どーも、ワシです。さて、今回は岐阜県土岐市妻木町(ときし つまぎちょう)にある浦山第二砂防堰堤を目指します。アクセスは県道388号沿いにある妻木城士屋敷跡(つまぎじょうさむらいやしきあと)の西に架かる小さな橋のすぐ上流にあります。ただし、駐車スペースはないのでクルマは県道388号沿いの空いている場所に停めるしかありません。
これのようです。いや〜、渋い、渋すぎます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/39/2f27313987a12847cc065199b675939b.jpg)
右岸側から堰堤の横に行けないかなと思い、道を進んで行くと堰堤の横でなく、さらに上流に来てしまいました。そこには錠剤のような白い丸い石があり、それを渡って左岸へ行けるようになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c4/c859623e2871c57bab10300132944be9.jpg)
左岸へ移動し、そこから堰堤を見るとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/33/c39fb705534c714955bd3254a0942cd6.jpg)
左岸側には案内板があります。それによると、築造の経緯は次の通りです。この地域は昔から美濃焼の産地として知られていますが、陶磁器生産のための陶土採掘や窯で焼くための木材を伐採し続けたため山地は荒廃。そのため少量の雨でも土砂崩れが発生し、下流で水害が多発するようになりました。そこで1937年に国による直轄砂防事業が開始されます。そしてこの浦山第二砂防堰堤は1942年10月21日に工事着工され、昭和18年(1943年)8月25日に完成。その工法は間知石(けんちいし)を矢羽積(やばねづみ)にしただけの空石積(からいしづみ)でモルタルなどは使用していません。この工法は隣接する妻木城を築城した時に用いられたものとされ、その技術がこの堰堤にも反映されているそうな。この石積技術は再現するのが難しいという理由から当該堰堤は2006年10月18日に登録有形文化財として登録されたそうです。(参考)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/e0/ed6dcbe38f6decaa22471b79ee08484a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/23/2c85b27bc4dfdbe383cdba5f5c1e3313.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/75/becbd4181448c9b5969acf8781621993.jpg)
高さ5.0mの地味な砂防堰堤で、興味がなければ気づきませんね。ちなみに「第二」とあるので「第一」もあるのかなという素朴な疑問が…。国土地理院の地図を見ると「第二」のさらに上流に堰堤らしきものがあり、それが「第一」かなと思うのですが確認できず。
これのようです。いや〜、渋い、渋すぎます。
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右岸側から堰堤の横に行けないかなと思い、道を進んで行くと堰堤の横でなく、さらに上流に来てしまいました。そこには錠剤のような白い丸い石があり、それを渡って左岸へ行けるようになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c4/c859623e2871c57bab10300132944be9.jpg)
左岸へ移動し、そこから堰堤を見るとこんな感じ。
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左岸側には案内板があります。それによると、築造の経緯は次の通りです。この地域は昔から美濃焼の産地として知られていますが、陶磁器生産のための陶土採掘や窯で焼くための木材を伐採し続けたため山地は荒廃。そのため少量の雨でも土砂崩れが発生し、下流で水害が多発するようになりました。そこで1937年に国による直轄砂防事業が開始されます。そしてこの浦山第二砂防堰堤は1942年10月21日に工事着工され、昭和18年(1943年)8月25日に完成。その工法は間知石(けんちいし)を矢羽積(やばねづみ)にしただけの空石積(からいしづみ)でモルタルなどは使用していません。この工法は隣接する妻木城を築城した時に用いられたものとされ、その技術がこの堰堤にも反映されているそうな。この石積技術は再現するのが難しいという理由から当該堰堤は2006年10月18日に登録有形文化財として登録されたそうです。(参考)
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高さ5.0mの地味な砂防堰堤で、興味がなければ気づきませんね。ちなみに「第二」とあるので「第一」もあるのかなという素朴な疑問が…。国土地理院の地図を見ると「第二」のさらに上流に堰堤らしきものがあり、それが「第一」かなと思うのですが確認できず。
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