ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

合角ダムで学ぼう!

2019-12-17 08:02:23 | 埼玉(ダム/堰堤)
荒川水系の合角(かっかく)ダムは埼玉県秩父市上吉田にあります。合角というのは湖底に沈んだ地名。このダムを建設するにあたり、いくつかの地区が水没するわけですが、合角地区は完全に水没しました。そこで後世にその名を残すためにダム名として付けられたそうです。

ダムは県道282号沿いにあります。入口には看板があるので、すぐわかります。



管理所は県道に面しています。





貯水側にある管理所付近から見たダム。



ダム湖の名が記された石碑。



ああ、この貯水湖は「西秩父桃湖」というんですね。これの命名に関しては吉田町と小鹿野町から公募したところ、ここを桃源郷にしたいという理由などから「ももこ」が最も多かったそうです。そこで審査委員会は地域名の西秩父を付けて湖名にしました。

ところが、それだけの理由ならばいいんですが、建設業者らは当時の土屋義彦知事の歓心を買う意味も込めていたというのです。つまり知事の長女の名前が桃子であり、ダム湖を娘と同じ読み方にすることで利益を得よう…と。これが組織票になったのかどうかは知りません。

こちらはダム名の記された石碑。



ではダム上を歩いてみましょう。



2000年3月竣工だそうです。



これが管理所の全景。本当は近くから撮りたかったのですが、逆光で上手く撮れなかったのでダム上から撮りました。テヘヘ。



上流側の景色。



下流側の景色はこんな感じ。



このダム上には所々に趣向が凝らされています。足元には吉田町と小鹿野町の町花と町鳥が紹介されているんです。管理所側には吉田町の町花(みつばつつじ)と町鳥(やませみ)が。



ダムの真ん中には近隣のダムの方角を示す標識。



そして対岸側には小鹿野町の町花(つつじ)と町鳥(うぐいす)が。



こういうのは子供の社会科見学には良いですね。

対岸に来ました。ほぉ〜、ここは吉田川というんですね。



対岸から振り返ると…。



対岸の下流側から見たダム。



上流側からダムを見ると、こんな感じ。



親子で来ても楽しめるダムだと思います。


(お知らせ)

松本市にある水殿ダムの昼間の様子をアップデートしました。よろしければ
コチラをご覧ください。
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地元の一部…二瀬ダム

2019-12-16 08:28:08 | 埼玉(ダム/堰堤)
前回の滝沢ダムは国道140号沿いにありましたが、今回行った荒川水系の二瀬(ふたせ)ダム(埼玉県秩父市)は山を越えたすぐ南側にあります。やはり国道140号沿いに。なぬ?どういうこと?とお思いでしょう。実は滝沢ダムのほうは国道140号のバイパスみたいなもので、一方二瀬ダムの国道は旧道みたいなものというわけです。

で、二瀬ダムに到着。





今回はダム上の写真がありません。というのも、ダム上の道路は交互通行で、ダムの両岸の信号でコントロールされているのです。旧道みたいと書きましたが、意外に交通量は多く、ダム上でのんびり撮影するわけにはいかなかったという次第。

で、いきなり対岸から見たダムの写真になります。



対岸から見た貯水側。



少し離れたところに「秩父湖」と刻まれた石碑。



その付近から見たダム。アーチ状になってることがわかります。



ところで、管理所はどこなんでしょうか。見当たらないので先ほどの道に戻ってみると…



本当に小さな管理所がありました。で、よく見ると「中継局舎」とあります。ということは近くに「本部」があるはず。

探してみると、下流側へ行ったところに「本部」がありました。これです。





なんか普通のビルですやん。これじゃあ来る時に気づかなかったのも無理ないわぁ。


(お知らせ)

松本市にある奈川渡ダムの昼間の様子をアップデートしました。よろしければコチラをご覧ください。
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ループ橋の近くの滝沢ダム

2019-12-15 08:40:22 | 埼玉(ダム/堰堤)
荒川水系の滝沢ダム(埼玉県秩父市大滝)は国道140号沿いにあります。入口には看板があるのでわかりやすい。



見学時間が決まっています。



ダムの総合案内図。



貯水湖は「奥秩父もみじ湖」と言います。



このダムを建設するにあたり移転した世帯が記されています。相当な数ですね。



管理所は入口側にあります。





そこから見る滝沢ダムの勇姿。



このダムの諸元と目的。



総合案内図、その2。



2008年3月竣工です。



ではダム上を歩いてみましょう!



