ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

才能と宣伝の関係

2007-12-22 07:35:51 | 脳みその日常
世の中で知られている人というのは、どんなジャンルであれ、それなりの才能をもっているものだ。違う見方をするなら、その才能が他の人々によって評価されていると言っても良い。しかし、有名だからといってその人の才能がきちんと評価されているとは必ずしも言えない。

現代は特にマスメディアが社会に大きな影響を与えている。メディアで宣伝すればクチコミで広めるよりも、遥かに集客力があるのはご存知の通り。その特性を理解しているプロモーターは莫大なカネをかけて宣伝を行なう。そうすることで自社の企画は世に知れ渡り、宣伝費を上回る収益が見込めるからだ。

ところがこの手法は悪用することも可能なのである。悪用というと語弊があるが、カネ儲けのためだけに誇大宣伝されるケースもある。つまり宣伝することによって、その「才能」があたかも凄いもののように思わせてしまうのだ。専門家が見れば、なぜこんな人をそこまでクローズアップされるのかと思う人が実際に宣伝されて有名になっていることもある。一般の人はそのことがわからないから、宣伝によって判断するしかない。それは仕方のないことではある。

しかしメディア側に、もっと才能を見抜く目があればこんなことにはならない。要するに、こと才能を見極めることに関してメディアには大した判断力がないということをメディア自ら暴露しているようなもの。カネ儲けができれば対象(宣伝される才能)は何でも良いということなのだろう。ひどい話だ。

一方、本当に世の中に知られてしかるべき才能が埋もれているケースもある。なぜこんな人が今まで知られていなかったのかと不思議に思うことも。それは上記の逆のパターンといってよい。才能はあるけれど、プロモートする人が周囲にいないとか、金銭的に宣伝するだけの「体力」がないなどの理由が挙げられる。

このタイプの場合、どうしてもクチコミでしかウワサは広がらない。これはこれで周囲の人間がもっとその才能を理解してあげて、その才能が埋没しないようにサポートしてあげないと気の毒である。でも、現実は…。

才能は大してないがカネ(もしくは理解者)はあるパターンと、才能はあるがカネがないパターン。実はどちらも結果的にはうまくいかない。ならば、世に出ている一流の才能たちはどういうことなのか。才能と宣伝の関係からいえば、彼らには理解のあるサポーターが周囲にいるということ。つまり優れた才能と、プロモートする才覚がうまく釣り合うことで現在の彼らの地位があると言い換えても良い。

難しいもんだなあ、バランスをとるって…。
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