言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

もはや戦前である

2010年12月24日 22時50分35秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今夜は聖夜である。一気に外気温は下がり、静かな夜になつた。

 しかし、隣りの國の情勢は緊迫の度合を深めてゐる。言ふまでもなく、北による砲撃が韓國民の不安を煽つてゐるのである。もちろん、日本人が心配するほど當事者は不安に感じてゐないと言ふ識者もゐる。しかし、そんな樂觀も北からの砲撃が再びあれば、消しとんでしまはう。それほどに憶測の情勢判斷しかできないのが現状である。

   現に、韓國軍は、ソウル市内の漢江にかかる橋をいつでも爆破できるやうに訓練してゐるといふ。また、この冬は殊の外寒くなりさうであるから、漢江が凍らないことを祈るやうな氣持でゐるだらう。橋が無くても川が凍れば兵士は簡單に移動できる。戰車も通れるかもしれない。漢江はマイナス18度の外氣で氷始めるといふから不安は募らう。かつてもソウルを流れる漢江が凍ることを恐れた冬があつた。

   窮鼠猫を噛むといふ。理屈で考へれば、北朝鮮が戰爭を仕掛けて勝てる見込はない。しかし、經濟的にも政治的にも國家の維持が難しいといふことになれば、どうで出るか分からない。それもまた人間の心理である。十二分に理屈で考へられる結論であるはずだ。

  また、韓國においても、砲彈を打込まれ、次はいつ來るかといふ不安にいつまで堪えられるだらうか。軍隊による軍事訓練を重ね、國民に北との兵力の違ひを見せつけても、それで得られる納得がいつまで持續するか分からない。これで安心だといふ思ひも、再び砲撃やらテロやらがあれば、すぐに急變する。不安は高まり、政府に對する批難となつて顯在化する。またそれとは逆に、北朝鮮との對立を煽り戰時體制へと傾くことを韓國民は望んではゐない。先の選擧で與黨が負けたやうに厭戰氣分も強いからである。さうした二律背反の國民感情の中で、政府のかじ取りは非常に難しい。かうした民主國家の弱點を北朝鮮は突いてくるはずだ。いや、今囘の砲撃はさうした状況への第一彈=心理的攻撃なのかもしれない。

   もはや戰前である。私たちの、今日の靜かな夜もさうした戰前の一夜である。そして、それは決して逃れられないことである。さうであれば、私たちが出來る唯一のことはなにか。いつまでも、いやできるだけ長く戰前のままにしておくことである。戰後の總決算だとか、失はれた二十年などといふ後ろ向きの政治的スローガンを掲げてゐるうちに、時代は紛れもなく戰前になつてゐる。さういふ時代認識の中で、何をなすべきかといふことこそ、爲政者は考へるべきであらう。

   韓國において一朝有事の際の邦人救出法を考へる事もさうである。北からの難民をどうするかといふ事もさうである。それは政治家がすぐにでも取かかるべきことである。では、政治家でない私はどう考へてゐるのか。誤解を恐れずに言へば、金正日を擁護したいと思ふ。内部崩壞寸前の北朝鮮の中で、曲がりなりにも國家の體を維持出來てゐるのはどうしてか。それは辛うじて金正日が安定の據り所になつてゐるからである。彼が死んでしまへば、それこそ事態は混亂するばかりである。暴發的な事件が連續して起きるかも知れない。朝鮮半島を戰場にしてはならない。アメリカの特使が北朝鮮に行くも良し、とにかく金正日こそが權力の掌握者であることを徹底的に擁護し、彼を中心に國家の變革を迫る以外にあるまい。太陽政策には、それが無かつた。利用されるばかりであつた。

  今囘の砲撃事件に關し、その背景の説明は識者によつてそれぞれであつたが、不思議なことにそれが金正日によるものであるといふ説明が一切なかつた。このことが暗示する事こそ重要である。となれば、彼が今囘のことをどう考へてゐるか、聞いてみる價値はある。もちろん、テーブルにつくかどうかは分からない。しかも率直に言ふ可能性も低い。しかし、アメリカが北朝鮮の不穩な動きを明確に示しながら、金正日(あるいは金親子)を支援する用意があると傳へることだけでも意味がある。彼が生きてゐるからこそ、安定は維持されてゐるのだ。

   日本はどうすべきか。菅首相は、どんなことがあつても李明博大統領を支持しなければならない。國民が不安になり、政府への批難を強めても、李大統領の正統性を主張すべきである。三八度線は、どう考へても日本の生命線である。その境界線のこちら側にある國家は運命共同體であるからだ。

  戰前であるといふ時代認識から始めなければ、今日の東アジア情勢には對應出來ない。

 

コメント (2)
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