下流側の景色。遠くにループしているのは国道140号です。



ダムの真下(後で行きます)。



ここからダム下へエレベーターで行くことができます。行きませんでしたが。





貯水側の景色です。



対岸に来ました。そこから見るダムと管理所。



近くには慰霊碑が。4人の方が亡くなられました。合掌。





ダム下から見た「ご尊顔」。近くまで行ってみます。



ここからダム上へはエレベーターを使うか、435段の階段を登れば行けるんだそうです。まあ、ほとんどの人はエレベーター一択だわな。



ダムの真下から見上げた図。いや〜、すごい迫力。



エレベーターへ行くための吊り橋。



その真ん中からダムを見ると、



下流側の景色です。



いや〜、見所満載のダムでした。
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現代わらしべ長者の始まり?

2019-12-14 08:05:00 | 脳みその日常


夕方、突然の来客。

「今晩は…。あのぉ…、お米食べます?」
「えっ?」

誰なんでしょうか。何なんでしょうか。新手の押し売り?

よくよく話を聞けば、その人は先々月に庭のザクロの実を差し上げた方でした(参考)。

「あぁ、あの時の…」
「はい。あの時は本当にありがとうございました。お客様にも喜んでいただいて…」
「お、お客様?」

話が飛躍して困ります。どうやらこの方は近所の旅館にお勤めのようで、もらったザクロを宿泊客の料理に使ったらしい。確かにザクロの実を料理に散らせばインスタ映えしますからね。

「喜んでいただけて何よりです」

で、それと米はどんな関係が…。

「実は私、生まれが秋田で、ザクロのお礼にお米を…と思いまして」

あ〜、やっと繋がった。そういうことですか。納得、納得。

それにしても、タダのザクロが米になって返ってきたとは、これ、まるでわらしべ長者の始まりみたいじゃないですか。さて、今度はこの米を誰に渡そうかな(笑)
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雁坂付近の親柱ア・ラ・カルト

2019-12-13 09:28:01 | 橋のユニークな親柱
国道140号を山梨側から埼玉側へ向かうと有料の雁坂(かりさか)トンネルがあります。そのトンネルを出てしばらく走ると、連続する短い5つの橋を渡ることになります。まあ、走っているとあっという間に通過してしまうので橋だとは思わないでしょう。でも一応「橋」なんです。その親柱は全部異なっているので、今回まとめてご紹介することにしましょう。

最初にあるのが岩鏡橋(いわかがみはし)。





お次は山吹橋(やまぶきばし)。





3番目は山薊橋(やまあざみはし)。





4番目は沙羅ノ樹橋(さらのきはし)。





この橋にはそれが架かっている川(滝)の名前も刻まれています。



最後は黒文字橋(くろもじはし)。





この橋は滑沢(なめさわ)に架かっているんですね。



全ての橋に共通なのはそれらがいつ建設されたのか記されていないこと。国道を整備する際、橋が必要だったので何となく「架けちゃおうか」ってなノリで作ったのかも。でも、「せっかくだからさ、それぞれの橋に名前をつけて花のデザインでも付けたらオシャレじゃん…」みたいな。

いや、本当のところはどうか知りませんけどね。
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昼間の広瀬ダム(再訪)

