ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

黒森川第1ダム(黒森川第一貯水池)

2022-06-08 07:02:52 | 秋田(ダム/堰堤)
一昨日は所用で東京へ。その目的は30年ほど仕事で付き合いのあるN社のF氏と会うためでした。F氏とは2年ほど前に会って以来。千代田区のホテルのロビーで待ち合わせ、旧交を温めました。

ところがここで衝撃の事実が発覚。優れた編集者の集まりだったN社は昨年3月に大手出版社のS社の傘下となり、当時社長だったF氏はS社の顧問になったそうな…。コロナ禍にあって出版業界の業績悪化とN社の出版スタイルが時代に合わなくなったからのようです。その煽りを受けて同社の音楽部門も消滅…。

この話を聞いて「嗚呼、ひとつの時代が終わったな…」と寂しい気持ちに。

どーも、ワシです。今回は秋田県由利本荘市町村(ゆりほんじょうし まちむら)にある子吉川(こよしがわ)水系の黒森川第1ダムを訪れます。一番わかりやすいアクセス方法は県道285号沿いにある道路標示を「東鮎川」方面へ曲がり、最初のT字路を左折し、しばらく進んで交差点を直進して最初のT字路を右折して行くと到着します。

由利本荘市は2005年3月22日に本庄市と由利郡矢島町(やしままち)・岩城町(いわきまち)・由利町・西目町・鳥海町(ちょうかいまち)・東由利町(ひがしゆりまち)・大内町が合併して発足した秋田県南部の市です。

【子吉川の由来】(参考)(参考
また、子吉川について調べてみました。南北朝時代の1358年に公卿の北畠顕信(きたばたけあきのぶ:1320頃-1380頃)が当時の由利郡小石郷乙友村の地を大物忌神社(おおものいみじんじゃ)へ寄進したことから「小石」が「子吉」に変化し、そこを流れる川の名前になったという説があります。大物忌神社は各地にありますが、ここで言う神社はおそらく由利高原鉄道鳥海山ろく線の前郷駅近くにある通称「薬師様」と呼ばれる大物忌神社(由利本荘市森子)と思われます。それは子吉川に最も近いので、たぶんそうなんじゃないかなあと思っただけですが。
 さらに応永6年(1399年)に子吉修理之進(生没年不詳)がここを領地として住んだことからこの地は子吉と呼ばれ、付近を流れる川の名前も子吉川になったという説もあります。

上に書いた道を来るとダムの左岸に到着します。そこからダムはこんな風に見えます。



上の写真をよく見ると釣りをしている奴がいますが、この看板を見ていないんでしょうか。看板には「本荘市」とありますが、上に書いた通り現在ここは由利本荘市です。この看板からわかるのは、ここがまだ本荘市だった2005年3月21日以前に看板が立てられたのであり、その頃にはすでに黒森川第1ダム(黒森川第一貯水池)は完成していたという事実。



ダム横近くまではクルマで行けますが、そこから先は進入禁止なので歩いてダム上に向かいます。これがダム上。



左岸、ダム上から貯水側を見ると、こんな感じ。



左岸、ダム上から見た下流側の景色です。



ダム上、中央から貯水池を眺めてみます。



一方、下流側はこんな感じ。



洪水吐は右岸側にあります。越流式で、増水すると水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。遠くには風力発電のためのプロペラがブンブン唸っています。



右岸から貯水池を見ると、こんな感じです。



森の奥にある貯水池という感じで、訪れたのが新緑の時期だったこともあり、ある意味で目の保養になりました。
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