ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

保身も仕方がない

2005-04-25 16:56:12 | 脳みその日常
昨日のブログとも関係するが、それだけ批評をしているということは、極端に言えばそれと同じだけ恨まれている可能性があるということでもある。特にワシの批評は辛口で知られているからね。とあるサイトには「辛口批評でお馴染みの…」とか書いてあるし。おいおい、ワシは何も辛口で書いているわけじゃない。思ったことをそのまま書いてるだけなんだけどな。まあいいけど。

それにしても、レギュラーで執筆している雑誌の編集部は、近年ワシの扱いを変えたようだ。変えたといっても、ギャラが高くなったとかそういうのではない。批評する対象を外来アーティストや国内オケに切り替えて依頼してくるようになったのだ。これはワシが偉くなったとかそういうことじゃない。理由は別のところにある。

思い返せば、最初の頃は若手をはじめとする国内のアーティストの批評が多かった。それはそれで面白くて、彼らから直接手紙をもらい、僭越ながらアドヴァイスをしたこともあった。そのうちの数人とは今でも交流がある。

もちろん良いことばかりじゃない。ワシの指摘が気に入らんという人だっている。編集長は多くを語らないが、演奏家からワシへのクレームはどうやらあったようだ。たぶんクレームが来るたびに編集長は演奏家やマネジメントに謝ったんだろうな。実際、直接ワシのところへも苦情の手紙が届いたこともあるし。

しかし、いちいちそんなことを気にしていては批評などできないのである。第一、クレームをつけてくる奴の言い分は、根拠のない言いがかりがほとんどだから。彼らには演奏家としてのプライドがある。つまりプライドを傷つけられたと感じるから抗議したくなるのだろう。

気持ちはわかるさ。わかるけれど、その前にちゃんと演奏しようよ。聴き手に「なるほど」と思わせる演奏ができないくせに文句を言うのはどうかと思うね。

少なくともワシは自分の嗜好で批評することはない。自分の好みでない演奏であっても、総合的に見て優れた解釈だと判断すればその演奏は評価する。もちろん批評のなかでその理由は記してある。逆に、なぜその解釈は良くないのかということも常に書いている。

もし演奏家が独自の解釈をしたとしても、結果的にそれが聴き手に伝わらなければダメなのだ。本当に伝えたかったら、伝わるような工夫をすべきなのである。その工夫すらしないとすれば、それこそ怠慢。こちらはこちらでその演奏をあらゆる知識を駆使して真剣に聴いているのだから、彼らに何らかの意図や解釈があればすぐに気づく。だってこっちは聴くプロなんだぜ。

もっとも、批評家のなかにもいい加減な奴はいる。大半は自分の好みに合う演奏じゃないと評価しないようであるが。世の中の人たちが「批評家は勝手なことばかり言う奴だ」と思うのも無理はない。でもね、良心的に批評する奴もいるのですよ。

まあ、ワシがどんなスタンスで批評をしようと編集部にクレームが来ることはなくならないだろう。雑誌社だって広告料をもらわないと経営してゆけない。それに編集長だって自分が悪くもないのに謝りたくはないだろうし。

とすれば、できるだけクレームが来ないようにするには、ワシをクレームの来そうにない演奏会に行かせればよい。編集長はきっとそう考えたに違いない。

ええ、ええ、ワシはどんな演奏会でも構いませんよ。むしろ、この編集長にはいつも感謝しているんですわ。自由に書かせてもらってますから。どこかの雑誌とは違ってね(苦笑)
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