2019-12-12 08:51:41 | 山梨(ダム/堰堤)
東京へ行くついでに山梨市にある富士川水系の広瀬ダムへ行きました。国道140号沿いにあるこのダム、実は今年の4月に訪れていた(参考)のですが、その時は深夜だったので昼間の姿を見てみようと思ったわけです。で、当初はアップデートとして考えていたのですが、やっぱりダムを見るなら昼間だね〜。見えるものが断然多い。そんなわけで改めて記事にしようと思います(写真の重複はできるだけ避けます)。

国道沿いのダム入口には親切にも看板があります。



入ってすぐに駐車場があり、「水原の碑」なるものに目が行きます。



その裏側には水のありがたみが記された文章が書かれています。



ダムでよく見かける取水塔。



おなじみの水利使用標識。



「広瀬湖 広瀬ダム」と記された石碑。深夜ではこんなのがあるなんて気づきませんでした。



ダムの概要が記された石碑。これも見落としていました。



さて、ダム上を歩いてみましょう。



ダム下の景色です。



貯水側の広瀬湖の様子。



洪水吐(こうずいばき)の説明。





増水した水は自然にここから溢れ出て、



この水路を通って流れていきます。



対岸の先にはこんな公園がありました。これも深夜では気づきませんでした。





管理事務所は対岸にあります。





事務所付近から見たダムの様子。



こうしてみると深夜の情報量と昼間のそれとでは格段の違いがあることがわかりますね。
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細長く大きな御母衣ダム

2019-12-11 09:11:51 | 岐阜(ダム/堰堤)
国道156号をさらに南下して行くと庄川水系の御母衣(みぼろ)ダムが現れます(住所は岐阜県大野郡白川村)。ここの貯水湖は「御母衣湖」といいます。ただし、ダム上へ行くには要注意。なぜならその入口は国道156号の福島第3トンネルの途中にあり、うっかりすると通り過ぎてしまうほどわかりにくいからです。行かれる方は気をつけてください。

さて、その入口を進むとすぐにダム上となります。そこはダムの案内板が。



1961年1月完成とあります。もう2年で還暦ですよ、このダムは。

溜まりすぎた水はこの水路を通り、



下流へ向かいます。



いよいよダム上を歩きます。砂利道なので歩きにくいことこの上なし!



貯水側の御母衣湖の景色。



ダム下には電源開発株式会社の御母衣電力所があります。



対岸へ来ました。振り返るとこんな感じ。



少し上流から見たダムの様子。



御母衣湖は川ではありますが、非常に細長く大きい感じがします。



これだけ大きいと、建設にあたっては多数の集落が湖底に沈んだのではないでしょうか。それにしても「御母衣」ってどういう意味なんでしょうね。いずれ調べてみようと思います。
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見せて欲しいなぁ…鳩谷ダム

2019-12-10 20:13:53 | 岐阜(ダム/堰堤)
岐阜県大野郡白川村を走る国道156号をさらに南下するとダムが見えてきました。



下流の景色です。



なんていうダムなんだろう。国道沿いに答えがありました。鳩谷(はとがや)ダムです。これが管理所。





でも、得られる情報はこれだけ。関西電力お得意の「秘密主義」です。それほどまでに見られたら困るモノがあるんでしょうかねぇ。ちょっと笑止。
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見えるのは入口のみ…椿原ダム

2019-12-10 08:03:44 | 岐阜(ダム/堰堤)
岐阜県大野郡白川村にある庄川水系の椿原(つばきはら)ダムに来ました。ここは国道156号沿いにあり、椿原橋のたもとに入口があります。



ところが、見えるのは入口のみで、ダムは全く見えず。どこかに見えるポイントはあるのでしょうか…。仕方ないので次へ向かいました。
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国道から見学…赤尾ダム

2019-12-09 08:19:33 | 富山(ダム/堰堤)
国道156号をさらに南下すると、やはり庄川水系の赤尾ダムがあります。最初国道沿いに「ああ、ここにダムがあるな」と通過してしまい、止むを得ず対岸側の方へ回ってみました。管理事務所がそちらにあると思ったからです。

