ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ラッキーが訪れる瞬間

2006-05-27 04:56:15 | 脳みその日常
マギー審司の持っているアライグマのことでは、もちろんない。うーむ、この一文でどれだけの人が引いたのだろう…。まあ、いいか。

気を取り直して話を続ける。ラッキー、すなわち幸運というものは予期せぬ瞬間に訪れる。これは誰もが経験することだろう。たとえば当たらないと思っていた宝くじが当選するなどというのは、まさにその例。いや、ワシ自身は宝くじを買ったことはないからその手のラッキーの実感はないけれど。

じゃあ、別の例で説明しよう。たとえばパチンコやスロットなどで当たりが出た瞬間。これも、まさにラッキーこのうえない。もっとも、これらの遊戯はもう20年近くやってないから最近狂喜乱舞した記憶はない。

でも、思い返すと当たりが出た瞬間というのは、頭の中である種の空白が生じる時に起こる。不思議なのはこうした空白は意識して作り出せないことである。遊戯に集中していて、フト別のことを考えた瞬間とか、何気なくタバコに火をつけた時などにラッキーはやってくる。その時、本人はまさか当たらないだろうと思っているから、まさしく「予期せぬ幸運」なのだ。

ここ最近、仕事がヒマだったりするので、空いている時間にはネットでタバコ銭を稼いでいる。たとえばこのサイトにあるスロットなどはただボタンを押すだけで遊べるので、ほかのことをしながらでもコツコツと小銭を稼げるから最近ハマっている。参加はもちろん無料なので興味ある方はどーぞ。ゲームはほかにもルーレットとかジャンケンなどもあり、楽しめますぜ。

で、稼げる金額であるが、ゲームだけなら月に2000円ぐらいは…(笑)ええ、ええ、どーせタバコ銭ですもん。この程度ですってば。でも「ラッキー」は味わえますぜ。フトした瞬間に…。いかがっすか、旦那。

それにしても、突然訪れるラッキーというのは何なのだろう。なぜ頭の中に空白が生じるのだろうか。悪い意味でいえば「魔が差す」ということなのかもしれないが、この場合本人にとっては幸運なので「ラッキー」ということになる。もしかすると、我々の意識と「ラッキー」とは併存しないものなのかもしれない。どちらかが存在する時には、他方は存在しない。両者はそんな関係なのだろう。
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