ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

師匠のブログ

2006-05-22 03:52:11 | 回想する脳みそ
リンクを辿って行くと思いも寄らないサイトに出くわすことがある。先日遭遇したのは、ナント、むかし習っていたピアノの師匠のブログだった。実名で出ているので間違いない。あることがきっかけで師匠とは音信不通になっていたが、よもやこんな形で「再会」するとは…。

意外だったのはその内容である。ピアニストが書いているのだから、内容は当然音楽のことだろうと思っていた。ところが、豈図らんや扱っているテーマは音楽以外のこと。社会問題だったり、タバコの害について、などなど。

まあ、考えてみれば音楽家だから音楽のことを書かなくちゃいけないなんて理由はどこにもない。それこそ読み手の勝手な先入観なのだ。おそらく彼は芸術家としてでなく、ひとりの人間として意見をそこで述べているのだろう。そのスタンスに敬服。いや、いかにも彼らしいなと思った。

確かに今は音信不通になっているが、師匠とは大体において基本的にウマが合った。音楽についての考え方もそうだったし、それ以外についても真っ向から対立することはまずなかった。まるで鏡を見ているかのようで、「アンタはワシか!」と思うことも、しばしば。

師事していたころは1回60分のレッスンだったが、ピアノについて指導された記憶がほとんどない。与えられた曲を一通り弾くと、あとは世間話で終わる。一体何をしにレッスンに行っているのかわからないこともあった。ピアノについて何も教えてくれないのになぜ高いレッスン料を払わねばならないのか、と。

誤解のないように記しておくが、別にワシはピアノが上手だったわけじゃない。もし指導する必要のないほどの腕前だったら、ワシはとっくにピアニストとして世界中を股にかけて……いやいや、妄想はこれぐらいに。

当時を推測するに、彼はきっとワシと話したかったのだと思う。ワシはピアノの腕はダメダメだったが、脳みそは発達していた。当時の彼の弟子たちもさほど優秀な奴はいなかったが、師匠とディベートできるほどの明晰な奴もいなかった。当時はまだ気鋭のピアニストとして活躍していた彼のことだ。演奏はもとより音楽論も誰かに披露したかったのではないか。そして、そのための「いけにえ」がワシだった…。

マトモなレッスンは受けられなかったが、ワシは彼を恨んではいない。むしろ今にして思えばアノ時の話は現在の仕事の上で大いに役立っている。世の中に無駄なことはないというが、これもそのひとつなのかもしれない。

ありがとう、師匠。感謝してます。
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