庄川と並行して走ると再びダムが現れました。



しかし、ここはちょっと高台で事務所すらありません。面倒臭いですが、また国道側へ戻ることに…。

で、やはりこちらが入口のようです。



そして、入口の横にあるクリーム色の建物が事務所らしい。



ところが関西電力が管理するダムに共通の「立入禁止」の壁に阻まれ、近づけるのはここまで。仕方ないので道路からダム上を撮影。



上流側から見たダム。



上流側の景色です。



他に見所がないので、これで終了。

次に富山県が管理する境川ダムへ行こうとしたら交通整理のジイさんに止められました。

「どちらまで行かれますか?」
「ええ、この先のダムまで」
「あ〜、ダムへの道はもう閉鎖です」
「えっ、マジですか?」
「はい、来年の5月まで冬季通行止なんですよ」

見れば、看板に「11月中旬から翌年5月まで市道通行止」と書いてありました(写真を撮り忘れましたが)。(参考

ええ、来年春にまた来ますよ。


(お知らせ)

味噌川ダムの竣工年を追加しました。よろしければコチラをご覧ください。
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庄川沿いの小原ダム

2019-12-08 08:22:37 | 富山(ダム/堰堤)
次に目指すは南砺市にある庄川水系の小原(おはら)ダムです。国道304号を南下し国道156号を右折し五箇山方面へ進みます。庄川沿いに走り、目ぼしいところを右折すると…



ジャ〜ン、見えました。あれですな。では、もう少し近くまで行ってみましょう。

到着です。これがダム上。



上流側から見たダム。



下流側から見ると、



貯水側の景色です。



一方、下流側の景色はこんな感じ。



ところが、管理事務所らしき建物が見当たりません。ならば元来た道を戻り、対岸へ行ってみました。対岸の下流側から見たダム。ゴツくカッコいいですね。



何となくそれらしき建物はあるのですが立ち入りは禁止のようです。





せいぜいズームして撮れたのが水利使用標識。



そんなわけで、探検はこれにて終了。最後に、対岸の貯水側から見たダムの写真をどうぞ!

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まぁ、一般的かな…城端ダム

2019-12-07 09:54:03 | 富山(ダム/堰堤)
南砺市にある小矢部川水系の城端(じょうはな)ダムは富山県土木部が手がけた12番目のダムで、1992年7月竣工。前回の臼中ダムから行くには県道289号から県道292号へ一旦下って行く道と、臼中ダムの上流に進み、林道城福線経由で行く道があります。さあ、どうしましょうね。結局、一度下ってまた上がるというのも何だか馬鹿馬鹿しいように思えたので林道経由で行きました。

到着です。またまたワイルドなダム碑がお出迎え。



すぐ近くにシンプルなデザインの管理所があります。





管理所の定礎は1991年10月。



管理所付近から見たダム。



下流側から見たダム。キリッとしてますね。



ダム上です。軽自動車が見えますが、これは工事関係者のクルマで、一般車両は進入禁止です。なので、歩いて渡ります。



下流側の景色。



上流側の景色。



対岸に来ました。振り返ると、



そして下流側はこんな感じ。



貯水側からはこんな感じに見えます。



おっと、水利使用標識を忘れてました。このダムの目的は「灌漑」と「ダム管理用発電」なんですね。



まあまあ一般的なダムという感じですが、管理所は地味な色彩でなく目立つ色を使っているのが印象的でした。
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臼中ダムのドラマ

2019-12-06 10:54:55 | 富山(ダム/堰堤)
南砺市の県道289号を走り、トンネルを抜けたところにあるのが小矢部川水系の臼中(うすなか)ダムです。まずはダム管理所がお出迎え。





なんとも味のある字ですね。



管理所の定礎は1989年12月。



そして、臼中ダムと記されたワイルドな石碑。



臼中という地名の由来は1183年の倶利伽羅峠(砺波山)の戦いに由来します。この戦いで木曽義仲の軍に破れた平家の武士たちはこの地に辿り着き、隠遁百姓として住み着きます。そしてこの地がまるで臼の中のように窪んだ地形だったことから「臼中」と呼ばれるようになったそうな。

