本日行った演奏会では、上記タイトルのようなことを実感する。
演奏された作品は、すべて別宮貞雄の室内楽作品。
決して、ジェフ・ベックじゃないよ。(笑)(知ってる人しか笑えないギャグ)
おおっ、「WIRED」「THERE AND BACK」…なつかすぃー
いや、そんなことは、どーでもよい。
話をもとへ戻そう。
ま、作品についてのコメントはする必要もなかろう。
正直な話、どれも注目するほどの作品じゃないからねえ。
第一、楽器の響かせ方にセンスがないんだよな。
ベック氏は、頭は良いんだろうが、それだけじゃ心地よい音楽はできない。
響きってのはさ、理屈じゃないんだよ。
経験と才能。
これしかないんだわ、悲しいことだが。
長い前置きになってしまった。
さて、ソリストとオケマンとの違いってのは、単純明白。
聴衆を惹き付けて「聴かせる」ことができるのがソリスト。
そうじゃないのがオケマン。
ソリストとして活動する人ってのはさ、ある意味で自分の存在をアピールできなければならない。
だって、それで食ってるわけだし。
だから、室内楽作品をやる時も通常のスタンスは変わらないハズ。
今日出演したなかでソリストとして食ってるのはヴァイオリンの米元響子だけ。
ボウイングはかなり荒く、聴きようによってはヒステリックだと判断されたかもしれない。
でもね、随所に「音による色気」を感じさせるんだよな。
見た目はフツーの女の子なんだけどねえ。
まあ、たとえてみれば、リーラ・ジョセヴォヴィッツほどじゃないが、そんな感じの音色よ。
もっと有名どころだと、ギドン・クレーメルのような「甘さ」も感じられる。
うーん、ちと褒め過ぎかな。
とにかくだ、ソリストとして活躍するだけの存在感が米元にはあるなと思った次第。
存在感といえば、フルートのヴァンサン・リュカも負けてなかったね。
それに比べ、メインの仕事がオケマンであるヴァイオリンのMやチェロのMは、あまりにも地味すぎ。
この2人は、もともと実力はあったんだろうけど、やっぱりオケで活動してるとダメになるんだな。
オケマンってのは、どのような意味においても協調性が求められる。
それに、オケの中にあって「自己主張」というものは、いわばタブーなのだ。
つまり、指揮者の言う通りに演奏できればそれでよいのである。
オケマンたちには悪いが、極端な話、彼らに創造性なんて必要ないのよ。
創造するのは指揮者なんだからさ。
すなわち、そんな生活に慣れてしまうと、いざアンサンブルをしようと思っても「主張」なんてムリ。
こわいねー、それも一種の職業病、もしくは生活習慣病かも(笑)
だからさ、本当にソリストとしてやっていこうと決心した人は、オケなんかに入っちゃだめなんだよ。
アンサンブルってのは、確かに複数の人が音を合わせる作業かもしれない。
でも、そのひとりひとりはソリストみたいなもんなのさ。
個性と個性が音楽の中で、時には協調し、時にはぶつかり合う。
そこが面白いわけでしょ。
でも、個性が明確でない人がアンサンブルをやったって、そりゃー「クリープを入れないコーヒー」みたいなもんよ。
ようわからん譬えだがね(笑)
ややっ、地震だ・・・・・こえー
演奏された作品は、すべて別宮貞雄の室内楽作品。
決して、ジェフ・ベックじゃないよ。(笑)(知ってる人しか笑えないギャグ)
おおっ、「WIRED」「THERE AND BACK」…なつかすぃー
いや、そんなことは、どーでもよい。
話をもとへ戻そう。
ま、作品についてのコメントはする必要もなかろう。
正直な話、どれも注目するほどの作品じゃないからねえ。
第一、楽器の響かせ方にセンスがないんだよな。
ベック氏は、頭は良いんだろうが、それだけじゃ心地よい音楽はできない。
響きってのはさ、理屈じゃないんだよ。
経験と才能。
これしかないんだわ、悲しいことだが。
長い前置きになってしまった。
さて、ソリストとオケマンとの違いってのは、単純明白。
聴衆を惹き付けて「聴かせる」ことができるのがソリスト。
そうじゃないのがオケマン。
ソリストとして活動する人ってのはさ、ある意味で自分の存在をアピールできなければならない。
だって、それで食ってるわけだし。
だから、室内楽作品をやる時も通常のスタンスは変わらないハズ。
今日出演したなかでソリストとして食ってるのはヴァイオリンの米元響子だけ。
ボウイングはかなり荒く、聴きようによってはヒステリックだと判断されたかもしれない。
でもね、随所に「音による色気」を感じさせるんだよな。
見た目はフツーの女の子なんだけどねえ。
まあ、たとえてみれば、リーラ・ジョセヴォヴィッツほどじゃないが、そんな感じの音色よ。
もっと有名どころだと、ギドン・クレーメルのような「甘さ」も感じられる。
うーん、ちと褒め過ぎかな。
とにかくだ、ソリストとして活躍するだけの存在感が米元にはあるなと思った次第。
存在感といえば、フルートのヴァンサン・リュカも負けてなかったね。
それに比べ、メインの仕事がオケマンであるヴァイオリンのMやチェロのMは、あまりにも地味すぎ。
この2人は、もともと実力はあったんだろうけど、やっぱりオケで活動してるとダメになるんだな。
オケマンってのは、どのような意味においても協調性が求められる。
それに、オケの中にあって「自己主張」というものは、いわばタブーなのだ。
つまり、指揮者の言う通りに演奏できればそれでよいのである。
オケマンたちには悪いが、極端な話、彼らに創造性なんて必要ないのよ。
創造するのは指揮者なんだからさ。
すなわち、そんな生活に慣れてしまうと、いざアンサンブルをしようと思っても「主張」なんてムリ。
こわいねー、それも一種の職業病、もしくは生活習慣病かも(笑)
だからさ、本当にソリストとしてやっていこうと決心した人は、オケなんかに入っちゃだめなんだよ。
アンサンブルってのは、確かに複数の人が音を合わせる作業かもしれない。
でも、そのひとりひとりはソリストみたいなもんなのさ。
個性と個性が音楽の中で、時には協調し、時にはぶつかり合う。
そこが面白いわけでしょ。
でも、個性が明確でない人がアンサンブルをやったって、そりゃー「クリープを入れないコーヒー」みたいなもんよ。
ようわからん譬えだがね(笑)
ややっ、地震だ・・・・・こえー