ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

何を盗むか

2006-06-03 09:42:31 | 音楽あれこれ
先週ある有名な四重奏団の演奏を聴いた。その時に、ふとその四重奏団に師事したという若手の四重奏団のことを思い出した。なるほど、若い連中はこの大物四重奏団から影響を受けている。それはわかった。ただし、どのような影響を受けたのかということが問題だった。

結論からいえば、若い彼らが大先輩から盗んだのは演奏における表面的なもの、つまりどの楽器が大きい音を出すかとか、音楽にどのようなドライブをかけて演奏するのかということだった。つまりはモノマネのレヴェルだったのである。

確かに芸術は模倣から始まる。それは間違いではない。しかし師匠の技を盗むというのは単に表面的な模倣ではないはず。師匠の演奏を聴いて、作品をどう解釈すべきなのかを考えるほうがはるかに意味がある。結果として師匠の演奏に類似する表現になったとしても、それは構わない。問題なのは最初から模倣することで満足してしまうことだ。

もちろん逆のケースもある。すなわち師匠を反面教師とすることだ。これは厳密には影響を受けたとはいえないかもしれない。しかしながら弟子が師匠のような演奏をしてはいけないということに気づけば、それはそれで意味があるのだし、ベクトルの異なる影響ということにもなる。

要は学ぶ側が音楽をどのように感じ、解釈するかなのである。深い洞察力をもってすれば、どのように演奏すべきかは自ずと見えてくるもの。単に著名な演奏家のマネをしてもそれは猿真似にすぎず、どこまでいっても真の意味で聴衆の心を揺さぶることはできない。
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3 コメント

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自立 (kiyose)
2006-06-03 14:22:30
武道で言うところの<守、破、離>は、音楽の世界でも同じなのですね!
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独立 (清瀬)
2006-06-03 14:26:38
武道でいうところの<守、破、離>も音楽の世界でも同じなんですね。
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守、破、離 (bestintimacy)
2006-06-04 18:41:26
確かにそうかもしれません。ただ、「守、破、離」という考え方は仰る通り武道や芸道といった「道」のつく中に息づいており、「道」を極めるための奥義のひとつともいえます。しかし広義でみれば人間生活一般でも「守、破、離」の場面はしばしばみられますね。近年ではこの考え方をビジネスに適用したセミナーも開かれているようです。まあ、これはある意味で人間の普遍的な発想なのかも知れません。
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