今年の三月に、大阪に來てから初めての卒業生を送り出した。六年間の思ひ出を吸ひ取られるやうに校門から出ていく彼らの背中が持つていつてしまつた。以來半年ほど眞空が續く心をどうにか立て直すのに苦勞した一年であつた。
出ていくより、見送る方が苦しいといふことをこれほど感じたことはなかつた。
それから、十月に今受け持つてゐる生徒らの引率で修學旅行に出かけた。沖繩である。飛行機事故でたとへ300名の人が亡くなつたとしてもその場所に慰靈にはいかない。それなのに沖繩へは慰靈の旅に行く、それは何故か。人數の多少ではない。彼らが犧牲者であるからだ。飛行機事故は被害者に過ぎない。世の中でも犧牲と被害とが混同されてゐる。そのことを説明して出かけた。これは以前も同じである。
十月の沖繩は颱風が來る。歸りの飛行機が運惡く颱風にぶつかつた。生徒らは延泊を待ち望んでゐる節もあつたが、さうはいかない。便をくり上げて歸阪した。
生徒に歌を書かせたので、私も書いてみた。拙いが、年末のゆつたりとした時間の御愛敬だと御寛恕願ひたい。
初日に訪れた平和公園にて
島守の塔を見上げて生徒らと汗ばむ両手合はせ祈りつ
石の中幾千柱の御霊からは我らの姿いかに見ゆらん
声を聞きに訪ねて耳をすましけり風よ御霊はいづこにありや
移動するバスの中で
バスの中寝てゐたせいでホテルでは暴れまはつて君は正気か
沖縄に唯一の電車ユイレール下ではバスでゆいまーる歌ふ
二日目、今帰仁城にて
こんなにも沖縄の海は碧いのに人の悲しみがあまりに深い
三日目のタクシープランの晝食時に
スパゲティ注文するとトーストが隣りについて沖縄スタイル
タクシープランの中繼地にて
台風の迫る雨中にやつて来た万座毛を背に生徒らを撮る
最終日 歸阪時に空港にて
野分吹く空港内で荷物検査時間がかかりとまどふ我ら
年が明けると、すぐにセンター試驗。浪人生たちが必死になつて學んだ成果を十二分に發揮して欲しいと願つてゐる。
今年一年、御愛讀ありがたうございました。