ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

オクターヴ奏法に油断は禁物

2005-11-19 10:44:56 | 音楽あれこれ
ピアノの楽譜に当然のごとく出てくるのがオクターヴ。これはひとつの音では響きのうえで作曲家が物足りないと感じた時に1オクターヴ上もしくは下の音を加えるもの。いや、場合によっては演奏家が任意でオクターヴにして演奏することもある。

もっと言うなら「5度」を加える奴もいる。たとえばオリジナルの楽譜には「ド」の音しかないのに、「ド-ド」では物足りず「ド-ソ-ド」にしてしまうなど…。これは往年のホロヴィッツやシフラなどがトチ狂ってやっていたことだ。まあ気持ちはわからんでもないが。

それはともかく、ここでワシが言いたいのはオクターヴを弾くにしても「きちんと音を鳴らす必要がある」ということ。何も鍵盤を打ち抜くほどの強音で弾くことはない。しかし音を響かせようという意識をもって弾かないと、いくらオクターヴの音であっても地に足がつかないように聴こえてしまう。こういう演奏だと聴いてて気持ち悪いよ、ホントに。オクターヴでその旋律をアピールしようとしているのに、まるでフワフワ宙に浮いているように聴こえてくるのだから。

もちろん、オクターヴをきちんと弾くにはある程度の手の大きさが必要だ。思い切り手を開き、やっとのことで1オクターヴ届くという人にとって、この行為は拷問に近いものかもしれない。だから手の小さいピアニストはオクターヴ奏法が主役とならない古典派以前の作品をセレクトすることが多い。それは実に賢明な選択であろう。

だからといって彼らが後期ロマン派の作品を弾くべきじゃないと言っているのではない。前述したように、弾くのであれば、きちんと芯のある音を出せばよいのである。ただ、手が小さいと、オクターヴを弾く時にどうしても手首が浮き上がってしまう。それは手の構造上どうしようもないことではある。

だが、残念なことに手首が浮いた状態でオクターヴを弾いても良い音にはならない。なぜなら、弾こうとする力は「くの字」に曲がった手首から指へ伝わりにくいからだ。せっかくの力も抜けてしまうというわけ。だから彼らは何とかして力を指へ伝えようと努力する。ところが、そうしようとすればするほど手首と肘に余計な力がかかってしまい、逆効果になる。

ピアノ学習者は「脱力しなさい」と言われることがある。これはまさに手首と肘に力が入らないようにするためだ。無駄な力が腕に加えられなければ出てくる音は当然「良い音」になる。この例からわかるように、無理矢理オクターヴを鳴らそうと頑張ることはその心意気は認めるけれど、悲しいかな徒労に終わるケースがほとんど。

単に「なんだ、オクターヴか」とナメてかかってはいけない。オクターヴで良い音を出すことは意外に難しいのだから。そもそも手を広げるという行為自体に力がかかっているんだもんね。手を広げなけりゃ弾けないのに、広げたら広げたで力が入り良い音を出すのは難しいという矛盾。

ピアノ弾きは本当に大変だ。
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