そんな表現があるのか知らないが、昨晩の演奏会は、まさに「ぬるかった」。
ワシが言う「ぬるい」というのは、次のようなニュアンスである。
素晴らしい演奏をすると、会場内の空気はピーンと張りつめる。
しかし「ぬるい」演奏だと、そういうわけにはいかない。
といって、会場がザワザワしているのでもない。
聴衆はみな演奏を静かに聴いているのだが、その空気が「どよーん」としているのだ。
こんな演奏が良いはずがない。
お客の心を全く魅きつけないからだ。
プログラムはフランス現代モノ中心で面白そうだったのに、演奏を聴いてガッカリ。
なんつーか、どの演奏も中途半端なんだよな。
いわゆる「合わせ」が不十分だったというわけでもなさそう。
キツイ言い方をすれば、演奏者としての魅力がないのかもしれない。
5人の出演者は、そこそこ知名度があるものの、「なんだかなあ」という感じ。
ハープのSなんて、名前は知られているが、技量については「?」である。
まあ、いわゆる親の七光りだから仕方がないのかもしれないが。
その中にあって、唯一センスを感じさせたのはヴィオラの青木史子である。
センスというか、この人の楽器はよく歌うのだ。
もちろん、ヴィオラが勝手に「ラララー♪」なんて歌うわけはない(笑)
青木には「うたごころ」があるのだ。
ヴィオラは、言うまでもなく目立たないポジションの楽器だが、実は他の誰よりも光って見えたねえ。
今後、この人はもっと活躍するかもしれない。
作品として面白かったのは、ダマーズ(b.1928)の《ソナタ第2番》(1998)。
これはフルートとハープのための作品。
かなり旋律性のある曲で、近年の作品ではあるが、とても聴きやすい。
しかし、演奏自体が「ぬるい」ので、その魅力は伝わらなかったと思う。
むしろ、テクニックのあるフルート奏者とピアニストによって演奏されれば、印象は違ったことだろう。
もしくはヴァイオリンとピアノの組み合わせでも、いいかもしれないな。
とにかく「ぬるい」演奏は、聴いていて気持ちが悪くなる。
それは、音程が狂った演奏とは別の気持ち悪さだ。
勘弁してくれよなー、まったく…
ワシが言う「ぬるい」というのは、次のようなニュアンスである。
素晴らしい演奏をすると、会場内の空気はピーンと張りつめる。
しかし「ぬるい」演奏だと、そういうわけにはいかない。
といって、会場がザワザワしているのでもない。
聴衆はみな演奏を静かに聴いているのだが、その空気が「どよーん」としているのだ。
こんな演奏が良いはずがない。
お客の心を全く魅きつけないからだ。
プログラムはフランス現代モノ中心で面白そうだったのに、演奏を聴いてガッカリ。
なんつーか、どの演奏も中途半端なんだよな。
いわゆる「合わせ」が不十分だったというわけでもなさそう。
キツイ言い方をすれば、演奏者としての魅力がないのかもしれない。
5人の出演者は、そこそこ知名度があるものの、「なんだかなあ」という感じ。
ハープのSなんて、名前は知られているが、技量については「?」である。
まあ、いわゆる親の七光りだから仕方がないのかもしれないが。
その中にあって、唯一センスを感じさせたのはヴィオラの青木史子である。
センスというか、この人の楽器はよく歌うのだ。
もちろん、ヴィオラが勝手に「ラララー♪」なんて歌うわけはない(笑)
青木には「うたごころ」があるのだ。
ヴィオラは、言うまでもなく目立たないポジションの楽器だが、実は他の誰よりも光って見えたねえ。
今後、この人はもっと活躍するかもしれない。
作品として面白かったのは、ダマーズ(b.1928)の《ソナタ第2番》(1998)。
これはフルートとハープのための作品。
かなり旋律性のある曲で、近年の作品ではあるが、とても聴きやすい。
しかし、演奏自体が「ぬるい」ので、その魅力は伝わらなかったと思う。
むしろ、テクニックのあるフルート奏者とピアニストによって演奏されれば、印象は違ったことだろう。
もしくはヴァイオリンとピアノの組み合わせでも、いいかもしれないな。
とにかく「ぬるい」演奏は、聴いていて気持ちが悪くなる。
それは、音程が狂った演奏とは別の気持ち悪さだ。
勘弁してくれよなー、まったく…