松本市安曇橋場にある雑炊橋(ぞうすいばし)です。松本電鉄上高地線の終点である新島々駅から国道158号を上高地方面に行き、稲核ダムに行く手前の脇道を降りたところにあります。
それにしてもなぜ「雑炊」なんですかね。まさか雑炊が特産品? 調べてみると以下のような民話がありました。
昔は梓川には橋がかかっておらず、両岸の村の子供達はいつも大声で叫んでは相手に話しかけていました。その子供達の中に清兵衛(せいべい)とおせつがいて、やはり橋のないことに不満を抱いていたそうです。そこでふたりは一生懸命働いて稼いだお金で川に橋を架けようと決心します。清兵衛は今でいう林業の仕事に精を出し、一方おせつはお金のかからない雑炊を食べながら機織の仕事を続けました。
そして決意の日から9年後、清兵衛は腕の良い大工を村に連れて戻って来ました。その半年後に村人の協力のもと両村をつなぐ橋が完成し、互いに行き来ができるようになったということです(大意)。(参考サイト)
橋の名前はユニークですが、橋の形もちょっと変わっています。国道側から見るとこんな感じですが、
対岸から見ると別の橋のように見えます。
現在の橋ができたのは1987年3月だそうで。
(お知らせ)
昨日の例会の記事でデザートの写真を載せるのを忘れていました。よければご覧ください。
それにしてもなぜ「雑炊」なんですかね。まさか雑炊が特産品? 調べてみると以下のような民話がありました。
昔は梓川には橋がかかっておらず、両岸の村の子供達はいつも大声で叫んでは相手に話しかけていました。その子供達の中に清兵衛(せいべい)とおせつがいて、やはり橋のないことに不満を抱いていたそうです。そこでふたりは一生懸命働いて稼いだお金で川に橋を架けようと決心します。清兵衛は今でいう林業の仕事に精を出し、一方おせつはお金のかからない雑炊を食べながら機織の仕事を続けました。
そして決意の日から9年後、清兵衛は腕の良い大工を村に連れて戻って来ました。その半年後に村人の協力のもと両村をつなぐ橋が完成し、互いに行き来ができるようになったということです(大意)。(参考サイト)
橋の名前はユニークですが、橋の形もちょっと変わっています。国道側から見るとこんな感じですが、
対岸から見ると別の橋のように見えます。
現在の橋ができたのは1987年3月だそうで。
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昨日の例会の記事でデザートの写真を載せるのを忘れていました。よければご覧ください。