ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

手を離れたら執着しないが…

2005-04-16 15:07:08 | 脳みその日常
何事も引き際が肝心だ。原稿を書く仕事の場合、依頼主に原稿を送るまでは内容にトコトンこだわる。メールで送ってしまえば、もうそれに執着することはない。もちろんその後出版社から「著者稿」というものが届けられ、原稿のチェックをする作業を行なう。

なぜ「著者稿」が必要なのかといえば、記述のうっかりミスや訂正をその時点で修正することができるからだ。実際に印刷されてからでは、もう直すことはできない。どんなにわめこうと泣き叫ぼうと無理なものは無理なのである。それゆえ、「著者稿」の段階でしっかりと見直すことが著者には求められるのだ。

内容が学術的なものである場合、「著者稿」が何度も行なわれることもある。いわゆる事典の類いなどはそうだ。どんなに見直しても見落としというものはある。プロの編集者ですら100パーセント大丈夫ということはない。だから編集レベルでも最低2度(初稿、再稿)の見直しを行なう。そうしたプロセスを経て印刷された書籍や雑誌は初めて世に出る。

ところがヒドイ出版社だと「著者稿」すら送って来ない。万一記述ミスがあったとしても、確認した時点で既に印刷物になっている。これはもう泣くに泣けない。だから最悪の場合を想定して、原稿を送るまでトコトン吟味するのだ。そうすれば泣く回数は最小限で済むから(笑)

我々ライターはそこまで考えて書いているのに、相手の編集者が愚かだったりすると許可なく書き直し(リライト)たりするので困る。だいたい愚かな編集者ほど、こちらの意図を理解せずに書き直すのでたまったものではない。文体やリズムといった著者独特の「呼吸」もすべて無視してリライトするのだから、結果としてオリジナルの文章よりも駄文になるのは明らか。でも彼らはそこまで知恵が回らないから始末が悪い。

もっとも、そんなことをする編集者は稀であり、めったに遭遇することはない。大半の編集者はリライトするにしても、こちらの「呼吸」を汲んでスッキリとした文章に仕上げてくれるものだ。したがって愚かな編集者に遭遇したら運が悪いと思って諦めるしかない。そう、ジョーカーを引いたと思うしかないのである。

いずれにしても印刷物は出来上がる。そしてサンプルが送られてくる。現物を確認するという意味でサンプルは必要であるが、ワシにとってはもうどうでもよいもの。すでに原稿を送った時点で「終わった」と思っているからね。サンプルを見て一喜一憂しても仕方のないことだし。

でも、いるんだよな、もう手直しは無理なのにワァーワァー言う奴が。困ったもんだ。

(メモ)
ある教育委員会から年末に子供向けのレクチャーを頼まれる。うはーっ、大変だ。
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