たして「復帰」と言へるかどうか。祝へない苦渋があることにまで考察すべきである。また、4月28日を主権回復記念日と称する保守派の動きに違和を表明してゐるが、サンフランシスコ平和条約を結んで独立した日を自覚する意味では重要であらう。沖縄だけを置き去りにしてどうして主権回復記念日と言へるのかと書いてゐるが、それなら北方領土も竹島も奪はれたままである現在でも主権は回復してゐないとでも言ふのか。さういふ完璧主義の考へが、却つて沖縄県民が「本土復帰」を祝へないといふ一面を見えなくさせてゐる。

 また、留守晴夫氏のヘミングウェイ『僕の父』の解説はいつもながら味はひ深い。最後のところで引用された「自らの裡に悲しみよりも喜びを多く持つ人間は眞實ではあり得ない、もしくは未發達だ」とのメルヴィルの言葉にも共感する。さういふ悲しみから逃げるだけ逃げる、それが成熟社会の「大人」像なのだらう。4面のコラム「孤もまた徳ならず」に出てくるなだいなだ氏の愚論「逃げることはひきょうか」への「星」氏の評価のも同感である。卑怯に決まつてゐる。悲しみや苦しみから逃げて、喜びや楽しみだけ求めても成熟はありえない。当然の話だ。

 

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騙されるな 

マスメディアの狂った「反原発」キャンペーン

櫻も咲いたのにまだ放射能の恐怖を煽るのか

       ジャーナリスト 山際 澄夫

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素人の防衛大臣は殺人者なり

北のミサイル対処――野田内閣の危機管理を検証する

                拓殖大学客員教授 潮 匡人

教育隨想       

      祖国復帰40年を迎へた、沖縄の意外なルーツ (勝)

この世が舞臺

     『僕の父』 ヘミングウェイ                                

                     圭書房主宰   留守晴夫

コラム

        編集長失格  (菊)

        人間觀・現場感覺 (村永次郎)

        孤も德ならず(星)

        保守主義に哲學なし(騎士)   

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  問ひ合せ

電話076-264-1119     ファックス  076-231-7009

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