どーも、ワシです。今回は山形県西村山郡朝日町大谷にある最上川水系の馬神(うまがみ)池にやってきました。アクセスは国道287号から県道112号に入り進んでいくと到着です。
ここは全国の「ため池百選」に選ばれています。それを示す看板は池の最も目立つ場所にあります。
その看板の近くにあるのが「馬神池」と「竣工記念碑」の石碑。
「馬神池」の裏側には工事着工が昭和13年(1938年)5月1日で、竣工が昭和24年(1949年)5月31日と記されています。
「竣工記念碑」の裏側には馬神池建設の経緯が記されています。昭和初期、この地域では生糸生産を地場産業にしていましたが、不況の煽りを受け生糸価格が暴落。その対策として大谷村一円を桑畑にする計画が持ち上がります。桑畑用水確保のために着手されたのが馬神池でしたが、完成目前の昭和19年(1944年)夏、豪雨により池が決壊。結局完成したのは上に記したように昭和24年でした。
年月を経て、昭和40年代になると池の老朽化が進んだため改修工事が必要と判断。そして馬神地区溜池等整備事業として改修工事が昭和53年(1978年)6月に開始。そして昭和62年(1987年)11月に完成したのが今の形となっています。
近くには「馬神社」と刻まれた小さな石碑。これはなんでしょうね。
洪水吐は県道側にあります。増水時にはここから溢れ出て、
あちらへ流れてゆきます。
通常のため池だと、いわゆる「ダム上」に相当する場所が少し高いところにあるんですが、ここはちょいとイレギュラー。ダム上に相当する場所には二本の道が通っているくらい広いスペースがあります。
下流側から見たダム上の様子。写真に見える道路は池から遠いほうの道。
これが池に近いほうの「ダム上」の道。とりあえず歩いてみましょう。
ダム上、中央付近から見たため池の様子。
一方、下流側を見ると山の斜面の一部分が完全に崩れていて「地肌」が丸見え状態になっています。
対岸へ来ました。振り返るとこんな感じです。
農業振興のために作られた馬神池。気になるのは下流側に見える完全崩落した山肌。修復には時間がかかりそうですね。
ここは全国の「ため池百選」に選ばれています。それを示す看板は池の最も目立つ場所にあります。
その看板の近くにあるのが「馬神池」と「竣工記念碑」の石碑。
「馬神池」の裏側には工事着工が昭和13年(1938年)5月1日で、竣工が昭和24年(1949年)5月31日と記されています。
「竣工記念碑」の裏側には馬神池建設の経緯が記されています。昭和初期、この地域では生糸生産を地場産業にしていましたが、不況の煽りを受け生糸価格が暴落。その対策として大谷村一円を桑畑にする計画が持ち上がります。桑畑用水確保のために着手されたのが馬神池でしたが、完成目前の昭和19年(1944年)夏、豪雨により池が決壊。結局完成したのは上に記したように昭和24年でした。
年月を経て、昭和40年代になると池の老朽化が進んだため改修工事が必要と判断。そして馬神地区溜池等整備事業として改修工事が昭和53年(1978年)6月に開始。そして昭和62年(1987年)11月に完成したのが今の形となっています。
近くには「馬神社」と刻まれた小さな石碑。これはなんでしょうね。
洪水吐は県道側にあります。増水時にはここから溢れ出て、
あちらへ流れてゆきます。
通常のため池だと、いわゆる「ダム上」に相当する場所が少し高いところにあるんですが、ここはちょいとイレギュラー。ダム上に相当する場所には二本の道が通っているくらい広いスペースがあります。
下流側から見たダム上の様子。写真に見える道路は池から遠いほうの道。
これが池に近いほうの「ダム上」の道。とりあえず歩いてみましょう。
ダム上、中央付近から見たため池の様子。
一方、下流側を見ると山の斜面の一部分が完全に崩れていて「地肌」が丸見え状態になっています。
対岸へ来ました。振り返るとこんな感じです。
農業振興のために作られた馬神池。気になるのは下流側に見える完全崩落した山肌。修復には時間がかかりそうですね。