臼中の里はこうして集落になりますが、1975年、この地にダム建設計画が発表され、1990年のダム完成とともに集落は湖底に消えることに。臼中ダムと命名されたのは単に地名というばかりでなく、臼中の里で暮らしていた人々がいたことを記憶に留めるために付けられたものだそうです。これが下の写真の伝承碑に記されています。



近くには「相刻」と書かれた碑が…。
「人は石を刻み 地を刻みて世を整え 天の時の刻みを観る」
う〜ん、なんか深いなあ。



このダムは「灌漑」「防災」「発電」を目的とした多目的ダムだそうです。



詳細な使用目的が記された水利使用標識。



管理所のある貯水側から見たダム。



では、ダム上に向かってみましょう(車両通行可)。まず見えてくるのは排水口。水はここから流れ出て、



ここを通り、



下流へ向かいます。



ダム上です。



下流側の景色。



上流側の貯水池。美しいっす。



対岸まで来ました。振り返ると…。



下流側の様子。



上流側の様子。



ここから貯水池を一周できる道があるので進んでみます。貯水池を半周したくらいのところに林道城福線が通っています。



そこには見晴台があり、ダムを見ることができます。





さらにクルマを進めると見晴らしの良い場所に石碑が。この場所に学校があったんですね。



その横には大森儀松(おおもりよしまつ)なる人物の胸像。どのような人なのでしょうか。





大森儀松(1888-1968)はこの地の臼中分校で47年間教鞭を執り、教育者としてだけでなく村の発展に尽力した方だそうです(参考)。

それぞれのダムにそれぞれの歴史が必ずあります。この臼中ダムにも知られざるドラマがありました。ちょっと感動。
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ふと見ても見えない…太美ダム

2019-12-05 09:05:21 | 富山(ダム/堰堤)
前回の刀利ダムから小矢部川沿いに県道10号を下ってくると、道沿いに小屋のようなものが…。見れば、そこには太美(ふとみ)ダムと書いてありました。





水利使用標識です。発電用のダムらしい。



ところが肝心のダムが見当たりません。川が流れる音のするほうを見ると、どうやらこれのようです(下の写真中央部あたりに見えるブルーのもの)。



ダムの実体は残念ながらわかりませんでした。それにしてもあの「小屋」はなんでしょうね。職員が常駐する設備もないし、単なる道具置き場なのでしょうか。無人駅ならぬ無人発電ダムみたいなもの? この小屋が太美ダムの場所だよ〜、来る時はここを目指して来てね〜…なんてね。

ちなみに太美とはもっと下流にある地名のことで、このダムはそこから命名されたのだと思います。
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ストーリーのある…刀利ダム

2019-12-04 09:34:18 | 富山(ダム/堰堤)
刀利(とうり)ダムの名称は、地名に由来します。つまりこの場所が富山県南砺市刀利だからです。1966年3月、当時の農林省の管理のもとにダム本体が竣工しました(全体が完成したのは翌年3月)。



管理事務所です。ちょっとオシャレな感じの建物ですね。



2種類の水利使用標識。





下流側から見たダム。



上流の貯水側の景色。



下流側の景色。



対岸に来ました。こちらには見晴どころや、このような展示物(ダム放流バルブ)があります。





こうして見ると、このダムがドーム型アーチ式であるのがよくわかります。



対岸側には、他に刀利ダムについての概要が記された案内板があります。





さらにその隣にはダム竣工記念碑と松村謙三なる人物の胸像が。







松村謙三(1887-1971)は福光町(現在の南砺市)出身の政治家で、厚生、農林、文部大臣を歴任。当ダムに関して言えば、1946年に小矢部川水系総合開発期成同盟会を結成し、その会長に就任。そして長年に渡りダム建設の陳情に尽力したことで刀利ダムは完成をみるに至ったという。

立派なダムの背景には立派なストーリーがあったんですねえ。
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